室伏稔(16)瀬島龍三さん

短い間だが謦咳に接す
「縦割り」に「横ぐし」常々強調

「室(室伏)さん、ありがとう。伊藤忠を頼むよ。日本を頼むよ」。瀬島龍三さんは小さな声で私にこう言うと、ほっとしたように目を閉じられた。2007年夏、調布の瀬島さんのお宅にお見舞いに伺った時が最後のお別れになった。

瀬島さんが伊藤忠に入社したのは1958年1月、11年に及ぶシベリア抑留から帰国してからだった。当時、私は原料炭の輸入を手掛ける若手社員で、瀬島さんとの接点はほとんどなかった。仕事をご一緒するようになったのは、瀬島さんが業務部長になり、私がニューヨーク駐在になってからのことである。

私が石炭担当から北米総支配人席に異動したのは、瀬島さんのご意向であり、「GM―いすゞ提携」などでは瀬島さんの陣頭指揮のもとで働いた。帰国し本社の業務部勤務になってからは瀬島さんの謦咳(けいがい)に接することになった。

一時「瀬島学校」と呼ばれたことがあった。業務部、業務本部で瀬島さんのスタッフ集団をマスコミがこう呼ぶようになった。瀬島さんが「元大本営参謀」ということで様々な関心を持たれたためだが、私はこの呼び方に何となく違和感があった。私自身は瀬島さんに直接、指導を頂いた期間も短く、「瀬島学校」を語るには内心、忸怩(じくじ)たるものがあるが、いくつかお話ししたいこともある。

まず当時の業務部の役割を簡単に説明したい。国際化、非繊維部門の拡大発展を目標とし、2つの重要な機能があった。「中長期、短期の全社的経営計画、組織、制度の企画、立案、管理」と「グループ戦略並びに成長戦略につながる全社的プロジェクトの推進」である。それを十数人の人数でこなしていた。「重要な部署ほど少数精鋭」が瀬島さんの考えだった。

経営企画担当以外の部員は各営業部門から2名ずつ選抜された社員で、出身部門と密接に連携し、予算や決算の精度を高め、全社プロジェクトで営業部門との協力を担った。瀬島さんが業務部長になった61年に伊藤忠は資金繰り難に見舞われた。瀬島さんの指揮の下、危機は回避できた。予算・決算・資金の正確な把握は、経営安定に不可欠で、「瀬島業務部」の原点だった。

一方、各営業部門は短期の利益を追求しがちで、資金が固定化する長期プロジェクトを避ける傾向も目立っていた。それを業務部が資金と人員を負担し、全社プロジェクトとして遂行しようというのが瀬島さんの発想だった。

総合商社にとって強さと弊害の両面性を持つ「部門縦割り」に部門横断的な総合調整機能という「横ぐし」を通すことの重要性を瀬島さんは耳が痛くなるほど強調された。恐らくは瀬島さんの大本営における経験が伊藤忠の業務部の機能に反映されているのだと思われる。

瀬島さんは業務部員向けに「心得」をつくられた。

 (1)「着眼大局 着手小局」目標は高く、広く、長期的に。実行は着実、綿密に
 (2)戦略は戦術をカバーするが、戦術は戦略をカバーできない
 (3)心得メモ
 ・仕える上司の意図をよくつかみ、誠心誠意仕えるべし
 ・勉強せよ。経済情勢、業界情勢、営業・商品知識
 ・謙虚たれ
 ・営業部門とは御用聞きのつもりで接するように

(元伊藤忠商事会長)

ナイジェリアの鉄鋼関係プラントの式典に出席(右から筆者、瀬島さん)

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