柔力と剛力 横綱白鵬 3

白鵬―朝青龍は、初対決の2004年秋場所から足かけ7年で計25回(本割)あった。白鵬が「五分五分で張り合えるようになった」と記憶しているのは、左まえみつを引くのが飛躍的に早くなった2006年初場所から。それ以降、2008年夏場所までの対戦成績は白鵬5勝、朝青龍6勝だった。

■朝青龍とのにらみ合い

あの出来事が起きて、2人の力関係は一変した。その後、今年初場所まで白鵬が7戦全勝し、両雄対決は白鵬の13勝12敗で、終止符を打ったのである。横綱同士の対戦で7連勝と言うのは、双葉山が男女ノ川に勝ち続けて以来68年ぶりというから、これはすごい。

出来事というのは「にらみ合い」のことである。2008年夏場所。引き落としで、土俵にもろ手を付いた白鵬に、朝青龍がダメを押した。すかさず白鵬が肩から突っかかる。両者らんらんと目を怒らせての仁王立ち。背中を冷たいものが滑り落ちるような、あの土俵風景を思い出す人も多いはずだ。

「気合入ってたんだね。ハハハハ」。白鵬がごまかし笑いをするのはこの話の時くらいだが、にらみ合いの後、彼の日常会話に新語が登場するようになった。

「泰然自若」である。白鵬辞書なるものがあれば「双葉山のように土俵上の所作はゆったりと。双葉山のように無駄な動きはしない」となるであろう。あの朝青龍戦。白鵬は最後の塩をとりにいく時、右手を高々と掲げ、まわしを3回、たたいている。バン、バン、バンと。

「今はそういうの(まわしを勢いよくたたく)は、やらないようにしてる。双葉関の存在感が(自分の中で)出てきたことと、東西会(大阪の大相撲後援会)の会長さんから、横綱がたたいたりするのはみっともないという話を何度も聞いていたから。泰然自若?いい言葉使うようになったですね」

猛省した白鵬が心を磨き、先輩横綱を凌駕(りょうが)するようになったなどど、早急に結論付けるつもりはないが、あの出来事を分水嶺として、白鵬が双葉山への傾斜を深めていったことは間違いない。2年半前のことである。「双葉関の哲学が素晴らしいんだよね。全部理由があるんです。すべて、つながってるんですよ、相撲の基本っていうのは」

■後の先

立ち合いは勝負の8割を決めるといわれる。土俵という制約があるからだ。俵の円の直径は15尺(4.55メートル)。畳でいうと、横に2畳半分しかない。

「立ち合いがなかったら、組んでヨーイドンだったら、100連勝でもいける自信がある。立ち合いがあるから(相撲は)難しい」。ある日、白鵬は双葉山のDVD画像を見て、「フワッ」とした立ち合いに目を見張った。力が抜けているのに、相手をやすやすと受け止める不思議な呼吸。強い。

「だから、それがゴノセンなんですよ」。後の先、と書く。「あとのさきっていうの」

もともと、武術語のようである。宮本武蔵は「五輪書」で「先を取るかどうかで勝負は決する。兵法の鉄則の第一は先を取ることである」と説く。後手で待って、先手を取る術技が、後の先。寝ころんで話していた白鵬が、むっくりと体を起こし、右手で手刀を作った。それを、いきなり眼前に突き出してきた。

「刀で、ガーーって、やってみてください」

こちらも慌てて手刀を作り、身構えた。

「最初、(2つの)刀を合わせますよね」

分厚い手刀が、薄い手形に遠慮なくぶつかってきた。ゴツンと。流れは普通だが…痛い。「次は、なんかこの微妙な差」白鵬の声に遅れること半呼吸。2回目の手刀は、こちらが手刀を差し出した後、ゆっくりと静かに虚空を進み、手刀が合わさったところで、止まった。今度は、スーーっと。衝撃もなく。

「……なんですよ。それを今、まねしようと思って。完璧にこなしてるかっていったら、こなしてませんね。難しい。まだ、完全にできてるわけじゃない、自分の中ではね。ま、感じつつはあるけどね。後の先、分かります?」

「…………?」

ガーー、ゴツン、スーー。擬音語の印象ばかりが残り、実際、見当もつかなかった。
「お相撲さんの手は刀。三段目に上がった時、自分はそう教えられましたね。序二段と三段目では強さが違うんですよ」。朝青龍の暴行事件の際、白鵬が苦言を呈した場面が脳裏をよぎったくらいか。

■双葉山に傾倒

双葉山哲学に一歩でも近づくためには、後の先の基礎学習が必要なようである。翌日、双葉山の著書「相撲求道録」持参で、講習を願い出た。

立ち合いから組むまでの流れを、3段階に分けて考えると、後の先の原理が分かりやすくなる。

その1。敵の動きを見切る。

後の先では、遅れて立つことが大前提だ。相手が立ってから、自分も動く。相手の出方をうかがい、仕掛けを見切るためだ。具体的には、相手の体勢、速度、角度、高低などを、100分の何秒かの間に把握する。そして相手の五体のどこを、いかなる手段で、どれだけ強く攻めるかを決める。

その2。受ける。敵の力を無にする。

後の先の成功は、受け止めると同時に相手の力を無力化する技術にかかっている。工夫なく、漫然と受ければ、どんな大横綱でも、2歩下がれば俵の外だ。無力化とは何か。自分に向かってくる相手の力のベクトルの方向を、変えてしまう作業と言い換えてもいい。どんなに突進力があっても、向きが変われば意味はない。白鵬の対戦相手が「ぶつかっても力が吸収される」という感想を漏らすのは、この方向修正によるところが大きい。

これは誰にでもできることではあるまい。やせっぽちだったことが、後の白鵬に幸いしたこともある。入門当初から親方(元幕内竹葉山)は、小鹿のような白鵬の筋肉に目を付けていた。指でつまむと、つきたての餅のように、ふわりと持ち上がる。しかも弾力を秘めていた。品質にこだわって、白鵬の全身を太くする算段をした。

「ダンベル禁止令」が出た。「ダンベルやれば、見せる筋肉はかっこよくなるんでしょうけど。若い時からダンベルやっちゃうと、身長も伸びないし、筋肉も固くなるし、ケガしやすい体質になっちゃうからね。筋肉の固い人は、残そうとしても、バネがないので残せない。相撲は体のすべてを使ってやるものですから、筋肉の特定の部位を鍛えても強くはなりません」

■柔力と剛力

ダンベル力と相撲力は違う。白鵬の持論だ。

基本訓練として、四股(しこ)、てっぽう、腕立て伏せの徹底を命じられた。強靭(きょうじん)な足腰を作り上げる四股、押す力を養うてっぽう。腕で歩くがごとく何年も繰り返した腕立て伏せが、柔軟性に優れた白鵬の筋肉に、筋金を入れていった。「私の筋肉は力を抜いているとプヨプヨですけど、力を入れたらガチガチになる」。

上腕部で確認させてもらった。なるほど、この「プヨプヨ」筋が、立ち合いで力の吸収材的な役割を果たしているのかもしれない。だけでなく、骨一本、関節一個までが力を散らす目的のために総動員されているはずだ。プヨプヨ筋は瞬時に収縮し「ガチガチ」筋となる。

その3。敵の裏をとる。先をとる。

守りの構えから、素早く攻めに転じる。初動リズムを乱されれば、敵は重心を失い、隙が生まれる。そこを付く。ガチガチ筋の出番だ。自分の得意の型に持ち込む。「攻めを受けながら、自分の型になる。(私の場合は)右が入ったりしなければいけないとかね」。右腕を相手の脇の下にねじ入れる動作がそれである。攻めの受け身――。後の先を白鵬は、そう表現した。柔力と剛力。両方なければ、とても、そんな芸当ができるはずはない。

編集委員朝田武蔵2010/12/25

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