インテルはなぜつまずいたか 「分析」の重要性 – 城福浩

監督として選手を指導し、チーム作りをし、試合を戦う。その手前の段階で「分析」という作業は絶対に欠かせない。指導する選手にはそれぞれストロングポイントとウイークポイントがある。その集合体であるチームにも長所と短所がある。それらをどう肉付けし、そぎ落とし、組織として機能させていくか。試合になれば、そこに対戦相手という要素も加わるから事態はさらに複雑になる。

■単に長所や短所を列挙することではなく…

私が考える分析とは単に長所や短所を列挙することではない。「ケネディ(名古屋)は大きいから高さに気をつけよう」「永井(名古屋)はめっぽう速いから注意しろ」といくら口を酸っぱくしてもケネディの身長は小さくならないし、永井の足も遅くはならない。

それは単なる現象というか、表面的に見えているものを言葉にしているにすぎない。選手にすれば言われなくても分かっていることを改めて言葉にされても何の役にも立たない。

分析とは、自分たちと相手の特長やら弱点やら一切合切を試合の中に落とし込んで、実際に何をすべきなのか具体的な策を導き出すことである。

優れたドリブラーを止めることがテーマなら、その選手を止める方策と同時にパスの出所は誰かも探る。配球役が特定できたらマンマークをつけることや、マーカーを一人割くことで自分たちの良さが消えてしまうリスクも計算する。

そういう推論を幾つも立てながら、数限りない組み合わせの中からその時点でのジャストと思える落としどころを探り当てる。その全過程が分析なのだと私は思っている。

■システムの問題が主因とされているが

分析を誤ると、チームは時にとんでもないところに行ってしまう。日本代表の長友佑都が所属するイタリアのインテル・ミラノの今季の不振がそうだろう。

表面的には今季から指揮を執ったガスペリーニ監督がやり慣れた3―4―3システムをチームに無理にはめ込もうとして失敗したことが主原因とされている。3バックがうまくいかないと4バックに変えたり、大黒柱のスナイデル(オランダ代表)を使ったり外したり、采配が迷走したのは確かである。

開幕から公式戦1分け4敗と黒星が続くとクラブはあっさりガスペリーニ監督を解任。後任には老練なラニエリ監督が就き、9月24日のボローニャ戦でやっと今季初勝利を挙げた。

■開幕のころから危うさ感じる

このボローニャ戦、チームは昨季と同じ4バックで戦った。それで「やっぱり3―4―3は無理があったんだ」とシステムが“主犯”にされた。私の分析は少し違う。そういうサッカー以前の問題で今季のインテルには開幕のころから危うさを感じていた。

セリエAの開幕2戦目でこういうシーンがあった。中盤でボールを持ったスナイデルが右斜め前にいた新戦力のFWサラテにパスを出し、猛然とダッシュした。当然そこにリターンパスが来るとスナイデルは思っていたが、サラテはパスを戻さない。するとスナイデルは両手を広げて「何なんだ、こいつは」というジェスチャーを見せた。

エースの逆鱗(げきりん)に触れたサラテはすっかり萎縮し、この後はスナイデルの居場所ばかり探すようになってしまった。これを見て私は「スナイデルが監督にコントロールされていない。言い方を換えるとスナイデルを“その気に”させてない」という危惧を覚えた。

チームに数々の栄冠をもたらしたモウリーニョ監督がレアル・マドリードに去った後、監督選びに苦労しているインテルだが、私は誰がなるにしてもこのチームの指揮を執る者はスナイデルをチームのためにしっかり働かせられる人間でないと厳しいと思っている。

■押さえるべき「本丸」はスナイデル

インテルでまず押さえるべき「本丸」はスナイデルなのである。そこをガスペリーニ前監督は見誤った気がしてならない。

ガスペリーニ前監督とスナイデルの間に溝があったのはイタリア発の報道によっても明らかになっている。3―4―3の導入をもくろむ前監督の下でスナイデルは当初、ボランチで起用されていた。

生粋のアタッカーだけに不満はたまる。そして練習中にミスをした時に監督から「自分勝手なことをするな」と叱責されたことでスナイデルが逆ギレし、一触即発の関係になったという。

これで監督が「もういいよ。だったら若い選手を使うよ」と腹をくくれば、まだ良かったのかもしれないが、その後もスナイデルにはちょくちょく出番が与えられた。ACミランとのスーパーカップ(8月6日、北京)では素晴らしいFKを決めた。

■チーム全体の意識改革が先

かと思うと開幕戦の先発からは外れ、負傷者が出るとすぐに交代で出た。苦しくなると「頼りはやっぱりスナイデル」という感じでコントロールの仕方はぶれにぶれた。

私の分析では、インテルが今季開幕前の段階で済ませておくべきだったのは、新システムへの理解力を高めることではなかった。スナイデルのようなキーマンが必ずしもチームのためにプレーをしていないことに光を当て(昨季からその兆候はあった)、チーム全体の意識改革につなげる方が先だったと思う。

「なぜ、2シーズン前にビッグイヤー(欧州チャンピオン)を手にしてから国内でも欧州でも勝てなくなったのか」

そこを主力とじっくり話し合い、原因について共通理解を持つべきだった。メンバーの内面、チームの現状、醸し出される空気、なぜ今ダメなのか……。そういう切り口から入っていれば、その先にはスナイデルがいて、このエースとしっかり向き合うことができていたのではないか。

■順番を間違えたガスペリーニ前監督

その土台があれば、新システムの成果も違う形で出たのではないか。ガスペリーニ前監督は順番を間違えたのだ。

前の学校で評判の良かった先生が新しい赴任先で生徒に受け入れられないことがあると、友人の先生に聞いたことがある。どこかそれに似ていないだろうか。

前の学校で成功したのと同じ運営方法を導入して突き進もうとしたのはいいが、子供たち一人ひとりのバックボーンやクラスのリーダーの個性は良きにつけ悪しきにつけ違うもの。その分析を省くと、思わぬ落とし穴にはまるのだそうだ。

同じような目線で私が注目しているチームがもう一つある。古豪ローマである。ここにもトッティという元イタリア代表の「顔役」がいる。ローマ一筋で選手生活を送ってきたからファンの支持は絶大。はっきり言って衰えは隠せないが、ここのところの監督たちは「トッティを取るか私を取るか」という戦いに敗れてチームを去っている。

■「トッティ問題」は避けて通れぬはずだが…

そんなチームにFCバルセロナの元名選手でバルサの二軍監督を務めていたルイスエンリケが今季から乗り込んできた。

先日、ローマ―インテル戦をテレビ解説したが、トッティは守備をしていなかった。さすがに攻撃面でボールを持つと輝くのだが、私の目には90分、ピッチに立たせておくパフォーマンスではないと映った。それでも新監督が使った3人の交代枠にトッティは入っていなかった。

ローマがもし今よりも上に行きたいのなら「トッティ問題」は避けて通れないが、新監督はまだ虎の尾を踏んでいないように見える。ローマも“黄信号”で見続ける必要があるのだろう。

新しいチームを率いることになった監督にとって、チームのボス的な存在である選手とどう折り合いをつけるかは腕の見せどころであり、監督としての最初の仕事ともいえる。

■一律の対処法はない

そういう選手は大概、実力者であることは間違いないから、その持てる能力を最大限に発揮させられたら、すべての能力がチームのためにプラスになるように仕向けられたら、チームは間違いなく上昇気流に乗る。骨が折れる作業ではあるが、そこをネグってしまうと後々の禍根になるものだ。

チームの中で存在感を発揮していても、性格も気性も背負っているものも、選手によってバックボーンは違うから一律の対処法はない。仲間の前で面罵されて耐えられる選手もいれば、そんなことをされたら死んでも許さないという選手もいる。

インテルでいえばサネッティ(アルゼンチン代表)などは放っておいてもチームのために死ぬまで頑張るだろう。一方で天才肌の選手はとがった部分があるので扱いは難しいが、彼らには向上心に訴えるやり方が効く。

「ここを直さないと試合では使えない」ではプライドが傷つき、へそを曲げてしまう。「お前のこういう能力は認めているが、チームが次のレベルに行くためにここも意識してやってくれ。それをやってくれるならお前をチームの中心として考えていく」というようなアプローチ。「それができないなら昨季と同じ成績になってしまう。それでお前は満足なのか」と。

■モウリーニョ監督のうまさ

世間にはなかなか漏れ出てこないが、今、レアル・マドリードを率いるモウリーニョ監督はこの辺が最高に上手なのだと思う。心のつかみ方、入り方、物差しのブレの無さ、心中の仕方、距離のとり方。世界一になるために何が必要か、それを選手それぞれに落とし込んで語り、説くのが最高にうまいのだろう。

スナイデルもインテルを去ったエトー(カメルーン代表)もモウリーニョ監督の下では懸命に守備をし、欧州チャンピオンになった。それも「そうしないとバルセロナに負けてしまう」という説き方ではなかったと想像する。

もっとポジティブな「我々は世界一のチームなんだ。その称号を手にするために、証明するために、ここはやろうぜ」というアプローチだったと思う。そうでないと、あそこまで生き生きと守りに奔走できない。「頑張れ」を100回言っても心に火は付けられないものだ。

■カネの力で選手を集めているチームは…

そういう意味では、どうも私は、カネの力で選手をどんどん集めて強化を図るチームが好きになれない。今ならオイルマネーで潤うUAE(アラブ首長国連邦)の投資家グループに経営されているマンチェスター・シティーだろうか。

こういうチームは選手を走らせるものをカネの力に委ねている気がするのである。そこで守備をするのも、そこで体を張るのも「ほかの選手の倍、もらっているんだから当たり前だろ」みたいな。こういうチームは一時的には勝つし、タイトルを取るかもしれないが、歴史に残るチームになるかというと、難しい気がする。

対照的なのが、やはりバルセロナだろう。ここはもう、あらゆる意味で突き抜けた感じがする。

■バルサの選手たちが志向するもの

カネのためのサッカーでも、勝利やタイトルを求めてのサッカーでもない。サッカーという競技をこれまでとまったく違うものにして提示しようとしている。それ自体が選手の、クラブのモチベーションになっている感がある。

バルサの選手は負けると「きょうは相手がサッカーをしてこなかった」「ゲームを壊しにきた」とよくいう。自分たちは創造に従事し、相手は破壊に従事する。そんな意識が濃厚にある(彼らのその発言が的を射ている、彼らのサッカーが全てだ、とは決して思っているわけではないが……)。

「真のサッカー」「新しいサッカー」を提示しようとし、その証拠として優勝がついてくる。目指しているものはサッカーのクオリティーを上げることそのもの。勝利をチームにささげるために頑張っているのとはちょっと違うように感じる。

■質を問題にするチームには「終わり」がない

こういう意識で戦っていたチームが過去にあったのかどうかは知らないが、とにかく言えることは、こういう意識には簡単に限界が訪れないことである。バルサの選手たちが高年俸であることは承知しているが、とは言ってもタイトルやカネが目的ならいつか満たされる。飽きも満腹感もくるだろう。しかし、クオリティーを常に問題にするチームには「終わり」がない。

ゆえに、監督も選手も志を同じくする同志的結合がないと、しっくりいかない。イブラヒモビッチやエトーがどんなに優れていても長居できない理由の一つのように思える。

監督も同じ。現監督のグアルディオラはバルセロナのOBでクラブの哲学を知り抜いているから理想的なのだろうが、“よそ者”にはちょっと厳しいのかもしれない。

サッカーコーチング(城福浩:前FC東京監督)