松本幸四郎(14) 「ラ・マンチャの男」

父の勧め、日本で公演
NYで国際舞台の打診受ける

ミュージカル「ラ・マンチャの男」を私に見つけてくれたのは父だった。父が文化団体の使節として、アメリカの俳優に「勧進帳」の指導をすることになり、母と一緒に渡米した。その時、オフ・ブロードウェーの劇場で偶然見たのが「ラ・マンチャの男」だった。父はとても感動して、すぐに東京に電話し、このミュージカルをぜひ、私にやらせたい、と言った。

東宝が権利を取得し、日本での「ラ・マンチャの男」の上演が決まった。1969年(昭和44年)4月の帝国劇場、演出・振り付けはブロードウェーから来たエディ・ロールで、ヒロインのアルドンサは草笛光子さん、浜木綿子さん、西尾恵美子さんのトリプルキャストだった。

「ラ・マンチャの男」は、不撓(ふとう)不屈の精神で生きるスペインの詩人セルバンテスの生き方を描いている。投獄されたセルバンテスが、囚人たちに申し開きのため「ドン・キホーテ」の即興劇を演じる形で物語が展開していく。私が演じるのはセルバンテスと、劇中劇で自らを中世の騎士「ドン・キホーテ」と思い込むラ・マンチャ地方の郷士アロンソ・キハーナだ。

後に読売演劇大賞を受賞したが、歌って踊る陽気なミュージカルとは違う。作品は泥沼化するベトナム戦争への厭戦(えんせん)気分を背景に作られた経緯があり、全体的に暗い雰囲気が漂っている。ミュージカルにまだ成熟していない日本では、1度で打ち切りになってもおかしくない作品だった。ところが、私のブロードウェーでの主演がその運命を変えた。世界各地で主役を演じた俳優を招待し、ブロードウェーで共演させる「国際ドン・キホーテ・フェスティバル」が企画されたのである。

芸術座で三島由紀夫作「春の雪」に出演中の9月18日、産経新聞の記者から電話が入った。ブロードウェーのマーチンベック劇場で「国際ドン・キホーテ・フェスティバル」が開かれるが、日本はソメゴロー・イチカワの名前が出ている。出演を希望するかという問い合わせだった。

私は即座に「受けます」と言って、菊田一夫さんに真っ先に報告した。「おめでとう、よかったね」と言葉少なにおっしゃったが、その時の菊田さんのいわく言いがたい表情は忘れられない。なぜ自分ではなく、私にスポットが当たったのか、という悔しさがにじみ出たような感じだった。

日本初のブロードウェー・ミュージカル「マイ・フェア・レディ」を上演した菊田さんにとって、本場で上演することは、それこそ「見果てぬ夢」だった。改装した帝劇でも名画「風と共に去りぬ」を基にオリジナルミュージカルを作った菊田さんは、ブロードウェーでやりたいという悲願を抱いていたのだ。

東宝内部では受けるべきか意見が分かれた。何しろ英語で歌いセリフを言うので、私の英語力への心配と、失敗すれば東宝も恥をかくというわけだ。

我が家でも家族会議が開かれた。その時、父が「いい人を知っている」と言った。以前、アメリカで「勧進帳」を教えた時、弁慶を演じたドン・ポムスという俳優が日本に来ているので、相談してみようということになった。

ポムスさんは「素晴らしいチャンスだ。英語のセリフは引き受けるから、ぜひやりなさい」と激励してくれた。この言葉で招待に応じる決心がついた。

(歌舞伎俳優)

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