阪神・矢野 引退模様 – 矢野燿大

巧みなリード、磨いた20年

相手と戦い、自分と闘い、最後は年齢や体力とも闘ってきたスポーツ選手の多くが、今年も現役の舞台から降りた。胸に去来する思いとは……。それぞれの引退模様を探る。

7月のある日、阪神の吉田康夫バッテリーコーチがこぼした。「矢野がいたらなー」。今季加入し常時マスクをかぶる城島健司の疲労はピークに達していた。しかし、休ませようにも優勝を争う状況で経験の浅い若手は出しづらい。吉田コーチは改めてベテランの存在の大きさを感じた。

そのころ、矢野燿大(42)は2軍にいた。「投手とのキャッチボールもちゃんとできない」ほど右肘が痛む。自ら申し出て6月8日に出場登録を抹消してもらった。「甲子園に戻りたい」一心でリハビリに励んだが症状は改善せず、9月3日に現役引退を表明した。

1991年、東北福祉大からドラフト2位で中日に入団し、目の前に立ちはだかったのが正捕手・中村武志という「壁」。守備も打撃も到底及ばず、外野に回されることもしばしばだった。97年オフ、阪神へのトレードを通告されて失意の底に。それでも同じセ・リーグで「中日と星野仙一監督を見返すチャンス」とすぐに奮い立った。中日時代の終盤に「38」だった背番号は「一つでも上に」と「39」を選択。くしくも中村と同じだった。移籍後4年間は毎年100試合以上に出場。順風に乗ったかにみえた2002年、今度は中日監督を退いた星野氏が阪神監督としてやって来た。

再度仕えることになった心境は「複雑だった。モチベーションだった監督がまた味方になるわけだから」。だが、もはや中村の壁にはね返された頃の自分ではない。99年から3年間監督を務めた野村克也氏の「アンテナを張れ」との言葉を胸に刻み、戦況や相手選手の動きに目をこらし、リードに磨きをかけていた。

03年は打率3割2分8厘と打撃でもチームをけん引しリーグ優勝に貢献、不動の正捕手の地位を築いた。常に投手の意見を聞き、「力を合わせて抑えることを心掛けた」。球審から受け取ったボールが滑りやすければ、「抜けるなよ」「抑えるぞ」と心でつぶやき、気持ちを込めてしっかりこねる。こまやかな心遣いに投手陣の誰もが感じ入り、全幅の信頼を寄せた。

今年10月、阪神退団の記者会見で星野・現楽天監督は阪神監督時代を振り返り、真っ先に矢野を功労者に挙げた。一時期は見返す対象だった人からの賛辞に喜びもひとしお。同じ年にともにチームを去ることになり、改めて縁の深さを感じた。

20年間の現役生活を支えたのが「こつこつ(努力が)できる」という長所。指導者として再び縦じまのユニホームを着ることを夢見て、来季は解説者として研さんを積む。
(合六謙二)

矢野燿大(やの・あきひろ) 1968年12月6日、大阪市生まれ。大阪・桜宮高から東北福祉大を経て91年にドラフト2位で中日に入団。98年に阪神に移籍し2003、05年のリーグ優勝に貢献。08年には北京五輪に出場した。
プロ通算20年で1669試合に出場し1347安打、112本塁打、570打点をマーク。ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞2度。05年のロッテとの日本シリーズで敢闘選手賞。阪神で捕手での1281試合出場とサヨナラ安打10本は球団記録。181センチ、81キロ。

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