松本幸四郎(12) ミュージカル

「王様と私」で初出演
2作目、筋肉疲労で足に怪我

ミュージカル俳優としての松本幸四郎が誕生したのは、22歳の時であった。1965年(昭和40年)4月、大阪の梅田コマ劇場の「王様と私」に初めて出演した。

初演が51年のブロードウェーミュージカルで、19世紀のタイを舞台に、西洋化を図ろうとしながらも古い思考様式から抜け出せない王様と、その王子たちの家庭教師として招かれて来たイギリス人女性アンナとの対立、和解までを描いた作品だ。ユル・ブリンナーが王様を演じ、スターの座を獲得した。

数ある候補者の中から、なぜ私が選ばれたのか。アンナ役の越路吹雪さんの希望だったようだ。現代劇には出ていたけれど、本格的な歌唱の教育も受けていない自分にできるのかという戸惑いはあったが、「やれと言われたらやってみせるのが、プロの役者」と、引き受けてしまったような気がする。

越路さんから見れば小僧っ子のような私に、忘れもしない舞台稽古の途中、越路さんが「ヒールを低くするわ」とおっしゃった。稽古が始まってその意味がわかった。王様を立派に見せるため、自分のヒールを低くする、という気配りだったのだ。

しかし、この時期、幼い時から学校、稽古など生活のすべての面倒をみてくれた恩人のばあやが危篤だった。私は稽古が終わると伊丹空港から最終の飛行機で東京に帰り、朝までばあやの病室で看病し、朝になると一番機で大阪に戻るという日が続いた。けれども、末期の胃がんで、あえなく亡くなってしまった。母親代わりに私たち兄弟を育ててきてくれただけに、心にぽっかりと穴が空いた感じがした。

「王様と私」は評判も良く、12月には東京宝塚劇場でも再演された。66年7月には、私にとって2作目のミュージカルとなる「心を繋ぐ6ペンス」が回ってきた。

この作品は63年ロンドン初演のミュージカル。私が演じるのは孤児として育った青年キップス。バンジョーを弾き、歌って踊るというコミカルな役柄だったが、公演の最中に足の筋を切る怪我(けが)に見舞われた。

思いがけず遺産が入り喜んで仲間たちと踊っている場面で、ブツッという音がした。左足のふくらはぎの筋が切れたのだ。ダンサーに時々おこることらしく、一緒に踊っていた金須宏さんと能見英俊さんが、その音に気がついて「動いちゃいけませんよ」と言いながら、2人で私を抱き上げ、そのまま踊ってくれた。

幕に引っ込んだ後、巨人軍のトレーナーとして有名な小守良貞さんが診てくれた。痛み止めをし足をチューブで固定、肩をポンと押されて第2部に出た。菊田一夫さんが青くなってかけつけたが、私は「やります」と言って千秋楽まで休むことなく舞台に立った。

怪我の原因は筋肉疲労だった。6月に芸術座で第7回木の芽会の「素襖落(すおうおとし)」の太郎冠者を勤める一方、「6ペンス」のダンスの稽古もしていた。同じ踊りでも洋の西と東では使う筋肉がまったく違う。それを一緒にやったのだから筋肉も悲鳴をあげてしまったのである。

(歌舞伎俳優)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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