松本幸四郎(26) 家族

妻の支えがあってこそ
3人の子供、役者として自立

わが家族を称して「お宅は無駄のない家族だ」と言った人がいる。お陰様(かげさま)で3人の子供は独り立ちし、役者として活動している。

3歳で舞台に立った私は、すでに物心つく前に役者の道を歩んでいた。その上あの時代は、物不足で食べるものも少なく、小学生だったころの一日は学校、稽古、舞台で終わる。一家団欒(だんらん)というものもほとんどなく、自然と笑顔の少ない子供になっていた。今でも写真を撮られる時、「もう少し笑って」と必ず言われる。「親子断絶」という言葉があるが、我が家は「断絶以前」だった。断絶しようにも交流がなかったのである。

そんな自分が結婚して家庭を持ち、家族を持った。妻の紀子がいてくれなかったら、とっくの昔に破滅していたことだろう。自分は、芝居以外、何もしてこなかったし、ほかに何もできない人間である。今あることは、妻が「高麗屋の女房」になってくれたからにほかならない。

長男染五郎が生まれた。目がギョロっと大きく鼻が高かった。ヨチヨチ歩きのころから歌舞伎が大好きで、幼稚園よりも歌舞伎座の楽屋に行きたがった。幼稚園の学芸会「アリババと四十人の盗賊」に出た時は盗賊Cの役。主役でない悔しさからか、油の壺(つぼ)に押し込まれて何度死んでも顔を出してきて生き返る。それが先代萩の刃傷の仁木弾正のような名演技だったと今では我が家の伝説になっている。

染五郎は踊りが好きで、15歳で「鏡獅子」を踊る機会があった。稽古を見てくれた晩年の松緑の叔父が「高麗屋にも弥生を踊る役者が出たな」と言ってくれた。その後は劇団☆新感線と共演して歌舞伎界を覚醒させるなど、エネルギッシュに活躍している。

長女の紀保はキホーテにちなんで亡き父が名づけた。芝居とは無縁の人生を歩むと思っていたが、短大生の時に「リア王」のプロンプターをしてみないかと私が誘ったのを機に芝居に興味を示すようになり、誰にも相談せず英国人演出家デヴィッド・ルヴォーのオーディションを受け、「チェンジリング」の舞台で女優デビューしてしまった。

今も芝居好きの仲間に誘われて小さな芝居に出る機会に恵まれ、私の創作劇での活動を継いでくれている。芝居を客観的にとらえる観察力と批評眼があり、「アマデウス」や「ラ・マンチャの男」では私の演出助手も務めてくれた。

末娘のたか子は小さいころから手のかからない子だった。いつの間にか大人になり、ごく自然に女優(当人は一大決心をしたらしいが)になった。何年か前、ギター好きの私にマーティンのアンティークギターをプレゼントしてくれた。が、それには、なんとギタリストの彼までついていて、今も夫婦仲睦(むつ)まじく実家を訪ねてくれている。

最近では私も「染五郎の親父」とか「松たか子のお父さん」などと言われ、うれしい反面、また役者の世界は親兄弟、そして我が子さえも強力なライバルとなる。親といえどもうかうかしてはいられない。

したがって、今まで役者幸四郎としてやってきた自分としては「なお、やってやろう」という心意気とともに、「負けない強さ」をもって日々精進してゆきたいと思っている。

(歌舞伎俳優)

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