寺澤芳男(27) 英語

常に師求め上達めざす
「話せる政治家は堂々」の印象

1957年、1年間だけ勉強したペンシルベニア大学大学院ウォートンスクールからニューヨークにあるコロンビア大学大学院ビジネススクールに移ったことはすでに触れた。昼は野村証券ニューヨーク支店で働き、午後5時ごろ急いで地下鉄の駅まで走り、ブロードウェーにあるコロンビア大学に通った。当時の早稲田大学のように昼間部と夜間部があったわけではない。コロンビア大学の場合は、授業が朝9時から夜10時まであり、そのうち都合のよい時間帯の授業を生徒は選択した。

午後6時から始まる授業を3つか4つとった。仕事の後で授業中猛烈な眠気に襲われたが、コロンビア大学で学んだのはビジネスではなく、実は英語だった。English As A Second Foreign Languageという特別講義を外国人学生のために用意してくれた。1週間に3回2時間ずつその講義を受けた。

ポイントがふたつある。ひとつはアメリカ人の先生が英語で英語を教えたことである。もうひとつはミシガン大学の講義名と同じタイトルの教科書を使ったことである。

日本人は普通、最初は日本語で英語を習う。私にとってたとえば、「過去完了」という日本語があまりピンとこなかった。ところがそういう難しい日本語を使わず英語で説明されると頭の中にすんなりはいってきた。教科書もすばらしかった。やさしい英語で書かれてあったからすらすら読めた。日本でもどんどん最初から英語の教科書を使って英語を教えたらどうかと思う。子どもにとってはその方が覚えが早いのではないか。

ペンシルベニア大学時代も時々ニューヨーク支店に行って仕事の手伝いをした。当時の支店長は桑山栄一さんといって日系2世でプリンストン大学を卒業した秀才だった。私はよくビジネスレターの下書きをし、支店長に添削してもらった。ビジネス英語を書く基礎知識は桑山さんから学んだ。

ニューヨーク支店長になってからの英語の師匠は秘書の宮川美子さん。私が電話で話した英語をあとできれいに直してくれた。今話したばかりの言葉なので、恥ずかしかったが、すごく勉強になった。多国間投資保証機関(MIGA)長官時代は理事会などの際、横の席に通訳を置いた。といっても日本人の通訳ではない。イギリス人の理事はわざとと思うくらい難しく独特の表現で発言するし、インド人の場合は発音がわかりにくい。アメリカ人にそうした英語を簡単な英語に変えて解説してもらったのだ。

このように私にはその時々、英語の師匠がいた。というより師匠を求め続けた。自分はもうしゃべれるからといった意識はなかった。わからないものはわからない、知ったかぶりをしないという姿勢を貫いた。それとなるべく英語で考えること。いったん日本語が頭に入ると混乱を招く。英和辞典などもなるべく使わない方がよい。

これまで英語の上手な多くの日本人に出会ったが、友人ではやはり行天豊雄君、小林陽太郎君が群をぬいている。政治家でいうと知っている限りでは宮沢喜一さんはとびぬけてうまかった。英語をしゃべれる日本の政治家は外交の舞台で堂々としており、そうでない人はぽつんとしている。これは私だけの感想ではあるまい。

(元米国野村証券会長)

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