ジョージ・W・ブッシュ(15)グラウンド・ゼロ

胸を突く現場の悲痛
拡声器で作業員に呼びかけ

「このビルを倒した奴(やつ)らにも私たちの声がすぐに聞こえるはずだっ」

2001年9月14日午後、私は同時テロ最大の被害地となったニューヨーク・マンハッタン島南部の世界貿易センタービルの跡地に立っていた。かつて摩天楼のシンボルだった2つの巨大なビルは砂塵(さじん)と瓦礫(がれき)の山に変わり果てていた。即興の演台として駆け上がった、足元の小高い山は救助活動中に潰れた消防車。側近が手元に用意してくれた拡声器に口元を寄せ、煤(すす)にまみれた救助隊員らに向けて、私は声の限りにこう叫んだ。

この時、すでに世界貿易センター跡地は元来、原爆の爆心地を意味する軍事用語である「グラウンド・ゼロ」と呼ばれるようになっていた。私はパタキ・ニューヨーク州知事、ジュリアーニ同市長、そして、同州選出のヒラリー・クリントン上院議員(現国務長官)らと現場に足を踏み入れる前、上空のヘリコプターから、この「爆心地」を目に焼き付けている。

ヘリから降りるとジュリアーニ市長らとともに現場視察に臨み、不眠不休で救助活動にあたっている消防士や救助隊員を心から労った。だが、多くの同僚を失っている彼らがそんなありきたりの言葉で満足するはずもない。1人が突然、私を真正面から見据えてこう叫んだ。

「ジョージ、こんなことをやった奴らを見つけ出して、殺してくれっ」

初対面の大統領をファーストネームで呼ぶことは米国でも滅多(めった)にない。だが、この場の空気はそれを許していた。別の1人がすぐに続く。「俺の期待を裏切るなよ」。私の顔にめがけて「何がなんでも、やってくれ」と怒鳴りつける者もいた。いつの間にか私と握手するため列をなしていた作業員たちは群衆となり、私を幾重にも囲んでいた。

傍らのカード首席補佐官が「皆に声をかけたいか」と聞いてきた。舞台もマイクも草稿もなかったが、何としても彼らに直接、話しかけたい。

「聞こえないぞっ」。苛(いら)立ちを募らせ始めた作業員らに対して、ハンドマイクを通じて「私も世界中も皆の声を聞いている」と応じた。その後、冒頭の言葉を発すると群衆は待ちかねたかのように感情を爆発させた。いつしか、「USA、USA、USA」の大合唱があたり一帯にこだましていた。

それから約1週間後、私は米議会で真珠湾攻撃を受けた時のルーズベルト大統領以来となる戦時演説に臨み、テロ組織と全面対決する決意を内外に表明した。

演説の終了間際、私は1つのバッジを取り出して、場内にかざして見せた。世界貿易センタービルのテロ現場で救援に飛び込み、帰らぬ人となった警官・ジョージ・ハワードのものだ。彼の母親からそれを預かった私は演説で「終わることのない使命を私に思い起こさせてくれる形見だ」と説明した。その言葉通り、私はこのバッジを大統領任期中、常に肌身から離さなかった。

米同時テロは紛れもなく、私の大統領としての職務を定義し直した。確かに私が下した決定の中には理解されないものや、議論を呼んだものもあった。だが、自分の責任は明確だと感じていた。この国を護(まも)るために身も心も捧げる。それ以外に私のなすべきことは見当たらなかった。

(前米大統領)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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