ジョージ・W・ブッシュ(20)大義喪失

大量破壊兵器は無い
2つの過ちと揺るがぬ思い

2003年12月、イラクのティクリート近郊でかつての専制君主、サダム・フセインはその身柄を拘束された。自らの出生地であるティクリートから南に15キロ離れた農村に潜伏していたフセインは白いあごひげをぼうぼうとはやしたまま、約2メートルの深さの穴の底で横になっているところを取り押さえられた。

それから3年後、すでに主権を委譲されていたイラク政府は、イスラム教シーア派住民を虐殺した「人道に対する罪」で、死刑が確定していたフセインの絞首刑を執行した。ほぼ、四半世紀にわたり、イラクを恐怖政治で支配してきた独裁者は最後に自国の法廷で犯罪者として裁かれ、その生涯を終えた。

テロとの戦いにおいて、私は一つの原則を打ち立てた。まず、米国内が攻撃される前に脅威を見つけ出す。そして外交的な解決策を模索する。敵を見つけたら、法の裁きを受けさせる。同時テロ以前の我々は脅威を認定しても自分たちは安全だと思い込んでいた。もう、そうはいかない。

これが後に「ブッシュ・ドクトリン」と名付けられた原則の骨子だ。だから、単純な先制攻撃を意味しているわけではない。もちろん、国防総省は常に(核)兵器の近代化を試みるが、それはこの原則の名の下で行われたわけではない。両者を結びつけるのは間違っている。

いずれにせよ、イラクで大量破壊兵器(WMD)は見つからなかった。04年秋には捜索に当たっていた米調査団が報告書を発表した。この中で、イラクのWMD計画については「開発能力は湾岸戦争直後の1991年に、基本的に破壊されていた」と断定している。同時に「核計画の再開に向けた組織的な動きを示す証拠はなく、進行中の計画もなかった」と指摘した。

その後、何年もの間、自問を繰り返した。一体、何が間違っていたのだろうか、と。やがて、2つの過ちを犯したとの結論に達した。第一にイラク国内の治安回復にもっと迅速、かつ積極的に取り組むべきだった。開戦後、我々は米軍の規模を20万人強から10万人強に減らした。占領軍と見られることを回避するためだ。だが、イラク国民は占領への嫌悪感よりも治安の回復を望んでいた。

もう一つはもちろん、WMDを巡る情報が間違っていたことだ。当時、フセインがWMDを保有しているという「仮説」は世界に浸透していた。戦争支持派だけでなく、反対派もそう信じていた。同時にフセインの心理プロファイルによれば、彼はしぶとく生き延びようとする人物だった。彼が権力の座から降りたくないのであれば、WMDを持っているフリを続けて政権を危機に陥れる理由がどこにあるのだろうか。

フセイン捕獲後、連邦捜査局(FBI)による彼への事情聴取で答えの一部がわかった。フセインは連合軍によって追放されることよりもイランに対して弱腰だと思われることを嫌っていたのだ。フセインは米国がその言葉通り、武力をもって自分に武装を解除させるとは夢にも思っていなかったという。

いずれにせよ、今もフセインが生きていたら相変わらず国連の目を欺き、実際にWMDを保有していることだろう。それで世界は良くなっていただろうか。私はそうは思わない。だから、私は自ら下した決断を今でも強く支持している。

(前米大統領)

米政府はフセイン拘束を発表

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