松本幸四郎(15) ブロードウェー

日本人初の主演果たす
客の涙、役者の至福感じる

1970年(昭和45年)1月下旬、ニューヨークに着いた。「国際ドン・キホーテ・フェスティバル」が開かれるマーチンベック劇場まで歩いていけるホテルに逗留(とうりゅう)した。新婚の妻も同行、米国行きが事実上の新婚旅行となった。

現地ではアリス・ヘルメスさんという先生から英語のセリフの特訓を受けた。その時、以前にこれと同じような稽古をしたことを思い出した。語尾を押す(強調する)のは義太夫の「うみ字」と同じであった。その稽古とは、豊竹小仙というアリス先生と年格好の全く同じ女義太夫の名人との「引窓」の稽古であった。

舞台稽古は2月初めから始まった。午前11時から夕方5時ごろまで、セリフの不完全なところは徹底的に指摘される。へとへとになった後、夜にアリス先生の特訓が待っている。そうして3月2日、とうとう初日を迎えた。

日本人初のブロードウェー主演。初日の緊張は心臓の鼓動がはっきりと聞こえるほどで、筆舌に尽くし難い。恐ろしいほどの圧迫感で客席が迫ってきた。ブラボーという歓声とどっとわきおこる拍手。圧倒されながら一種の快感もあった。幕が下りた後、誰もいなくなった楽屋で、ホッと息をつき、汗と涙でグシャグシャになった顔を落としながら、妻と目を見つめあった。

英国、オーストラリア、イスラエルなど各国のドン・キホーテが10週間ずつ公演する。千秋楽の5月9日まで夢中で60ステージの長い舞台を勤めた。舞台で2時間半、歌い踊り英語のセリフをしゃべった後、遅い夕食をチャイナタウンで済ませ、ホテルに戻ると心身疲れ果ててバタンキューと眠ってしまう。目が覚めて時計を見ると4時を指していた。あたりが薄暗いので朝方の4時かと思ったら翌日の午後4時だった。この生活は千秋楽まで続いた。

中日のころ、最悪のコンディションで舞台に立たなければならなかった。疲労で重くなった体を抱え出を待っていた。ふと考えた。この具合の悪さは、私自身ではなく、これから演じるセルバンテスの痛みなんだと。そう自己暗示をかけて舞台を乗り切った。

楽屋に戻り「最低の出来だったろ」と妻に聞くと、「今までで一番いい出来だった」と言った。きっとその日は欲も衒(てら)いもなく、ただ役になりきって一心に演じようという気持ちだけだったのだろう。

そんな苦しい時期に、父から手紙が届いた。便箋の真ん中に大きな字で「おれはお前を信じている。父」と書いてあった。胸がいっぱいになって涙がポロポロこぼれた。

リハーサルも入れて4カ月の間、日本から持っていったドン・キホーテの髭(ひげ)に使う強力両面テープがなくなるなどいろいろなアクシデントもあった。ある日、臨終のドン・キホーテが「見果てぬ夢」を思い出しながら歌う場面で、最前列の青い目のご婦人が涙をぬぐうのが見えた。その白いハンカチが光の珠にみえ、今まで流した汗と涙と共にスーッと吸いこまれていった。自分がブロードウェーにきたのは、この瞬間を味わうためだったのだと思えた。

千秋楽にはニューヨーク在住の洋画家の猪熊弦一郎ご夫妻が見に来てくださり、舞台終了後、楽屋を訪ねてくださった。ご夫妻は「初日の染五郎君はブロードウェーの俳優たちから光をもらって輝いていたが、今日は君自身が輝いてブロードウェーの俳優に光を与えていたね」と言ってくださった。

(歌舞伎俳優)

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Bubbles of river disappear rapidly.

One Response to 松本幸四郎(15) ブロードウェー

  1. 秀島一生 says:

    航空評論の秀島一生と申します。1946年生まれです。4回に渡る「私の履歴書」を録画し、繰り返し視聴させていただきました。幸四郎様が、暁星から早稲田に進まれるなか、私は、同じ千代田区の麹町中学から都立日比谷へと受験戦争の只中に置かれておりました。同じ時代の空気を吸った者の一人です。

    時は流れて1968年に、異国への憧れから、「日本航空の国際線乗務員」となりました。Nyc路線は、当時SFO経由で、日本からは「遠い」文明文化の地でもありました。日本人旅客も限られた富裕層か伸び盛りの日本経済を支えるビジネスマンくらいしかおりませんでした。

    1970年,既に日本で知っておりましたが、梨園の御曹子「染五郎さん」がなんとブロードウェーで「ラ・マンチャの男」を主演される??しかも英語で? 正直本当にそんなことができるのだろうか?と驚きでした。
    そして、幸運が巡って参りNYC便乗務となりました。当時ロンドンで「アクエリアス」を見て以来、ミュージカルに傾倒した私は、NYC滞在中は、マチネーと夜と2回は、ブロードウェーに足を運んでおりました。当然ながら我らの染五郎さんの演ずる「マーチンベック」にひとりで向かいました。箱が小さめのためか、テイケットがありませんでした。開演を迎える時刻になって誰もいなくなってもその場を去らない私。劇場の係りに、訴えました。「日本のMr染五郎が主演してるんだ!立ち見でも良いから、5分でもよいから、一目みせてくれないか?」と必死で頼みました。日本人の20代の若者の願いに、そのオジサンは、軽くウインクして「OK!」と言っていれてくれました。このことは、私だけの一生の思い出として刻まれております。「履歴書」を拝見し、あの時どれだけのご苦労をされたのか、あらためて感じ入った次第です。

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