その夜、オプション市場で「想定外」が起きた

震災直後の異常値を検証する

東日本大震災の発生から間もない3月14日夜。日経平均オプション市場で異変が起きた。日経平均株価の同日終値(9620円)を大幅に下回る権利行使価格である7500円や8500円のプット(売る権利)の価格が突如として上昇。この値動きに呼応して、売りポジションを持つ投資家による反対売買が加速し、価格はみるみるうちに急騰した。

端緒は午後8時43分ごろ、権利行使価格8500円のプットで起きた。直前まで200円台だったオプション価格が一気に970円にまで跳ね上がった。この時、同じく夜間取引が行われていた日経平均先物は9320~9330円でほとんど値動きがなく、本来ならプットの価格が急上昇することは想定しにくい。だが、ここでオプション市場に生じていたのは、8500円という時価より安い価格で売る権利が、時価より高い1万円で売る権利よりも高くなる異常事態だった。こうした価格形成は長続きするはずもなく、実際、間もなく8500円のプットの価格は元の水準に戻ったが、影響は権利行使価格が7500円や7000円のプットなどにも広がった。

株価指数オプションとは 株価指数を対象にあらかじめ決められた価格(権利行使価格)で売ったり、買ったりする権利を取引する金融派生商品(デリバティブ)の一種。売る権利をプット、買う権利をコールと呼ぶ。日経平均株価を対象にした取引を大阪証券取引所、東証株価指数(TOPIX)を対象にした取引を東京証券取引所が開設している。
オプションの売買では、買い手は売り手にオプション料を払って権利を手に入れ、売り手はオプション料を手に入れる代わりに買い手の権利行使に応じなければならない。双方の損益は相場動向で変動するが、買い手の損失は最大でもオプション料にとどまるのに対し、売り手の損失は理論上、無限大に広がる可能性がある。
オプション価格は一般的に、時価と権利行使価格の価格差に応じて決まり、プットならば時価より権利行使価格が高くなるほどオプション料は高く、行使価格が安くなるほど安くなる。オプションの決済は取引の対象となっている銘柄の限月の特別清算指数(SQ)で行われるが、決済を待たず市場で反対売買することもできる。

東日本大震災は3月11日金曜日の取引終了間際に起きた。その影響を本格的に織り込み始めたのは14日からで、同日に日経平均は633円下げた。今から振り返れば15日にはさらに1000円以上の下げがあったのだが、14日夜時点ではそこまでは予想しきれない。実際、14日夜の日経平均先物は軟調だったものの9000円台で推移していた。では、なぜオプション市場に異変が起きたのか。

市場関係者の声から推察すると、時価から乖離(かいり)した銘柄への注文だけに一部には誤発注ではないかとの指摘もあるが、最初は取り立てて大きな注文が入ったわけではないようだ。個別株が取引されていない夜間取引では日経平均オプションの商いは薄くなりがち。とりわけ7500円や8500円といった行使価格の低いプットであれば、待機している指し値の売買注文も少ないため、少額の買い注文でも値段が上昇しやすく、注文の規模以上に相場に影響が出やすい面がある。

そうした価格変動に弾みをつけたと指摘されているのが、松井証券が2月に導入したロスカット口座だ。この口座は1分おき程度の頻度で市場価格を参照して、先物やオプションの持ち高の評価額を算出している。評価額が減少し、あらかじめ定められた必要証拠金を満たせなくなった場合は持ち高が反対売買によって強制的にロスカットされるというルールだ。市場でついた価格であれば、理論上は説明がつきにくい価格でも、ルールに基づいて反対売買は淡々と執行される。市場では「最初の買い注文は誤発注だったかもしれないが、その価格上昇によって雪崩のようにロスカットを巻き込んでいった可能性がある」(国内証券)との見方も出ている。

この口座でオプションを取引していた横浜市のAさんは反対売買が発動し、保有していたプットの売りポジションが高値で次々と買い戻されていた。「一度、ロスカットルールが発動すると何をどうしても注文を取り消すことはできなかった」といい、数分のうちに損失は1億円超に達してしまった。Aさんは「8500円のプットの価格が1万円のプットの価格を上回るという理論上ありえない価格を異常値としてはじくことができなかったのは証券会社のシステム不備。口座勧誘時にもこうしたリスクの説明はなされなかった」として、4月下旬、松井を相手に訴訟に踏み切った。

松井は市場で売りと買いがマッチした価格をもとに、契約に従って反対売買を発動した。むしろ、裁量で「異常値」として認識し、反対売買を取りやめる方が、証券取引の仲介者として問題となりうるという面もある。

個人投資家のオプション取引 大阪証券取引所によると、昨年1年間での個人の日経平均オプションの売買代金はプットとコールを合わせて4820億円だった。ここ数年は4000~6000億円で推移している。「日経平均先物と比べて商品設計が複雑なため、株式などの取引経験の長い投資家でなければオプション取引は敬遠しがちだ」(ネット証券)という。
もっともセミプロを自任する一部の個人がオプション料狙いで取引を手掛ける例も少なくないともいわれる。プットに着目すると、個人は昨年76億円売り越していた。「相場の変動率(ボラティリティー)の低下を背景に、プットを売ることで小刻み利益を上げようとする個人が増えていた」(国内証券)との指摘がある。

3月14日にオプション市場で起きた「想定外」の事態。市場関係者の間では「今回のような異常値は証券取引所が約定を取り消すという対応も選択肢としてあったのではないか」との見方も出ている。想起されるのが昨年5月6日にニューヨーク市場で起こった「フラッシュ・クラッシュ」だ。ダウ工業株30種平均が突如急落し、一時1000ドル近く下げたこの事件。原因は究明されていないが、株価指数先物への誤発注をきっかけに、高速度の電子取引により様々な裁定が働き、株価が急落したものとみられている。米ニューヨーク証券取引所などは価格が60%以上変動した取引を無効とするなどの異例の措置で対応した。

日経平均オプションを上場している大阪証券取引所の規定では「過誤のある注文により取引が成立した場合において、その決済が極めて困難であり、本所(大証)の市場が混乱するおそれがあると認めるときは,本所が定める取引を取り消すことができる」としている。だが、「過誤のある注文」「決済が極めて困難」に数値などの明確な基準を設けることは難しい。「サーキットブレーカーなどの措置で誤発注などによる市場の混乱を防ぐ仕組みはある程度用意しているが、むやみに規制を強めすぎてしまうと自由な取引に支障をきたす」(大証)という側面もある。

こうした状況を踏まえ、大証はネット証券各社と共同で、ワーキング・グループを設置。個人投資家のオプション取引での損失の原因を検証し、改善策の検討に入った。6月末までに議論をまとめ、必要な改善策は実施していく構えだ。

ハイ・フリークエンシー・トレーディング(HFT、超高速・高頻度取引)や金融工学に基づいたロスカットルールの仕組みは金融市場の効率性や流動性を高める上で重要ではある。だが、プログラムにまかせきると、なんらかのショックが起こったときに、事前に想定していなかったかたちで、プログラムが「暴走」するリスクもある。今回の事件は効率性がもたらす副作用を投資家のみならず、証券会社、証券取引所にも改めて突きつけている。

(後藤達也)

バフェット氏はなぜタンガロイを選んだ?

「メードバイJAPAN」第4部

東京電力福島第1原子力発電所の南40キロメートル余りに本社・工場を構える超硬工具大手のタンガロイ(福島県いわき市)。米国の著名投資家、ウォーレン・バフェット氏が3月下旬の初来日の場所として選んだ会社だ。震災と原発事故で来日はキャンセルになったが、世界の経済人が「オマハの賢人」と敬愛するバフェット氏は、なぜわざわざタンガロイに足を運ぼうとしたのだろうか。(連載記事は日経産業新聞5月31日付に)

IHI相馬工場と同じく、タンガロイも東日本大震災の被害に遭ったが早期の復旧を遂げた。そこには親会社であるイスラエルの切削工具メーカー、イスカルを中核とするIMCグループの強力な支援があった。「小さな家族経営」。IMCのエイタン・ベルトマイヤー会長は、何よりも社員の気持ちを大切にする経営理念を掲げる。バフェット氏はこの考え方を高く評価し、IMCに巨額の投資をしている。ベルトマイヤー会長の経営がいかにタンガロイの現場の人々を励まし危機を乗り切るための支えとなったのか。そこには、窮地にある日本企業が学ぶべき教訓がある。

今回、バフェット氏は3月21日から2日間、タンガロイを訪れる予定だった。まずは、バフェット氏とタンガロイ、そしてIMCのベルトマイヤー会長、この3者の関係について詳しく紹介しよう。

タンガロイは2008年11月、超硬工具で世界2位のIMCに買収された。その2年前の2006年、IMCにはバフェット氏が当時の邦貨換算で4800億円を投じて、8割の株式を取得している。

■バフェットが驚いた「小さな家族」経営

これは当時、バフェット氏にとって初めての米国以外での大型投資だった。決断の裏にはIMCのベルトマイヤー氏が実践している優れた経営があった。その極意は「社員の1人ひとりを大切にする、思いやりのある『小さな家族主義』経営」だ。目先のことよりも、社員の気持ちを大切にし、100年先を見据えて会社を動かす。バフェット氏は当時、「こんなすばらしい経営はみたことがない」と驚き、巨額投資を決断した。

もともと、投資話はベルトマイヤー会長から持ちかけたものだ。イスカルは非上場のため企業買収が難しいという悩みを抱えていた。世界最大手であるスウェーデンのサンドビックを追撃するためにはアジアなどでのM&A(買収・合併)は急務。バフェット氏のグループに入ることができれば、世界戦略は大きく前進する。バフェット氏は巨額投資をしても、経営そのものはベルトマイヤー会長に任せてくれた。そして同社にとって空白地帯に近かった日本で手に入れたのが、かつて「東芝タンガロイ」として知られたタンガロイだった。

ベルトマイヤー会長がバフェット氏の初来日に際してぜひとも見せたかったものがあった。タンガロイの新工場のオープニングセレモニーだ。単なる工場の竣工(しゅんこう)式ではなく、「タンガロイ復活の象徴」のイベントだったからだ。

IMCがタンガロイを買収したのはリーマン・ショック直後の2008年11月。主力顧客の自動車業界が設備投資を一斉に凍結し、注文した部品はキャンセルの嵐に見舞われた。タンガロイは大赤字に転落し、競合他社のような大規模なリストラは避けられそうにない状況に陥っていた。

東芝の子会社時代には業績悪化のたびに本社からの要請を受けて何度も人員削減した。しかし、リーマン・ショック後の危機を受けた打開策はこれまでとは全く異なるものだった。ベルトマイヤー会長はタンガロイの上原好人社長が温めていた新工場の建設計画をすぐに実行するように指示する。09年春のことだ。投資額は100億円強。売上高の2割以上に相当する額だ。

■イスラエルから放射能の専門家派遣

危機こそ好機――。この決断がタンガロイの復活を後押しする。上原社長は「他社に先行して設備を発注できたため、古い工場建屋に導入して、2010年からの需要回復に対応できた。本当に良い会社に買収してもらったと思う」と語る。最新鋭の建屋は今年1月に完成し、大震災にもびくともしなかった。古い工場建屋から設備を移し、生産の早期回復にもつながっている。ベルトマイヤー会長が同社を家族のように扱ってくれるため、現場の士気が高まっていることも大きい。

上原社長は「震災でもイスラエルからの支援は素早かった。社員も喜んでいる」と話す。タンガロイのいわき工場は東電福島第1原発から40キロメートル程度しか離れていない。そのため、タンガロイ製品についての「風評被害」が出ていた。IMCはイスラエルの政府系機関から放射能測定の専門家を4月11日に派遣してきた。世界から認められた公的機関が製品の放射能を測定し、問題ないことを示す認証を与える。さらに、設備内に入る放射能を遮断するためにどんな方策が必要なのかを細かく教えてくれた。例えば、「工場内の芝生には入らないように」ということ。靴に放射能物質が付着しやすいからだという。IMCは主力輸出先である欧州でも、ベルギーの公的機関に依頼して、物流倉庫で製品の放射線量を調べ、顧客の心配の芽をすばやく取り除いた。

こんなこともあった。超硬工具の生産工程で重要なのがタングステンなどの原料を焼き固める焼結炉だ。新工場ではドイツの機械メーカーから購入し、4月にも据え付ける予定だった。だが、原発事故でドイツ人技術者が来日を拒否した。上原社長らが困っていると、イスラエルの本社から「タンガロイの技術者をすぐに送ってこい」との指示があった。焼結炉の据え付けや試運転に詳しいIMCの社員が2週間かけてすべてのノウハウを教えてくれる、というのだ。上原社長は5月中旬から2人の技術者を送り込んだ。「困ったことがあれば、なんでも面倒を見てくれる。子会社とはいえ、ここまで親身な親会社があるのか」と、上原社長も舌を巻いた。

ベルトマイヤー会長がタンガロイを全面支援するのは単なる「優しさ」だけからではない。そこには長期を見据えた深い戦略がある。

タンガロイが成長すれば欧米や韓国などにあるグループ企業との競争が激しくなる。そして各社による切磋琢磨(せっさたくま)によって企業グループはより強くなれる、という計算があるのだ。中核のイスカルは、複雑な形状の超硬工具を生産できる世界有数のプレス技術を持つ会社。360度すべての角度から圧力をかけて、切削する先端部を増やすような技術だ。こうした秘伝のノウハウもすべて、グループ会社には伝授される。タンガロイの新工場にはすでに、イスカルが使う独自のプレス機械が入れられている。

■お金持ちでも「ランチは1日1度」

ベルトマイヤー会長とはいったいどんな人物なのだろうか。会長は創業者であるステフ・ベルトマイヤー名誉会長の息子。ステフ名誉会長はイスラエルの英雄として、尊敬を集める経済人であり、政治家でもあった。その創業者の経営哲学を息子が受け継いでいるのだ。

ステフ氏は1930年代後半、ナチスドイツによるユダヤ人の迫害から逃れ、現在のイスラエルに渡ってきた。48年にイスラエルが独立を宣言した後の第1次中東戦争で義勇兵となる。ただ、名誉会長は手先が器用だったため、工作機械で使う超硬工具の開発を志した。武器を製造する基盤技術として重要だったからだ。現在のレバノンから近い北部の町テフェンの自宅で、52年にイスカルを創業した。

この会社の存在を一挙に世界に知らしめたのが67年の第3次中東戦争だった。アラブ諸国に配慮したフランスが、戦闘機「ミラージュ」のイスラエルに対する禁輸を決定した。イスラエル空軍は頭を抱えた。戦闘機エンジンを開発していくにはタービンブレードの加工が必要だが、その技術は極めて難易度が高いからだ。だがエンジン部品を削るために世界でも最高レベルの超硬工具を名誉会長らの技術チームは見事に開発した。

エイタン会長は「イスカルが長年成功できたのは父の存在が大きい。父は常に従業員を家族のように大切にしてきた」と語っている。何度も経営危機に直面したが、雇用にはほとんど手をつけていない。例えば、2008年秋のリーマン・ショックでも業績は一時的に悪化したが、従来と比べて単位時間当たりの切削量を3倍に増やした旋盤の超硬工具など強力な新製品を相次いで投入し、危機を乗り越えた。

ベルトマイヤー会長が社員を大切にするエピソードは数多い。同会長はバフェット氏にイスカルの8割の株式を売却したが、その売却益は1952年の創業以降、イスカルに所属していた従業員すべてに還元された。草創期からの従業員には亡くなっている人も多いが、それでも会長の指示で子供や孫を捜し出して、多額の「感謝金」を支払った。ベルトマイヤー会長は言う。「お金をたくさん持っても、ランチは1日に1度しか食べられない。1度しか寝られない。大切なのはポケット(お金)よりもハート(心)だよ」と。

(産業部次長 佐藤紀泰)

ゾゾタウン快走の陰に女性取締役

続・ヒットメーカーの視点(2)

20~30代の支持を集め快走を続ける日本最大級の総合ファッションサイト「ZOZORESORT(ゾゾリゾート)」。取り扱いブランド数は1370以上、登録会員は300万人を超す。ネット通販に慎重だったアパレル各社を口説き、有力ブランドの販売に道筋をつけたのは、運営会社スタートトゥデイで唯一の女性取締役である大石亜紀子さんだ。同社では初めて在籍中の出産を経験するなど、ワークライフバランスの理想的なモデルとして自身も疾走している。

ユナイテッドアローズ、ビームス、シップス、アクアガール――。人気ブランドがずらりと並ぶトップ画面。売り上げ減にあえぐ百貨店など店舗中心の小売業界を横目に、成長を続けるサイトがある。取り扱いブランド数1370を超えるZOZORESORTだ。その中の主たるEC(電子商取引)サイトが「ZOZOTOWN(ゾゾタウン)」。このサイトを立ち上げ、急成長に導いたキーパーソンが、スタートトゥデイ取締役の大石亜紀子さんだ。

体育短大を卒業後、「学生時代のアルバイトの延長で」通信会社のコールセンターで派遣社員として働き始めた。しかし、21歳で“派遣切り”の憂き目に。1年半の無職期間を経て、再び派遣社員として音楽系出版社で働くうち、「もっと会社に貢献できる働き方がしたい」という意欲が高まり、25歳で転職活動を始めた。好きな服飾関係の仕事を地元で探そうと、転職情報サイトで「アパレル・幕張」と検索して見つけたのが、当時社員7人のスタートトゥデイだった。「仕事のない悔しさを味わったから、『何でもやります!』とやる気をぶつけて、入社後は本当に何でもやった」

■ネットに否定的なアパレル各社を説得

当時、アパレル通販事業を始めたばかりだった同社の課題は、まだ展開のなかったウイメンズの強化。大石さんは、女性向けセレクトショップの立ち上げを任された。担当したのは、企画から買い付け、商品管理、販売促進まで、アパレルネット通販にかかわるほぼすべての業務。深夜勤務、徹夜をいとわず「会社を大きくしたい」という純粋な気持ちで働いた。

そうした姿勢が評価され、04年、従来のECサイトを刷新してZOZOTOWNを立ち上げる際、営業企画部マネジャー(当時)の武藤貴宣さんとともに、ブランド営業を任された。

「人が集まれば商品は売れる。人を集めるために、強力なショップに参加してもらおう」と考えた大石さんは、地道な営業活動から始めた。「数年間営業し続けてやっと入っていただいたショップもありますが、出店までに至らないショップであってもコミュニケーションを取り続けました」

当時アパレル業界では試着のできないネット通販に対して否定的なブランドがほとんど。マイナスからのスタートだった交渉の場では、「サイト上であってもCG(コンピューターグラフィックス)などを駆使することによって、個々のブランドが持つ独自の世界観を表現できる」と、ZOZOTOWNに出店する魅力をアピールした。

他にも、商品画像のカット数を増やしたり、サイズの詳細を表示したりするなど、ネット上でも安心して販売できることを伝え、ブランド側の心をつかんでいったのである。

もうひとつ重視したのが、丁寧なアフターケア。出店が決まったブランドには、毎日のように電話で売り上げ状況を報告するなど密なコミュニケーションを徹底し、部下にも指導。同時に、ブランド側のリクエストへ柔軟に対応できる体制も整えた。例えば、「服を実際に人が着た状態で、お客様に見せたい」という要望があれば、すぐに自社スタジオでモデルが着用した画像を撮影して掲載写真を差し替えた。こういった迅速で柔軟な対応が次第に評判となり、業績向上につながったのだ。

「決まった型に合わせてもらうのではなく、『どういう方法が一番便利ですか?』と相手に聞いてその実現を目指しました。ブランドがお客様に何を伝えたいのか、一緒に考えてネット通販を協働する姿勢を貫いたら、賛同者が増えていった」

出店営業と並行し、EC事業に欠かせないカスタマーサポート部門の開設などZOZOTOWN運営の基盤となる体制作りに貢献したのも大石さんだった。「どんなトラブルが舞い込んでも、すべて対応できるように力を尽くした」

■強力ブランドの出店で、店舗数も会員数も急増

05年にユナイテッドアローズが出店を決めると、ネット通販展開に消極的だったブランドの出店も加速。17店だったショップ数は、210店以上に飛躍した(10年10月末時点)。このうち100店以上の出店を、大石さんが率いる部門で取りまとめた。出店営業の責任者を務めた期間に大石さんが動かした予算は、累積約218億円(商品取扱高)に上る。人気店の獲得によって会員数も大幅に飛躍。「世界中をカッコよく、世界中に笑顔を。」という企業理念そのままに、どこに住んでいても、最先端のファッションを楽しめる社会実現に大きく寄与した。

急成長を遂げた同社は、07年12月東証マザーズに上場。10年3月期の売上高は前年比60.4%増の171億6000万円に達し、10年6月には、マザーズでサイバーエージェント、ミクシィを抜いて時価総額1位となった。

開設時は「男性向けが中心」であったZOZOTOWNだが、ユーザー層の男女比は現在男性4.5対女性5.5に。同社の急成長のカギとなったウイメンズ部門の強化に貢献した大石さんは、会社の成長とともに、29歳でディレクター、30歳で取締役と、キャリアの階段を駆け上った。28歳で結婚。取締役就任とほぼ同時に妊娠が分かり、31歳で長女を出産。子育てと両立しながら、EC事業全般を統括する立場として、会社の事業のおよそ半分を管理していた。同社では初となる在籍中の出産を経験するなど、自らが女性社員のワークライフバランスを促進するモデルとして先陣を切っている。

「仕事は仲間づくり。仕事を通じて同僚と家族みたいな信頼関係を築くのが楽しくて、うれしくて。がむしゃらにやっているうちに役員になっていました。プレッシャーに押しつぶされそうなときもあるけれど、たとえ折れたとしても、周囲に助けてもらえる信頼関係を築いてきたつもりです」

「マネジメントの本を読んだこともなかった」が、実地で試行錯誤しながら自分なりの部下育成術を探るのが大石さん流。スタッフの個性に合わせてショップの担当を任せるなど、モチベーションを上げる工夫をする。一方で、「平均年齢27歳と若い会社だからこそ、お客様に丁寧な印象を与えることが重要」と、挨拶を含め基本的なビジネスマナーを徹底する。

■「ホームグラウンド」が欲しかった

大石さんは、09年には、同社の要である物流部門の責任者となり、130人以上を率いながら物流拠点「ZOZOBASE」の大リニューアルを推進した。東京ドーム3分の2ほどという広大な場所で、効率的な在庫管理・配送体制を強化。10年11月からは人事や広報などの機能も管轄する。社員が個性を伸ばしやすいオフィスデザインも構想中だ。

「20代のときは、仕事より早く結婚したいなんて考えていました。でも実際に仕事がない時期を経験すると、何かに打ち込みたいという気持ちが生まれるんですね。今は挑戦できる環境を与えてもらい感謝していますし、同じようなチャンスを後輩にもあげたいと思うんです」

8年前、くすぶる思いを胸に向かった採用面接で、大石さんは入社動機を聞かれ、「ホームグラウンドが欲しいんです」と答えた。いま、自分が求めたホームグラウンドに立てた、と実感している。

(ライター 宮本恵理子)

[日経WOMAN 2011年1月号の記事を基に再構成]

<この事例のすごさはここ>
ZOZOTOWNの強さは、各アイテムの生産数が少ない東京・原宿などの個性的なファッションブランドと、ユナイテッドアローズやビームスなど10~40代までに人気のセレクトショップの両方が多数出店している点にある。ブランドショップが近所にない消費者にとっては「ここでしか買えない商品」が目白押し。大手セレクトショップの出店は、ネットショッピングに対する安心感をもたらす。

“オシャレ好き”をひき付けるデザイン性の高いサイトも人気の秘けつだ。20代まで音楽活動をしていた前澤友作社長をはじめ、ファッション感度の高い役員・社員が多く、システムの自社開発にもこだわる同社は、サイトのデザイン性と機能性を高次元で融合させやすい。

アパレル業界には数人程度の小規模メーカーが多く、ECサイトを自社運用するには資金も人材も不足しがち。オシャレ好きのツボを知るスタートトゥデイは、そうしたアパレルメーカーとって足りないピースを埋めてくれる存在なのだ。

スタートトゥデイ 取締役(想像戦略室・フルフィルメント本部担当)の大石亜紀子さん。同社はユナイテッドアローズやビームスなど200店以上が出店する総合ファッションサイト「ZOZORESORT」を運営。伊勢丹の男性向けサイトなど他社ECサイトを支援する事業(サイト構築、運営、物流など)も好調。2011年3月期は売上高238億円(前期は172億円)、営業利益59億円(同32億円)を見込む(写真:大槻純一)

フランチャイズとは

■日本の定義

フランチャイズとは、事業者(「フランチャイザー」と呼ぶ)が他の事業者(「フランチャイジー」と呼ぶ)との間に契約を結び、自己の商標、サービスマーク、トレー ド・ネームその他の営業の象徴となる商標、及び経営のノウハウを用いて同一のイメージのもとに商品の販売その他の事業を行う権利を与え、一方フランチャイジーはその見返りとして一定の対価を支払い、事業に必要な資金を投下してフランチャイザーの指導及び援助のもとに事業を行う両者の継続的関係をいう

社団法人日本フランチャイズチェーン協会(略称:JFA)の定義より
(昭和47年6月策定、同54年4月一部改定)

■アメリカの定義

Franchising is a method of distributing products or services. At least two levels of people are involved in a franchise system: (1) the franchisor, who lends his trademark or trade name and a business system; and (2) the franchisee, who pays a royalty and often an initial fee for the right to do business under the franchisor’s name and system. Technically, the contract binding the two parties is the “franchise,” but that term is often used to mean the actual business that the franchisee operates.

フランチャイジングとは、商品・サービスの流通手段である。少なくとも二者がフランチャイズ・システムに係わり合いを持つ。(1)一人はフランチャイザーであり、フランチャイザーは商標もしくは商号とビジネス・システムを提供する。(2)もう一人はフランチャイジーで、フランチャイザーの名称とシステムの下で事業を行う権利を取得するために、ロイヤリティーや時にはイニシャルフィーを支払う。法的には、二者間の契約が「フランチャイズ」であるが、時にはフランチャイジーが運営する実際の事業を意味するのに使用される

International Franchise Association 国際フランチャイズ協会(略称:IFA)の定義
(IFAのホームページより 邦訳はフランチャイジングJP)

経営面での教育をするところが、代理店と違う。
FCに短期契約はないことも、代理店と違う。