寺澤芳男(19) ワシントン生活

優秀な秘書が“指南役”に
故郷の姉妹都市提携 橋渡し

ワシントンの単身赴任の生活は快適だった。朝寝ぼけまなこのままでウオーターゲートホテルのプールに行く。20メートルのプールを20往復して目を覚まし、20分ほど歩いて多国間投資保証機関(MIGA)のオフィスに着く。途中でコーヒーとトーストを買い、オフィスで食べる。秘書のシリアと1日の予定を話し合う。

昼は誰かを誘って外でランチを食べる。ウォール街ではウォール・ストリート・ジャーナルを読んでいればたいていの話題にはついていけた。ほとんどの会話の内容が経済や金融に限られたからだ。ところが世界銀行やMIGAではそうはいかない。いきなり大学の教授が務まるような人たちが多い。色々なことを学べて幸せだった。

夕方、家政婦がアパートの勝手口から合鍵で入ってきて、私の好物を作ってテーブルの上に置き、そして帰る。単身赴任だから気楽なものだ。ビールを飲んでそのまま食べずに寝てしまってもがみがみ言う人はいない。この気楽さに慣れてしまうと夫婦生活の基本は崩れ、別居、離婚の道をたどる。

秘書のシリアはトリニダード・トバゴ出身で一度ドイツ人と結婚したが、当時はワシントンで独身生活を送っていた。英語はまさしくクイーンズイングリッシュで、世界銀行グループでナンバーワンの秘書だった。私のへたな英語を見事な英語に直してくれたし、世銀グループの人たちとの付き合い方を細かく教えてくれた。

40歳そこそこの混血の美人で目鼻立ちは西洋人と変わらないが、茶褐色の皮膚をしていた。1989年から92年まで私の秘書をし、その後、バージンアイランドの英国人外交官と結婚した。結婚式にはMIGAの職員ら10人ほどと一緒に参加した。ワシントンから飛行機で3時間。大西洋の真ん中に浮かぶ美しい島だった。皆がアベマリアを歌っているとき、私は少し離れたヤシの木の下で花嫁のシリアを見ていた。

92年5月、ニューヨークのケネディ国際空港に郷里の栃木県佐野市の毛塚吉太郎市長たちを迎えた。ペンシルベニア州ランカスター市と姉妹都市を結ぶための視察にやってきたのである。

私は佐野中学校の同級生で佐野市の助役をしていた古橋亮一君から姉妹都市提携の相手を探してほしいと頼まれていた。知り合いのジョージタウン大学教授にその話をすると、彼の故郷のランカスター市はどうかと言われた。ランカスターは250年以上の歴史があり、市長は女性で人口は佐野市と同じぐらいだった。教授と橋渡しになって94年10月、両市は正式に姉妹都市となった。

これを機に佐野市の中学校にランカスター出身のアメリカ人英語教師が派遣され、毎年、両市の中学生らがお互いにホームステイをするようになった。それは今も続いている。

ワシントンを離れる前には、ブレトンウッズにある国際通貨基金(IMF)と世銀の職員専用のゴルフ場に165本の桜の苗木を寄贈した。打ち下ろしのショートホールがあり、130ヤードを飛ばさないと池ポチャになる。計算したところ、私は4年間で165個のボールをその池に沈めていた。

(元米国野村証券会長)

ランカスター市のストーク市長(左)と

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Bubbles of river disappear rapidly.

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