松本幸四郎(25) 梨苑座

芸の鬼・仲蔵を追い結成
物語さながら不思議な体験

中村仲蔵という江戸中期の歌舞伎役者が前から気にかかっていた。彼は下積み役者からはい上がり、後に大立者(おおだてもの)になった人物である。「仲蔵ぶり」「仲蔵狂乱」という言葉を残した。

有名なのは「仮名手本忠臣蔵」5段目「山崎街道の場」の定九郎(さだくろう)。どてらを着たやぼったい山賊の格好だったのを、白塗り、着流し姿の浪人が朱鞘(しゅざや)の一本差しに破れ傘で見得(みえ)を切る、粋な色悪(いろあく)に変えてしまった。真っ白な胸元を血のりで濡(ぬ)らす悶絶(もんぜつ)の表情は絶大な人気を博し、今は誰がやっても定九郎は仲蔵の型だ。つまり彼は250年たった今も生き続けている。

芸の鬼だった仲蔵が夢見たであろう歌舞伎。そんな「演劇としての歌舞伎」を追求していきたいと「梨苑(りえん)座」を結成した。昔あった若手勉強会「梨苑会」から名前を採った。梨苑座第1回公演が、2000年(平成12年)9月の「夢の仲蔵」(日生劇場)で、私が九代琴松(九代目幸四郎の九代と俳号の琴松からとった)の名で演出もした。

作家の荒俣宏さんに歌舞伎台本をお願いした。市村座の楽屋を舞台に、私が演じる仲蔵と、染五郎の五世団十郎との生き方、芸を対比させる形で展開する。「山崎街道の場」や「蘭平物狂」「道成寺」などを劇中劇として入れた。

荒俣さんとは、早稲田大学の演劇博物館などを探訪する雑誌の企画で知り合った。荒俣さんのお父さんは歌舞伎座の前で交通事故で亡くなり、また私が仲蔵に関心があると言うと、荒俣さんもそうだと意気投合したのが縁だった。

02年12月は第1作に手を入れ、続編「新・夢の仲蔵」を上演した。仲蔵が名門の団十郎に抱くライバル心、屈折感などを際立たせた。

続いて03年5月には、「夢の仲蔵千本桜」を新橋演舞場で上演した。斎藤雅文さんの作で、座頭になった仲蔵が、森田座の顔見世興行で「義経千本桜」を出すが、役者の間に不満が渦巻き、次々に奇怪な事件が起きる話だ。

実際、「夢の仲蔵」では不思議なことが起こった。当時の役者の楽屋髷(まげ)の形がわからなかった。錦絵にも残っていない。考えあぐねていたのだが、ある夜、夢の中に仲蔵らしき大首絵の役者の顔が現れ、「俺の髷はこれだよ」と言った。ぱっと目が覚めて、その髷を急いでスケッチし、床山に回して、役者髷を作ってもらった。

「仲蔵千本桜」では、劇中劇の「碇知盛(いかりとももり)」の舞台稽古で、平知盛が後ろへ背ギバで倒れ入水(じゅすい)するスペースのないことがわかった。皆が頭を抱えているところへ橋本幸喜プロデューサーが飛んできて、「仲蔵は後ろに飛び込んでいない、という記録が残っていました」と言った。そこで知盛が碇を差し上げ見得をきり幕という仲蔵の型で問題解決した。

またカーテンコールの時、「千鳥の合方(あいかた)」を使ったが、拍手の中、下手の方で「チンチリ、トチチリ……」と「千鳥の合方」を鼻歌風に唄(うた)う役者の声が聞こえた。後で「今、誰か唄ってたけど、お客様に失礼だし、いけないよ」と役者たちをたしなめたら、「誰も唄ってません」という。思わず皆顔を見合わせてゾッとした。

「夢の仲蔵」シリーズは一応3作で打ち止めとし、梨苑座の精神は、江戸川乱歩の「人間豹(ひょう)」を歌舞伎化した国立劇場での「乱歩歌舞伎」(08、09年)に引き継がれた。

(歌舞伎俳優)

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