寺澤芳男(22) 国会質問

「在外邦人に選挙権」訴え
米国時代の疑問ぶつける

私は参議院で言うべきことは言い、政治家の役割を果たしたいと考えていた。その際、これまでの自分のキャリアと経験を生かすのが最善だろうと、例えば内閣委員会でこう質問した。

「外国にある日本の大使館で外交官は、その時間の大半を日本からの訪問者のアテンドに使っているのではないか」

外交官には駐在している国の情報を収集し、また在留日本人の生命や財産を守るためにその国の政府とかけあうという大切な役目がある。だが、実際には日本からの国会議員のお世話とか、将来外務省を辞めてから就職口となるかもしれない日本のビジネスマンとの情報交換に多くの時間をさいてしまっている。アメリカにいる間に思っていた疑問を私はぶつけてみた。

外務省のまわりまわった答弁では納得しなかったが、こちらもある意味それは織り込み済みだった。ただ委員会の公式な議事録に私の発言と政府委員の答弁が記載されればそれでよいのだ。外交官が政治家のアテンドをしなければならないのは、一義的には視察する側、政治家に責任がある。言葉も含め、すべて現地におんぶにだっこの日本のステーツマンに猛省を促したかった。

在外邦人の選挙権はどうしても法制化に結びつけたかった。私自身、1992年7月の参議院選挙に立候補したにもかかわらず、投票権がないことを不思議に思った。被選挙権があるのに選挙権がないのである。当時、在外邦人は約70万人に達していたにもかかわらず(現在は約114万人いる)、選挙権は一切認められていなかった。

また、PKO活動で海外にいる自衛隊員らも投票は無理だった。一方で、東京にいる外国人は選挙のときは当然のように大使館で投票する。カンボジアの選挙を監視する日本人が自国の選挙に参加できないのに、国外にいるカンボジア人は比較的簡単に投票できるという奇妙な現象も生まれていた。

国会議員になって早速日本以外に住んでいる日本人が投票できるよう取り組んだ。「外国に住む日本人が一体日本の政治に関心をもつのか」という反論もあった。だが、経済のグローバル化に伴い在外邦人が増えていくことが確実なので、制度改革は当然だった。実際、在外邦人らは積極的に動き、94年3月、ニューヨーク、ロサンゼルス、シドニー、バンコクの署名請願書約3千人分が衆参両院議長に手渡された。このとき私も「海外在住者投票制度の実現をめざす会」のメンバーと面会し、議員連盟をつくるなど、努力を惜しまないと約束した。

参院外務委員会で私はこの問題を積極的に取り上げた。答弁に立つ外務大臣は基本的には同調してくれたが、なかなか具体的な法改正は進まない。やはり一般の政治家は海外に住む日本人の選挙権には関心がなかったようだ。

それでも在外邦人が裁判に訴えてでもという行動に出てくれ、97年、政府は公職選挙法改正案を国会に提出、98年に成立し比例区に限って投票が可能になった。

その間、政権はめまぐるしく変わった。細川さんは政治改革にメドをつけると、94年4月、さっさと辞めてしまった。細川さんは私にとって頼みの綱だったから茫然(ぼうぜん)とするのみだった。

(元米国野村証券会長)

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