寺澤芳男(25) 東京スター銀行

破綻の東京相和を買収
滑り出し見極め豪州へ移住

ローンスター・ファンドの役員会は月曜日の朝8時から9時までだった。話し合いは全部英語で行われた。メンバーはアメリカ人が2人、日本人が6人。日本人の中には英語が得意で流ちょうな人もいたし、そうでない人もいた。しかしだんだん慣れてくると、会議は盛り上がった。

日本人は英語をきちんと文法から勉強しているから、照れたりせずに堂々と、少しぐらい間違ってもよいと思って話せば必ず通用する。それには慣れることが必要なのだ。

楽天やファーストリテイリングが英語を社内公用語としたが、最初はぎくしゃくしても慣れてくればきっとうまくいく。いずれ多くの会社は英語を公用語にするようになるのだから、早く始めた方が勝ちだ。日本人同士が英語でしゃべるのはおかしいという意見があるが、ネクタイを締めて会社に入ったら英語に切り替えればよいわけで、そんなに難しく考えることはない。

ローンスターの社員は有能だった。働きぶりはすさまじく、手掛けていた案件が終わるまで時差との戦いで24時間頑張った。その代わりバカンスの取り方も豪快で1カ月くらい休む。「遅れず休まず」をよしとする日本の一般的なサラリーマンとは大違いだった。

1999年末のクリスマス休暇を私はプーケットで過ごしていた。東京から電話があって、重要な案件が始まるので早く帰国してほしいといってきた。東京相和銀行を買収し、その経営に乗り出すというプロジェクトだった。当時、経営破綻した東京相和銀行は国の管理下で多くの不良債権を整理している真っ最中だった。

年明け早々にアプローチを始め、私は蔵相の宮沢喜一さんらにローンスターが買収したいと働き掛けた。我々の他に買いたいという手が4本ばかり挙がり、政府はどこに売ったらいいか困っていた。最終的にローンスターに買わせるという決定が下った。買収価格だけではなく、複雑な条件があったようだ。

2001年6月、東京相和銀行は「東京スター銀行」として再出発した。私はローンスターを辞めてこの新しい銀行の会長になり、住友信託銀行で副社長を務めた大橋宏さんに頭取になってもらった。証券会社の経営の経験はあるが、銀行と証券会社は同じ金融機関でありながら、カルチャーが全く違っていることを承知していた。

頭取就任を頼もうと電話したとき、大橋さんは翌日から3週間の海外旅行に出かける予定で、荷造りの真っ最中だった。大橋さんは急きょ旅行を取りやめて、すぐに会いに来てくれた。電話をするのが1日遅れていたら、私が頭取にならなければならないところでほっとした。

東京スター銀行が順調にスタートしたのを見極め、1年後には会長を退いて取締役になった。オーストラリアのパースに住むようになってからも、年6回の取締役会と年1回の株主総会には飛行機で通った。時差が1時間しかないから楽だった。ローンスターは08年に保有株を他のファンドのグループに引き取ってもらい、9年がかりのプロジェクトを完結させた。それを機に私も東京スター銀行から完全に離れた。

(元米国野村証券会長)

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