ウィリアム・J・ペリー(30)核なき世界へ

「非核大国」の協力重要
ゴールへ確かな歩みで前進

2009年10月17日、「核なき世界」の実現に向け、ロシアや中国など世界中を訪問していた私は核廃絶に関する国際会議に出席するため、久しぶりに日本・広島の地を再び踏んだ。人類最初の被爆地である広島を訪問するのは、これが2度目のことだった。

1度目の訪問はまだ、私がスタンフォード大学の教授時代のことである。アジア歴訪団の一員として、広島を経由地に選んだ私は市内中心部にある有名な原爆ドームをはじめ、慰霊碑、平和記念資料館をつぶさに見て回った。この時、目の前に広がる被爆地の地獄絵図を見て、私の心は締め付けられた。同時に、こうした兵器が二度と地球上で使われるべきではないという思いを強く胸に焼き付けた。

ここで私が思い描く核全廃への道筋を簡単に説明したい。第1段階では、12年までに米ロ両国が新たな核軍縮条約で合意する。次に米国が包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准する。最後に核物質の拡散を防止するため、兵器用核分裂物質生産禁止条約(カットオフ条約)を成立させる。

第2段階では、25年までに米ロ両国が保有核弾頭数を500発(現在比で約95%減)までに圧縮する。次に英国、フランス、中国、そして新興核保有国であるインド、パキスタンの両国にも核戦力の現状維持を促す。

そして最後の第3段階では、世界の新たな政治環境・システムに応じて追加的な核削減努力を行い、核全廃に近づけていく。ここで私が意味しているのは、現在も進行中のイラン、北朝鮮などによる核開発問題がどのような決着をみるか、ということである。

核全廃に向けた道程において、特に重視しているのは日本のような「非核大国」の動向である。核廃絶には核保有国だけでなく、非核保有国の協力が不可欠だからだ。日本のようにお金も技術力もありながら、「非核」の地位に留まっている国が独自の核開発に走っては元も子もない。今後、米国は日本などの同盟国とこの問題について真剣に協議しなければならない。

初めて広島を訪れた時、私の心に浮かんだ、1つの疑問についても最後に触れておきたい。核兵器の使用を巡って、日本にはまだ深い悲しみや憤りがあることは理解している。ただ、広島で原爆に関する展示物、説明を目にした時、その悲惨さを訴える文言や写真は数多かった半面、そのような惨劇がなぜ起こったのかについての記述が一切なかったことに違和感を覚えた。

どうして、原爆の投下という悲運に日本は見舞われなければならなかったのか。その「原因」について自問、自省する文言を広島で目にすることはできなかった。いろいろな事情があるとは思うが、そのことを私はとても残念に思っている。

1994年に国防長官に就任した際、私は「核全廃に近づく努力をする」と決め、周囲にもそう告げていた。以来、その目標に向かって歩みを進めてきたつもりだ。核廃絶という遠い頂へと続く道のりは長く、険しい。それが実現するとしても、最低でも1世代の歳月は必要だろう。

それでも私は「核なき世界」を求めて歩き続ける。今日も、そして明日も……。

(元米国防長官)
=おわり

 あすから商船三井最高顧問 生田正治氏
(30)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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