トニー・ブレア(3) 学生時代

ストーンズに憧れる
宗教重視の価値観が確立

私は1953年5月6日にエジンバラで生まれた。1歳のときに父の仕事の都合でオーストラリアに渡って3年過ごした後、イングランド北部のダーラムに移住した。子ども時代の私は、外で遊び回るのが好きで、クリケット、サッカー、ラグビー、バスケットボールなどあらゆるスポーツを楽しんだ。

10歳くらいのころ、学校にいじめっ子がいた。彼は私の悪口を繰り返し、私は彼のいる場所に行くのを避けて過ごしていた。あるとき、そのいじめっ子が校門のところで私に向かってきた。私は意を決して言い返した。「いじめをやめなければ殴り返すぞ」。彼はこちらが本気だということがわかったのだろう。それで彼はいじめをやめた。子どもは、校庭でのけんかで勇気を学ぶものだ。

高校はエジンバラのフェティス・カレッジに通った。私は反抗的だったので教師は手を焼いたことだろう。最終学年の18歳のとき、初めて恋に落ちた。それまで学校は男子ばかりで、理事会会長の娘だったアマンダが初の女子学生として入学したのだ。私は激しい競争を勝ち抜いたのだ。アマンダの家族とはその後も交流が続くことになる。

72年にオックスフォード大に進んだ。法律を学んだが、私はパーティー好きの学生だった。当時の若者が皆そうだったようにロック音楽に熱中した。バンドで歌ったり、少しギターを弾いたりした。私のヒーローはローリング・ストーンズのミック・ジャガーだった。ビートルズより不良っぽいストーンズに憧れ、よく彼らの曲を演奏した。

大学の1年目を終えて帰省したとき、長髪でぼろぼろのジーンズ(当時は破れたジーンズはまだはやっていなかった)という私の身なりを見て父は顔をしかめた。父がかわいそうになった私はこう言った。「父さん、僕は麻薬はやっていないよ」

そんなふうだった私だが、大学で知り合った4人の友人を通じて、政治や宗教にしだいに興味を持っていった。

オーストラリア出身の英国国教会の聖職者ピーター・トムソンは、私の人生に最も大きな影響を与えた人物だ。彼は、人生は目的を持って生きなければならないと教えてくれた。彼は、政治的には左派だったが、宗教が政治より優先した。私もその影響で、まず宗教を通じた価値観を人生の羅針盤とし、政治活動はその後にくるようになった。

もう一人のオーストラリア人で、後に同国州首相になったジェフ・ギャロップは国際マルクス主義者グループの会員で、当時の左派政治や読むべき本を教えてくれた。

インド人のアンモル・ヴェラニとは、資本主義と国家について議論した。私が「資本主義は利益のことしか考えていない。国が資本主義から利益をとりあげなければならない」とありきたりのマルクス主義の主張をすると「そんなに単純なものじゃない。国だって既得権益になり得るんだ」と彼は言った。この彼の洞察は、後に私が進める政府改革に影響を及ぼした。

4人目のオララ・オツンヌはアミン独裁体制下のウガンダから逃れてきた学生だった。彼にとっての政治は「資本主義対社会主義」という構図ではなく、開発・汚職・圧政という問題だった。こうした多様な友人に囲まれて、私の精神は開かれ、思考が形作られていったのだ。

(元英首相)

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