松本幸四郎(27) あるべき姿

「ラ・マンチャ」と一体化
日本にミュージカルの種

「本当の狂気とはなんだ。夢に溺れて現実を見ないものも狂気かもしれない。また現実のみを追って夢を持たないものも狂気だ。しかし、人間として一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に折り合いをつけて、あるべき姿のために闘わないことだ」

ミュージカル「ラ・マンチャの男」の中でのM・セルバンテスのセリフである。

1969年(昭和44年)4月の帝劇初演以来、一昨年5月の27演まで、出演回数は1149回に達した。

このミュージカルに、私自身、ずいぶん助けられ、励まされた。そして、長い間勤めてきて、この役と自分が一体化したように思えてきた。

実際、初演以来四十数年の間にはいろいろなことがあった。70年、日生劇場の舞台で、ドン・キホーテが鏡の騎士に追い詰められる場面で、後ずさりしていた私が突然、舞台の前面に落ちてしまったのだ。高さは2メートル半くらいあった。

私はとっさに下手の階段から舞台の上によじ登っていった。カラスコ役の井上孝雄さんが私に気づいてくれ芝居を合わせてくれた。お陰(かげ)でお客様は気づかれなかった。

舞台用の靴だったので木製のヒールが折れて助かった。そうでなかったら、骨折していたかもしれなかった。今でも跡が残っている。

母が亡くなった89年8月2日は、「ラ・マンチャの男」の大阪公演の初日だった。舞台がはねてから車に飛び乗り東京へ帰る途中、母の死を聞いた。母の亡骸(なきがら)と対面し、翌日の飛行機第1便で大阪に戻り舞台を勤めた。母は「見果てぬ夢」の歌が大好きだった。その日から千秋楽まで、亡き母のために心を込めて「見果てぬ夢」を歌い続けた。母は65歳で逝ったが、その歌声は母の元に届いてくれていたと信じている。

半面、喜ばしいこともあった。2005年5月には名古屋の名鉄ホールの舞台で、スペインのカスティーリャ・ラ・マンチャ州政府のホセ・フォンテス首相から同州の栄誉賞を授与された。「ラ・マンチャ」の名前を日本中に広めたということで表彰されたのだが、この年は原作の「ドン・キホーテ」が出版されて400年とのことだった。

またミュージカルで活躍する今井清隆君も「ラ・マンチャの男」でミュージカルを目指したと言ってくれた。私が初めて「王様と私」に出た昭和40年ごろは、年に1、2本のミュージカルしか上演されておらず、劇団四季の浅利慶太さんもまだミュージカルには進出していなかった。それが今では、毎日どこかで大小数多くのミュージカルが上演されている。確かに種はまかれていたのだ。

ミュージカル全盛の今日、かつて菊田一夫先生が私に言われた言葉を思い出す。「染五郎君、続けようよ、とにかく続けてミュージカルを上演しようよ」。「ラ・マンチャの男」は、同じ俳優が単独主演し続けているミュージカルの最多日本上演記録を更新中という。

来年も5月の博多座の後、8月の帝劇の公演中、70歳の誕生日を迎える日に1200回目の記念となる。紀保、たか子の娘たちと一緒に、世界でも類のない古希を迎えるドン・キホーテの舞台に立つことになる。

(歌舞伎俳優)

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