松本幸四郎(13) 結婚

閉塞の中での新鮮な風
母から「役者の夫婦は共稼ぎ」

歌舞伎役者松本幸四郎を長年、支えてくれている妻の紀子について語ろう。

旧姓藤田といい、福岡市の開業医の一人娘だった。1963年(昭和38年)、大学受験で母親と一緒に東京に出てきた時、日比谷の東京宝塚劇場でやっていた井上靖さん原作の「蒼(あお)き狼(おおかみ)」を見た。ジンギスカンの役をやっていたのが私だった。千秋楽で大入り満員の札がかかっているところ、開演間際に窓口で切符を入手したのだという。

慶応義塾大学文学部に入った。東京に行ったら絶対にしたい、と思っていたのが踊りの稽古だった。幼稚園のころから日本舞踊を習っていたのだ。先々代の藤間勘十郎さんのような方につきたいと願っていて、父親と縁戚にある女優の香川京子さんの紹介で藤間のご宗家に弟子入りすることになった。稽古場で私を見かけたこともあったらしい。

それからしばらくして明治座で「さぶ」(64年)をやっていた時、共演していた香川さんの縁で楽屋を訪ねてきて初めて顔を合わせた。

二人の仲のキューピッド役は妹の麗子だった。妹も藤間の宗家の踊りの稽古に通っていて、妹が声をかけて家に来てもらい付き合いが始まった。当時は、港区飯倉にある「東急アパート」に住んでいた。家族ぐるみの付き合いが数年続き、その間に紀子も大学を卒業した。

結婚に踏み切った理由は何だろう。65年にばあやがなくなって、ばあやのかけがえのなさを痛感するようになっていた。ネガティブこの上なく落ち込んで、心もすさんだ気持ちの毎日だった。いろいろな仕事をやって名が売れても、足元は少しも定まらない時期だった。

歌舞伎役者の人間関係は閉鎖的で、狭い世界に住んでいる。同じようなセリフを常に強いられ、ライバルとの競り合いもある。

人間としても役者としても地に根が張っていない。そんなふうに感じながら日常をすごしていた自分にとって、彼女は何から何まで別世界の人間に映った。閉鎖的な世界にいるとわからなくなってしまいがちなことだが、彼女の言ってくれる素朴な意見が新鮮に感じられ、何かを解決する糸口を探り当てられる気持ちがし、混沌として暗く濁った自分の心に一筋の光が差し込んだような気がした。

69年7月に婚約発表、結婚式は12月5日、母校暁星学園の教会で挙げた。披露宴は8日午後、ホテルオークラで行った。三船敏郎さんら多くの方が出席してくださった。当時珍しいキャンドルサービスをし、引き出物はティファニーから取り寄せた銀のマドラー兼スプーンひとつ。先端がスコップの形をしている。

親戚の先代今藤長十郎さん、先代藤舎呂船さんの長唄で始まり、森繁久弥さんをはじめ「屋根の上のヴァイオリン弾き」で共演したメンバーが「サンライズ・サンセット」を合唱してくれるという祝福もあった。

しかし、すぐ新婚旅行というわけにはいかなかった。芸術座で「春の雪」の公演中で、結婚式、披露宴も舞台の合間を縫うように行い、その両日も夜の舞台に立った。新婦の紀子には申し訳なかったが、自分には結婚するからその日は休むという発想はなかった。嫁いだ日に妻は母の正子から「役者の夫婦は共稼ぎよ」と言われたという。

(歌舞伎俳優)

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