「我、いまだ白鵬たりえず」 横綱白鵬 6

あの白鵬が負けた。297日ぶりの黒星だった。「信じたくないという気持ちはありましたが、これが現実ですから」。苦い自問自答。「パパ、負けちゃったね」。幼い娘のひと言が、白鵬の目を「明日」に向けさせてくれた。モンゴルから、電話も入った。尊敬する父親からだった。

■父からの電話

人間は誰でも負けるものだから…後はしっかり優勝しなさい…自分はモンゴル相撲で5年連続の優勝をやった…お前にも、是非、5場所連続で優勝してほしい…大変だけど、頑張れよ…泥のようなため息をついても仕方がない。昨日の敗北から、今日、どう立ち上がるか。翌3日目の琴獎菊戦。白鵬は後の先(ごのせん)で勝った。4日目の安美錦戦も後の先。常人の感覚では、この決断の理由が分からない。

「受けの右足」で負けたのであれば、安全策ともいえる「攻めの左足」に切り替えて、帳尻を合わせようとするのが普通ではないか。「開き直ってんだよ」からからと白鵬が笑った。この辺りの精神体質が、彼の人格的迫力の源であろう。

「負けてもいいやと思ってね。全部(後の先を)やっちゃおうみたいな感覚だったんだけど。そ
したら優勝というものが、のしかかってきたから、そうはいかないぞって。今度は左足からに変えたりとかね」。九州場所、後の先は計8回。秋場所の3回から格段に増えた。豊ノ島との優勝決定戦も右で立った。「昀後はごっちゃんですってね」

土俵という舞台では、踏み出す足が右か左かというだけで、ここまでの心胆が練られている。

余談になるが、小学生時代、彼が好きだった科目は「算数」である。両親が息子に期待していたのは理系の道を進むことだった。「家では話題になってたね。昀初のころ、算数好きだったの。お母さん(医師)は、相撲はやら

せたくないとか、医者とか、そういう偉い人になってほしいと。猛勉強してたも、お母さんと。すごかったんだも、小学生の時。遊ばないで、2人でテストやったりとか。大変だったですよ」

「技」に関する面白い統計を見つけた。63連勝目の九州場所初日。その時点で、白鵬の幕内通算勝ち星は468勝だった。現場経験を踏まえた「決まり手トップ5」を、本人に答えてもらった。

「寄り切り、上手投げ、押し出し、はたき込み、で、すくい投げって、感じじゃないかな」

「パーフェクトです」。筆者のメモをのぞき込んだ付け人が、すかさず合いの手を入れた。

■すくい投げの意識

では、63連勝に限ると。

「寄り切り、上手投げ、すくい投げ?違う?押し出しか。で、すくい投げか」

通算、連勝とも(1)寄り切り(2)上手投げ(3)押し出しのトップ3は変わらない。が、本人の胸中には、連勝中、すくい投げが第3位に増加している印象があったようだ。そこだけが統計と違った。深い意味はないのか。すくい投げといえば、稀勢の里戦で、白鵬が昀後に2、3度試みて、通じなかった技だ。双葉山もすくい投げを仕掛けて連勝が止まった。これは単なる歴史の偶然か。

「双葉関も、負けた時、早く勝とうという意識があったわけ。我、木鶏たりえずだからね。相手を、なめたところもあったんじゃない?普通はじっくりまわしを取って攻める人なんだけど、昀後、投げた時に、墓穴掘ったわけ。すくったところで、左足に外からかけられた(外掛け)。『アレッ?』っていうのはあったと思う。そこにちょっと隙があったんですよ」。主語を「私」に変えれば、そのまま白鵬の敗戦コメントとして使えるような内容である。やはり、偶然ではなかった。

人間の記憶は、事実よりも、印象として刻まれるものであろう。白鵬がすくい投げの記憶を実際より濃厚に持っていたということは、ヒヤリとするようなすくい投げへの反省の機会が、それだけ多かったということではないか。「大鵬、北の湖が勝ちに行く相撲を取らなかったら、100連勝できただろう」。この一年、相撲雑誌で読んだという記事の一文を何度か口にし、「勝つと思うな、思えば負けよ」とひとつ話のように語った。「すくい投げ増加」も意識下の警告だったに違いない。

■激増した上手投げ

さらに注目すべきは上手投げである。69連勝の双葉山、63連勝の白鵬、53連勝の千代の富士。上手投げを一番の決め技にしていた点で、3人は共通している。白鵬の通算の上手投げは18%だが、連勝中これが27%に激増した。決まり手の4分の1を超える高率である。双葉山は20%、千代の富士は23%。「ウルフスペシャル」の千代の富士より、白鵬の方が、4ポイントも上手投げが多かったという事実――。

「俺の方が多いの?へーー」。誠に意外であるという声音を出した。初土俵、生涯昀初の決まり手も上手投げというからには、よほど思い入れがあるのだろう。が、「これが、ないんですね」と、にべもない。では、上手投げと連勝記録に、何か相関関係のようなものはあるのだろうか。

「やっぱり、勝ちたいんでしょうね。だから、タイミングというのがあるわけね。無理して寄り切ろうとすると、落とし穴がありますからね。寄るっていうことは、相手も土俵を簡単に割りたくないから、昀後の昀後、技を掛けてくるわけですよね。例えば、うっちゃりね。そうさせないため相撲ファンにしてみれば、盤石の寄り切りより、豪快な上手投げの方が見ていて楽しい。が、上手投げの急増は必ずしも褒められたことではなさそうだ。白星への焦燥感を多量に含んでいるのが上手投げ。無理して勝つのが寄り切り。白鵬的視点に立つと、土俵の攻防も随分違ったものに見えてくる。

では、白鵬が求める技の極致とは何だろう。連勝中の上手投げから「自己ベスト」を選んでもらった。即答だった。「まあ、春場所の鶴竜戦かな。2日目だったかな。右のかいなを返して、スパッと、左上手から投げた。(相手が)一回転した。相手が浮いたところに、ものの見事っていうのかな。スペシャルだね、あれは私の」

■白鵬スペシャル

白鵬スペシャル。その運動原理を知りたい。

単に左から投げるというのではなく、その前作業として、まず右の差し手を返し、相手の腰を浮かせる。そこが肝心だ。目の前の相手に、右からつっかい棒を出し、相手が寄り掛かった瞬間、棒を外し、さらに左から押したらどうなるか。裏返しになって、ひっくり返るのが道理だ。

「相手の腰を崩して、その瞬間にパッと返す」

右から左へ、そして左から右へ。反動が倍加するから鋭利に決まる。左右のコンビネーション技。2つで1つの技といってもいい。白鵬は一発で相手を仕留めようとは考えていない。「あるね。それが流れるように相撲を取るということ」。第1、第2、第3と、波状的に技を繰り出していく。しかも個々の技に隙間がない。「自分は決して力の強い人間じゃないし、相撲は力じゃないし」。波状攻撃は「非力」がゆえの創意工夫だ。「体の使い方です。だから力に頼ってないんです」。持論は「相撲は足腰8割、上半身2割」。非力が白鵬理論の根底にある。

■未完の伝説

我、いまだ木鶏たりえず。

双葉山が求めた昀強の極致とは、射すくめられた相手が闘わずして逃げ出すような強さだった。

「双葉山を知らない人も知っただろうし、知ってた人も、もっと深く知るようになっただろうし。俺のあこがれの、尊敬する横綱はすごいんだぞっていうね、みんなに知ってもらったっていうことで、少しでも恩返しできたんじゃないのかなと」

九州場所で5場所連続、17回目の優勝を果たし、白鵬が名文句をはいた。

我、いまだ白鵬たりえず。

後の先という神秘の伝承を、彼は徹底的に模倣することから始めた。そこに新風を加え、発展させたところに独自の後の先、昀強の境地がある。

2011/01/04スポーツ:日本経済新聞印刷画面昨年10月、夢で双葉山と対戦したことがあるのだという。「勝敗?覚えてるけど、越えてないのに言えるわけないじゃないですか」。時空を超えた後の先対決。「待ったなし」の声が掛かれど、両者にらみ合ったまま微塵(みじん)も動かない……。詳細を聞けるのはいつの日か。

土俵の直径は15尺(4.55メートル)。畳、2畳半の長さしかない。土俵が狭いから相撲は面白い。心の強弱が影絵のように瞬時に砂上に映し出される。

「ちっちゃい土俵だし、俵を割れば負けだから。相撲は考えてやるもんじゃないんだよね」白鵬の相撲を見る楽しみは、彼の心の底力を知る楽しみでもある。人間の心がいかに奥深いものであるか、そこに思いを巡らす。

技には限りがあるが、心は無限だ。
63連勝1敗。そして、すでに13連勝。白鵬は未完の伝説を仕上げる使命を負った。
2011年1月9日。東京・両国。初場所初日。
「心のひとり舞台」が横綱白鵬を待っている。
(おわり)

編集委員 朝田武蔵

「ああ、魔の3.4秒」 横綱白鵬 5

11月15日。九州場所2日目。対稀勢の里戦。白鵬、64連勝なるか。

かつて天敵と呼ばれた稀勢の里も、その後は、強き白鵬に翻弄され続けた。対戦成績は白鵬の20勝4敗。2008年秋場所で1度金星を与えてしまったが、その後は、白鵬が11回続けて勝っていた。未完成とはいえ、既に「後の先(ごのせん)」を2回決めた相手だ。今日も後の先で仕留める。

白鵬は「一撃」に神経をとがらせた。

立ち合い。後の先の基本通り、先に仕切り線に両手を付いた。稀勢の里の全体像を、一つの塊として両眼の網膜に焼き付ける。心気を静めた。

少し遅れて、稀勢の里が身をかがめ……猛然と砂を蹴った。が、白鵬は立たない……100分の何秒……かが過ぎた。仕切り線の向こう側にあった173キロの巨体が、土俵の真ん中まで突進し、白鵬の網膜の中で、ぐわんと巨大化した。

■「立ち合い、うまくいきすぎた」

後の先の右足。白鵬は1歩前に踏み出すと同時に、右から張った。右腕がまるで大蛇のように稀勢の里の左わき腹に、ぬるりと忍び入る。左も入った。もろ差しではないか。もらった。

両差しの一撃で、白鵬は相手に深手を負わせたつもりだった。「完璧な体勢」。が、思いのほか打ち込みが甘かった。傷は浅い。稀勢の里には反撃に打って出るだけの余力が十分にあった。すさまじいばかりの勢いで、白鵬に斬り込んできた。

立ち合いからわずか3秒。稀勢の里の返し技が、白鵬に致命傷を与えた。勝敗は決した。が、3480人の観客は、誰ひとり白鵬が負けたことに気付かない。それから16秒。勝負の行方に気をもみ、土俵上の攻防に金切り声をあげた。

熱闘19秒。勝負は3秒で終わっていた。昀強横綱の歯車はいつ、どこで、どう狂ったのか。DVDを見ながら対戦を振り返ってもらった。

「ぜいたくかもね、俺の解説で相撲を見るって」白鵬は「ハハハハハ」と一瞬高笑いしたが、あの取組が始まると、画面にキリリと視線を向けた。立ち合い。後の先。「人間て不思議なんだよね」。解説者白鵬の昀初のコメントはそれだった。

「両方入った。立ち合いがあまりにもうまく行き過ぎた。自分の形になった。もう勝っちゃったっていう。そこで喜んでるわけね。安易に出ていくしかないんだよね。出ていくなら、もうちょっと、あの、なんていうのかな、ちゃんとした出方すればよかったな、と言うね」。珍しくあいまいな表現だった。そこが人間心理の綾(あや)なのであろう。

「一瞬、呼吸をおけばいいんだけど、両方入ると、体が自然と前に出るわけ。差された人間(の方)は絶対後ろに下がっていくわけね。特に稀勢の里の場合は横さばきがうまいから、相手を呼び込む。突き落とし、よくする力士でもあるし」

変わり身が早いのである。まず稀勢の里が左からいなしてきた。DVD1.7秒。

「ここで、ちょっと(自分の体が)伸び上がったかもしれないね。バランスが崩れてね」

相手が初動を制した。稀勢の里は、回り込みながら、土俵際に下がり、そこに白鵬が食らいついていく。DVD2.2秒。

「ここで自分が付いていくんだけど」

出ばなをくじかれた白鵬の攻めは精彩を欠く。稀勢の里の右手が、白鵬のあご下を突く。DVD2.7秒。

「また(右から)反対側に突き落としされるんだよね。突き落とし気味に、いなし」

■「後の先」破綻、気が乱れる

立ち合いからの流れで「先」を取ったのは、結局、稀勢の里の方だった。いなされた白鵬は肝心の右の差し手を外されてしまう。DVD2.9秒。後の先は、この時、破綻した。

次の瞬間、正面から相手が消えた。稀勢の里が身ごなし軽く回り込んだのだ。あれほどの安定感を誇った白鵬の腰が動揺し、俵の方へ右足を一歩前に大きく踏み出してしまう。DVD3.4秒。

「ここで、もう勝負は終わってるね。1回、息がフッて抜けてる可能性があるんですよ。アレッ?今、いい形になってたのに、なんだっていうね」。連勝記録が途絶えた瞬間を特定した。

相撲には3つの息があるという。吐く息、吸う息、止める息。「(息が抜けるのは)いけない。組んでる時ならいいんだけど、組んでない状態ではね。ハッと吐いた時、軽くなる。お腹に力が入ってないと、軽い感じがあるじゃないですか」

場所前の秋巡業中、白鵬は比叡山延暦寺を参拝し、天台宗の座主から「調息(ちょうそく)」という言葉を授かった。呼吸を整えることで精気をみなぎらせる。気功術のひとつのようだが、あの大一番で、息の調べが乱高下した。

「たぶん、そこで焦りが出たんだと思う。一瞬勝ったというもの(意識)と現実がすれ違うから。いくら横綱で何連勝してても、焦りがあるんだよね」

開始3.4秒。致命傷は気の乱れだった。取組はその後、15.6秒間、続いた。

稀勢の里は白鵬の崩れに付け入った。休まず攻め続け、「先」も「先の先」も取った。右の張り手が白鵬のあごをとらえた。4.3秒。「張り手が来たから、返さなければと。このばか野郎みたいなのがあったんじゃないかね」今度は白鵬の右張り手が、稀勢の里の後頭部をとらえ、激しい衝撃音が広がった。4.7秒。「ここで冷静になるということもあるけど。足が動かないし、上半身だけだよね。足の運び方が違ってるんです。全然違う。いつも右足が前なのに。足そろってる。足がずれたんでしょうね」

■思い浮かばなかった左下手

白鵬の両肩に怒気がこもっていた。いつもの滑るようなすり足が鳴りをひそめ、足運びがこわばっている。必死の突き落としも上滑り。たちまち土俵に窮した。ここで稀勢の里が左の下手をねじ込んだ。相手得意の左四つである。9秒。

「立て直し?よっぽどのことがない限りは、できなかったんじゃないかな。自分の型にはまってればね、可能性もあったかもしれんけど」

向正面の俵に、白鵬の両足が詰まった。体を弓なりにしてこらえる。眉がつり上がる。全身の白い肌が、みるみる桃色に染め上がっていった。11秒。

「相手の気迫というものがあって、負けないようにというのがあったんじゃないかな。ホントはあっちゃいけないものがあったんじゃないかな。もし、そう(桃色に)見えたんなら。慌てちゃって勝ってやろうという気持ちが出ちゃいましたね」

土俵際で体を入れ替え、局面打開を図った。が、依然相手得意の左四つ。窮状に変わりはない。既に、「勝つ相撲を取らない」と言い続けてきた白鵬でなくなっていた。13秒。

「ここ、左でまわし取ればよかったんだよね。左手で下手。だからもう、なんとかして勝つっていうね。考える余裕がなかったところだよね」

左からすくい投げをうった。全身をもって、ひねろうとするが、さびたネジのように技の滑りが悪い。強引だった。さらに左足で内掛け。効かない。再びすくい投げ。稀勢の里の腰は厚く、そして臼石のように重い。17秒。

「ここも、左下手を取らないんだよね。取る考え、頭に余裕がなかったんでしょうね」

進退窮まった。もう残せない。19.00秒。

負けた。二枚腰がなかった。

昀後の昀後で、逆転技を繰り出すことはできなかったのか。「ないね。自分は十分だけど、相手は十二分だからね。幕の内力士っていうのは、みんなそれぞれ、成績残して上がってるわけだし。みんな自分の型ってあるわけね。この型(左四つ)は稀勢の里関の型だよね」砂かぶり席まで飛ばされ、白鵬は両足を天に突き立てながら、2列目まで転がった。

前後左右を観客に囲まれ、首をひねり、何とも言えない薄笑いを浮かべた。

後の先…勝っちゃった…アレッ?…ばか野郎…なんとかして勝つ…後の先…勝っちゃった…アレッ?…ばか野郎…なんとかして勝つ…

勝者が仁王立ちしている土俵に戻るまでの長い10秒間。白鵬は耳奥で何を聞いていたのか。

■傲慢な心に繊細さなし

双葉山越えに、足りなかったものとは。

「考えさせられましたね。ちょっと、なめたっていうね。甘く見たっていうね。簡単に勝ちたいっていう気持ちがあったんじゃないかな。自分が勝つ型になったから、それだけに、安心感と、ちょっと、気が抜けるところがあったんですね」

なめた。甘く見た。安心感。気が抜けた。白鵬が似た色合いの表現を4つも連ねた。後の先が傲慢だったのであろう。双葉山は「後の先は心掛け次第」と書き残している。難易度が高いのは相手の気配を心眼でさぐるような繊細さが求められるからだ。傲慢な心に繊細さは宿らない。

後の先は早くても遅くても良くない。前に触れた「七分三分の見切り」で言えば、白鵬は土俵中央に浮かぶ、「七分」の一点を外してしまった。

「稀勢の里の場合、(見切りが)五分五分か、六分四分だったんじゃないかな。それだけ(相手が)対応できたっていうこと。完全に(右差しが)入り切ってなかったんだね。なんとなく分かる?ああそうだったから負けたんだっていうね」

六分四分と、満点の七分三分の間には、天と地ほどの違いがある。2本の仕切り線の間隔は70センチ。一分はわずか7センチ。白鵬は稀勢の里の突進を、わずか数センチ分、待ち切れなかったことになる。白鵬の動きを見て、相手は、初動の動きを軌道修正することができた。白鵬の右差しが浅くなった理由であろう。しかも、不完全な後の先を「決まった」と誤認する二重の過失があった。

解説者白鵬。以上が敗因の分析である。

編集委員 朝田武蔵

「後の先」の探求 横綱白鵬 4

相撲部屋の朝は早い。5時起床。駆け出しのころ、白鵬は6時前には稽古を始めた。土俵での稽古は主に「三番」「申し合い」「ぶつかり」の3形態がある。白鵬が今も欠かさないのが、ぶつかり稽古だ。

「前に出る稽古ね。一番苦しい稽古ですけど、スタミナが付くっていうのがあります」。ぶつかる役と、受ける役があり、一方が親の敵とばかりに体当たりする。そのまま俵まで相手をグイ、グイ、グイと押す。何番も、何番も、息が上がるまで。「まあ、普通(の力士は)5分だね。三段目のころ、45分やったことがありますね。幕下に上がったら、20、30分は毎日だったからね」

■基本はぶつかり稽古

全身砂にまみれ、土俵に倒れ込んで動けなくなる。兄弟子の竹刀が飛んできても、反応する力さえ残っていない。口に塩を突っ込まれる。最後にバケツの水がザブン。これを荒稽古というのだろう。「1日3回泣いてた。ほぼ毎日ですね。稽古場で2回、夜寝る前に1回。稽古が苦しい時、泣いて。終わった後先輩にお前のためだからって慰められて泣く。夜は、明日また稽古始まるんだっていうね。自然と涙が出てくるわけ。ふとんでね。でも当時やってたことが、今生きてるわけね」

ぶつかり稽古に、後の先(ごのせん)のヒントがあった。

白鵬のこの2年間は、ひたすら後の先の錬磨に費やされてきた。双葉山の相撲求道録は教則本ではない。双葉山だけが極めた奥義である以上、継承者もいない。経験則は聞けない。自分の戦略眼を頼りにDVDの粗い白黒画像を凝視するしか、他に手立てはなかった。まず分かりやすいところをまねよう。「双葉関は必ず右足から出てる。稽古場で(受け手として)胸を出す時も右足が前じゃないですか。ぶつかり稽古ね。(つまり)右足前が受ける構えっていうこと」。素直さが、ここでも彼に得をさせた。2人は同じ右四つだが、白鵬は入門以来、双葉山とは逆の左足から踏み出していた。「右足」の利点は、すぐに解読した。

「ちょっと、教えようか」

再び実技の時間である。

「右足からいくと、右を差しやすい」
着物の裾がはだけ、右足が一歩前に出ると、ずぶとい右腕が、左わき腹にグイと押し入ってきた。

「いやでも、差せる」

右足と右腕の相互関係を理解するためには、相撲の初歩、すり足を知らねばならない。力士は昔のロボット歩きのような進行動作をする。右足を出したら右腕を出す。左足の時は左腕。これが相撲の理にかなっているのだ。右腕と右足を同時に出せば右の脇が閉まる。隙がないから、相手は差せない。以前は「左前みつありき」の白鵬だったが、今は左上手より右を差すことを「先」と考えている。だから一歩目右は好都合となる。

踏み出す足は右でいいとして、課題は山ほどあった。仕切り線の近くで立つか、離れるか。いつ、手を下ろすべきか、否か。「その時は、深くまだ分からないから(相手より)先に手を付くってことが、後の先だと思ってた、単純な話」。腰の入れ具合はどうする。顔の向きは右か、左か。「相当の自信がなければ、後の先はできない」

「待ち時間」は最大の難問だった。立ち遅れは、即、敗戦につながる。100分の何秒かの遅れで、土俵の外に弾き飛ばされる恐怖心との闘い。相手の動きを、どこまで引き付けて待てるか。

■七分三分の見切り

2009年春場所。いよいよ決行である。2日目の北勝力戦。立ち合いで素早く右を差した。左上手もひいた。右のかいなを返すと、相手の体が浮き上がる。左前みつをこねあげ、寄り進み、土俵下に吹き飛ばした。成功なのか。稀勢の里戦、日馬富士戦、そして朝青龍戦でも後の先で立った。全勝優勝である。が、なぜかしっくりこない。本場所での後の先は封印し、稽古場で辛苦を重ねることにした。

過去の対戦から、相手の欠点をあぶり出す冷徹な判断力。土俵上の身動きや目の配り方から、内心を透かし見る洞察力。目で見ずに、体で見る。体で見ず、心で見る。双葉山が言い残した呼吸の勘どころ。いくつもの要素がピタリと重なり合って、初めて後の先は成功する。課題への緊張感。後の先は人生の大事となった。

再び後の先に挑んだのは、9場所後の今年秋場所。54連勝をかけた大一番だった。稀勢の里戦。「勝ちたいんでしょうね。正直は分からないけど、強くなりたいというね」。後の先は成功した。が、辛勝だった。

古武道の一流儀に「七分三分の見切り」という秘伝がある。相手が刀を振り出してから、自分の身に到達するまでの動きを10段階に分ける。相手が六分まで来たところで、待ち切れずに動いてしまえば、相手は最初の太刀筋を軌道修正することができる。八分まで待てば、時すでに遅し、一刀両断だ。理想は七分まで待って動くこと。早くても遅くてもよくない。ただ一点の見切りこそが「後手必勝」の理(ことわり)である。そう伝承されている。

「だから、立ち合いはそれと一緒なんです。一撃と一緒なんです。死ぬか、死なないかということなんですよ。俵があるからね」。土俵の直径は畳2畳半分である。狭い。「もし俵がなければ、そう深く考えさせられないかもしれないけど。ゆっくり考えてもいけるじゃないですか。死ぬか、死なないかどっちかだから。一つ間違えれば死にますから。後の先が必要なんだよね」

■立ち合いは「死ぬか、死なないか」

「押す」「突く」「寄る」が相撲の基本動作だ。白鵬が言う「一撃」とは立ち合いの一押し、一突き、一寄りのことであろう。「達人の世界ね。自分も時にうまくいかないことがあったわけ。ああ、俺にはできないのかって、時々思ってたんだけど。そういうことだったわけね。七分三分でいけば完全にいいんだろうね。それが満点か」

実際、秋場所で「完璧にこなした」一番があった。千秋楽の大関日馬富士戦。「日馬富士にはスピードがある。立ち合い、突き刺さるね。体がちっちゃいから、スピードがあるから、自分からいくとね、逆に墓穴を掘るんじゃないか。右足から先に出たからね。攻めの構えじゃないんですよ。まず右が入ったね。(相手が)攻めてるように見えるけど、自分の型に持っていく」。日馬富士はこの上ない立ち合いだった。白鵬は相手の力を上方に浮かせて、ベクトル変更作業にも成功した。

「後の先じゃなかったら負けてるかもしれない。完璧にこなしたっていう、まさに後の先だね。自分から攻めなかったからね。日馬富士の当たりが良かっただけに、後の先ができたのかもしれないね」

試行錯誤から2年。62連勝目の喜悦だった。九州場所の番付発表会見で白鵬は言った。「誰でもいい、どこからでも来いという気持ち」。場所前の稽古でも、後の先は冴(さ)えていた。「見事にやってたじゃないですか。自信にあふれ過ぎちゃったんだろうね、今思えば。右足から出れば、俺は負けないみたいな」

いよいよ、あの稀勢の里戦。歴史的敗戦の詳細である。

編集委員 朝田武蔵

柔力と剛力 横綱白鵬 3

白鵬―朝青龍は、初対決の2004年秋場所から足かけ7年で計25回(本割)あった。白鵬が「五分五分で張り合えるようになった」と記憶しているのは、左まえみつを引くのが飛躍的に早くなった2006年初場所から。それ以降、2008年夏場所までの対戦成績は白鵬5勝、朝青龍6勝だった。

■朝青龍とのにらみ合い

あの出来事が起きて、2人の力関係は一変した。その後、今年初場所まで白鵬が7戦全勝し、両雄対決は白鵬の13勝12敗で、終止符を打ったのである。横綱同士の対戦で7連勝と言うのは、双葉山が男女ノ川に勝ち続けて以来68年ぶりというから、これはすごい。

出来事というのは「にらみ合い」のことである。2008年夏場所。引き落としで、土俵にもろ手を付いた白鵬に、朝青龍がダメを押した。すかさず白鵬が肩から突っかかる。両者らんらんと目を怒らせての仁王立ち。背中を冷たいものが滑り落ちるような、あの土俵風景を思い出す人も多いはずだ。

「気合入ってたんだね。ハハハハ」。白鵬がごまかし笑いをするのはこの話の時くらいだが、にらみ合いの後、彼の日常会話に新語が登場するようになった。

「泰然自若」である。白鵬辞書なるものがあれば「双葉山のように土俵上の所作はゆったりと。双葉山のように無駄な動きはしない」となるであろう。あの朝青龍戦。白鵬は最後の塩をとりにいく時、右手を高々と掲げ、まわしを3回、たたいている。バン、バン、バンと。

「今はそういうの(まわしを勢いよくたたく)は、やらないようにしてる。双葉関の存在感が(自分の中で)出てきたことと、東西会(大阪の大相撲後援会)の会長さんから、横綱がたたいたりするのはみっともないという話を何度も聞いていたから。泰然自若?いい言葉使うようになったですね」

猛省した白鵬が心を磨き、先輩横綱を凌駕(りょうが)するようになったなどど、早急に結論付けるつもりはないが、あの出来事を分水嶺として、白鵬が双葉山への傾斜を深めていったことは間違いない。2年半前のことである。「双葉関の哲学が素晴らしいんだよね。全部理由があるんです。すべて、つながってるんですよ、相撲の基本っていうのは」

■後の先

立ち合いは勝負の8割を決めるといわれる。土俵という制約があるからだ。俵の円の直径は15尺(4.55メートル)。畳でいうと、横に2畳半分しかない。

「立ち合いがなかったら、組んでヨーイドンだったら、100連勝でもいける自信がある。立ち合いがあるから(相撲は)難しい」。ある日、白鵬は双葉山のDVD画像を見て、「フワッ」とした立ち合いに目を見張った。力が抜けているのに、相手をやすやすと受け止める不思議な呼吸。強い。

「だから、それがゴノセンなんですよ」。後の先、と書く。「あとのさきっていうの」

もともと、武術語のようである。宮本武蔵は「五輪書」で「先を取るかどうかで勝負は決する。兵法の鉄則の第一は先を取ることである」と説く。後手で待って、先手を取る術技が、後の先。寝ころんで話していた白鵬が、むっくりと体を起こし、右手で手刀を作った。それを、いきなり眼前に突き出してきた。

「刀で、ガーーって、やってみてください」

こちらも慌てて手刀を作り、身構えた。

「最初、(2つの)刀を合わせますよね」

分厚い手刀が、薄い手形に遠慮なくぶつかってきた。ゴツンと。流れは普通だが…痛い。「次は、なんかこの微妙な差」白鵬の声に遅れること半呼吸。2回目の手刀は、こちらが手刀を差し出した後、ゆっくりと静かに虚空を進み、手刀が合わさったところで、止まった。今度は、スーーっと。衝撃もなく。

「……なんですよ。それを今、まねしようと思って。完璧にこなしてるかっていったら、こなしてませんね。難しい。まだ、完全にできてるわけじゃない、自分の中ではね。ま、感じつつはあるけどね。後の先、分かります?」

「…………?」

ガーー、ゴツン、スーー。擬音語の印象ばかりが残り、実際、見当もつかなかった。
「お相撲さんの手は刀。三段目に上がった時、自分はそう教えられましたね。序二段と三段目では強さが違うんですよ」。朝青龍の暴行事件の際、白鵬が苦言を呈した場面が脳裏をよぎったくらいか。

■双葉山に傾倒

双葉山哲学に一歩でも近づくためには、後の先の基礎学習が必要なようである。翌日、双葉山の著書「相撲求道録」持参で、講習を願い出た。

立ち合いから組むまでの流れを、3段階に分けて考えると、後の先の原理が分かりやすくなる。

その1。敵の動きを見切る。

後の先では、遅れて立つことが大前提だ。相手が立ってから、自分も動く。相手の出方をうかがい、仕掛けを見切るためだ。具体的には、相手の体勢、速度、角度、高低などを、100分の何秒かの間に把握する。そして相手の五体のどこを、いかなる手段で、どれだけ強く攻めるかを決める。

その2。受ける。敵の力を無にする。

後の先の成功は、受け止めると同時に相手の力を無力化する技術にかかっている。工夫なく、漫然と受ければ、どんな大横綱でも、2歩下がれば俵の外だ。無力化とは何か。自分に向かってくる相手の力のベクトルの方向を、変えてしまう作業と言い換えてもいい。どんなに突進力があっても、向きが変われば意味はない。白鵬の対戦相手が「ぶつかっても力が吸収される」という感想を漏らすのは、この方向修正によるところが大きい。

これは誰にでもできることではあるまい。やせっぽちだったことが、後の白鵬に幸いしたこともある。入門当初から親方(元幕内竹葉山)は、小鹿のような白鵬の筋肉に目を付けていた。指でつまむと、つきたての餅のように、ふわりと持ち上がる。しかも弾力を秘めていた。品質にこだわって、白鵬の全身を太くする算段をした。

「ダンベル禁止令」が出た。「ダンベルやれば、見せる筋肉はかっこよくなるんでしょうけど。若い時からダンベルやっちゃうと、身長も伸びないし、筋肉も固くなるし、ケガしやすい体質になっちゃうからね。筋肉の固い人は、残そうとしても、バネがないので残せない。相撲は体のすべてを使ってやるものですから、筋肉の特定の部位を鍛えても強くはなりません」

■柔力と剛力

ダンベル力と相撲力は違う。白鵬の持論だ。

基本訓練として、四股(しこ)、てっぽう、腕立て伏せの徹底を命じられた。強靭(きょうじん)な足腰を作り上げる四股、押す力を養うてっぽう。腕で歩くがごとく何年も繰り返した腕立て伏せが、柔軟性に優れた白鵬の筋肉に、筋金を入れていった。「私の筋肉は力を抜いているとプヨプヨですけど、力を入れたらガチガチになる」。

上腕部で確認させてもらった。なるほど、この「プヨプヨ」筋が、立ち合いで力の吸収材的な役割を果たしているのかもしれない。だけでなく、骨一本、関節一個までが力を散らす目的のために総動員されているはずだ。プヨプヨ筋は瞬時に収縮し「ガチガチ」筋となる。

その3。敵の裏をとる。先をとる。

守りの構えから、素早く攻めに転じる。初動リズムを乱されれば、敵は重心を失い、隙が生まれる。そこを付く。ガチガチ筋の出番だ。自分の得意の型に持ち込む。「攻めを受けながら、自分の型になる。(私の場合は)右が入ったりしなければいけないとかね」。右腕を相手の脇の下にねじ入れる動作がそれである。攻めの受け身――。後の先を白鵬は、そう表現した。柔力と剛力。両方なければ、とても、そんな芸当ができるはずはない。

編集委員朝田武蔵2010/12/25

「無の境地」 横綱白鵬 2

先輩横綱の朝青龍はしばしば「横綱の品格」を巡って物議を醸したが、白鵬もかつて土俵でガッツポーズをしたことがある。「新十両決めた時かな。幕下9枚目。若天狼。九州場所。(初土俵から)2年半ちょっとで、新十両」

記録を棒読みするように単語をポキポキと言い連ねた。2003年九州場所。最後の若天狼戦に勝ち、白鵬は6勝1敗で十両昇進を決めた。大銀杏(おおいちょう)、化粧まわし、付け人、月給。十両になって初めて結ったり、付けたり、もらったりするものは多い。「関取」と呼ばれるのも十両から。「白鵬さん」が、一夜にして「白鵬関」に変わるのだから、これは一大事である。

■成長期、15日間で15キロ太る

白鵬の相撲人生において、「心技体」の飛躍期をそれぞれ選べば、「体」はこの九州場所であろう。

「場所中、普通はちっちゃくなっていくんですよ。九州に乗り込んだ時は120キロだったんですよ。(それが)場所が終わったら135キロだった。夜、腹が減るじゃないですか。近くにモンゴル料理(店)があったんです。そこに毎日行ってた。ビールとモンゴル料理の肉を食べて。(夕食のちゃんこを含め)短時間で2回食事してた。あり得ない話なんですよ、15日間で15キロ太ったということはね。寝て、起きたら強くなってる感じがしたし」

心技体とは面白いもので、体ができあがって初めて技にも冴(さ)えが出てくるようだ。「技」の飛躍期は、白鵬が役力士としての履歴を付け始めた2006年初場所が、その最初であろう。関脇白鵬152キロ。今と変わらぬ体重になった。当時の最重要課題は「左前みつの確保」。理想は「へその下からとる」である。「相手の右(の差し手)を殺すということなんです。まわしをとる位置が1センチ(ずれるだけ)で違ってくる」。

元大関雅山が相手だった。「左前みつがとれた。左から踏み込んで左手で前みつをとるから(反対側の)右膝は低くなる。その膝が低くて、すごいんですよ。これで私の相撲は変わったわけ」。

■左の前みつが命綱

これを機に快進撃。絶頂期の朝青龍を撃破して、13勝2敗。千秋楽結びの一番で大関栃東が敗れれば、優勝決定戦というところまで賜杯争いに加わった。が、栃東が1敗を守って優勝。白鵬は準優勝に終わった。悔し涙というものを人生で初めて流したのは、おそらくこの時ではないか。

「優勝に一番近づいた瞬間だったからね。栃東関との(本割の)相撲もきわどかったんですよ。決定戦になったら、もう一度というのがあったわけです。悔しさ?んー、あったね」。勝利への空腹感が、「おっとり型」の白鵬の中でかつてなく激しさを増した。
2カ月後は大関とりの場所。白鵬は自分に欠けているものを知っていた。
前年の九州場所で不名誉な出来事があった。あるベテラン大関との取組を控え、小結白鵬は土俵下に座った。土俵をはさんで向こう側の大関と視線が合った。白鵬は我が目を疑った。大関が片目をつぶって、再び、開いて見せたのである。どう考えても、ウインクにしか見えなかった。

■対戦相手のウインクにカチン

「かー、やるぞみたいになってるのに、ウインクされたら……。優しくくるのか、俺とやり合いしたくないのか、みたいなね。乱れがあった。心がヤワだったんだろうね」。一方的に押されて負けた。

決まり手はウインクといってもいい。「強い白鵬」と「弱い白鵬」が同居していた時期である。技は鍛錬すれば、ある程度までは習得できる。さらに上を目指すのであれば、心を鍛えるしかない。

親方(元幕内竹葉山)が白鵬に声を掛けた。「どうだ、座禅でもやってみないか」。
横浜の禅寺を訪れた。肩の力を抜いて、お腹に力を入れなさい。ゆっくりと息を吸って、吐く。心を無にして――。

住職のひと言ひと言を、身をかがめて聞いた。

■自らと向き合う

「(土俵で)あたふたして、ケガもあって、ゆっくりする時間もなかったし。そういう新鮮な場所っていうのは、心が豊かになりますし。なんかいいんだよね。自分と見つめ合う。自分自身とね。心を新たにして、闘うぞみたいな感覚でした」

そして春場所。関脇白鵬は一人、土俵下で心の鍛錬を続けた。2場所続けて13勝を挙げ、今度は優勝決定戦に進むことができた。横綱朝青龍と初のモンゴル人同士による決定戦。下手投げで敗れ、大魚は逸したが、大関への切符を手にした。花道奥に下がると、勝者に渡される天皇賜杯が目にとまった。白鵬は賜杯ににじり寄り、胸中で祈った。次は俺のところに来てね。

「(賜杯に)触ったね。手をおでこに付けてからね。キス?したかもしれないね。アハハ」

白鵬にとって天皇賜杯とは、そういうものだ。優勝への興奮剤でもある。翻ってみれば、あの悔し涙がその後の相撲史を方向付けたといえるかもしれない。栃東以来、日本人の優勝力士は一人もいない。新大関となった次の夏場所で白鵬は初優勝した。以来、今年九州場所までの29場所において、優勝回数は白鵬17回、朝青龍10回、琴欧洲、日馬富士が各1回となっている。

白鵬は今も土俵下で瞑想(めいそう)の時間を持つ。呼び出しの声が響くと同時に、人知れず両眼を閉じ、心の静まりを待つ。その間、10秒ほど。

白鵬語録の中から、彼の基本思想を選べば「勝つ相撲をとらない」であろう。

「相撲とる前とか、自分に言い聞かしてるんです。気持ちが楽になる。横綱っていうのは100%の力でやってない。そうすると、絶対落とし穴がある。バーッとバカみたいにいったら、負けちゃいますからね。決して無理しない。勝ちにいくんじゃないぞみたいな。結果を求めないということなんです。負けていいじゃんみたいな。ホントは負けちゃいけないけどね。そういう風に自分に言い聞かせないと、やってられないんだよね。固くなっちゃうから」

■「勝ちにいかない」天敵に学んだこと

バカみたいな自分への反省がある。大関時代、稀勢の里戦の3連敗が典型だ。

決まり手は、いずれも突き落とし。「この力士は手ごわいぞ、先に自分の型になっておかないとみたいな。どっかにあるんですよ、心に」。最初の突き落としは、2006年の秋場所初日に食った。大関3場所目、2度目の綱とりのチャンスだった。白鵬の左前みつは、相変わらず命綱だった。

「その場所から前みつがとれなくなった。相手に研究されたんだろうね。あいつが上手をとったら強いってね。とりにいって、とれなかったら、頭が真っ白になるじゃないですか」

土俵際で倒れた時、右ひざを負傷した。8勝7敗。「つらかった」。綱とりが白紙に戻っただけではない。不幸は重なるもので、翌九州場所では場所前のトレーニング中に左足親指を骨折して、初の全休。白鵬の意識の中では、相撲人生そのものが「綱渡り」に思えたほどの最悪期となった。

あのころ、稀勢の里は天敵だった。

編集委員 朝田武蔵

柔道・谷本 引退模様(2) – 谷本歩実

「一本」一筋、五輪で示す 

「お疲れさまでした」。8月下旬、谷本歩実(29)が電車に乗っていると、目の前で会社員風の男性が深々と頭を下げてこう言った。その日、一部報道で引退が伝えられていた。本人は「11月の講道館杯に出るつもりだった」のに……。

ところが、この見ず知らずの男性の一言で、これまでの柔道人生への達成感が胸の底から湧き上がってきた。

「これで引退できる」。2008年の北京五輪後は目標が定まらず、毎回これが最後と思いながら試合に臨んでいたが、区切りをつける決心がついた。

「幸せな現役時代だった」と振り返る。幼い頃から夢みていた五輪での金メダルをアテネ、北京と2大会連続で、しかも誰もなし得たことのないオール一本勝ちで獲得できた。

勝つためにポイントを稼ぐ柔道が主流となるなか、日々の練習で磨いた技や精神力を最大限に発揮し、一本を取るという勝ち方に徹する「女三四郎」の生きざまが具現した金メダル。電車の中で感じた達成感は、信念を貫いて結果を出せたことだけでなく、試合を通じ、その思いが他の人にも伝わった手応えを得たからこそ生まれたものだろう。

一本狙いという信念を最も強く感じさせたのが北京五輪だった。「勢いだけで優勝した」と語るアテネ五輪後の4年間は、世界選手権などの大舞台で思うような結果を残せなかった。そのうえ、北京五輪の前年に腰を故障。歩けなくなるほどの大ケガに「一度、五輪をあきらめた。悔しくて毎日泣いていた」という。何とか代表の座は射止めたものの、五輪前に報道陣から「ポイントを狙わず、一本を狙うから負ける」と指摘され、初めて迷いが生じた。猛練習で自信をつける谷本だが、ケガで思うように練習できず、迷いをさらに深めた。

そんな時、力になったのが指導者たちの助言。全日本の関係者や中学時代の道場の恩師に「一本柔道は限られた人にしかできない。貫いてほしい」と口をそろえて励まされ、「やってきたことに間違いはない」と確信を持った。

本番では準決勝まですべて寝技で一本勝ち。「立ち技はケガのリスクが高く、寝技しかできなかった。だから寝技を徹底的に練習した」。決勝の相手はライバルのドコス(フランス)。最後の最後で立ち技を解禁する。 相手の技をすかして、鮮やかな内股で一本。連敗していたドコスに大一番で雪辱も果たし、「北京の方が素晴らしかった」と充実感で満たされた。

所属するコマツの女子柔道部のコーチとして指導者生活を始めた。「伝えたいことが伝わるとすごく楽しい」。子供を対象とした柔道教室などにも積極的に関わる。

「夢を持てば、それをかなえるために、揺るぎない信念を貫く生き方ができるようになる」という現役生活の経験を伝え、人生のヒントを子供たちに与える責任があると感じている。

(関根慶太郎)

 谷本歩実(たにもと・あゆみ) 1981年8月4日、愛知県生まれ。9歳で柔道を始める。筑波大を経て、2004年にコマツ入社。同年のアテネ五輪、08年の北京五輪に女子63キロ級で出場し、全試合一本勝ちで2大会連続の金メダルを獲得。このほか05年の世界選手
権で銀メダル、07年の世界選手権で銅メダルなど。 10年9月の現役引退後、コマツ女子柔道部のコーチとして、後進の指導にあたっている。得意技は内股と一本背負い。

「あの1敗」 横綱白鵬 1

11月の大相撲九州場所、横綱白鵬(25)が「不滅の69連勝」更新に挑んだ。まだ年2場所制だった戦前に横綱双葉山が打ち立ててから70年余り。神棚に飾られていた大記録にスポットライトを当て、不祥事続きの角界に久しぶりに明るい話題を提供した。連勝は63で止まったが、尊敬する「角聖」双葉山に肉薄する過程で、何を感じたのか。青年横綱の相撲道に迫る。

◇◇◇◇

横綱白鵬翔が、まだ「ダヴァ」と呼ばれていたころ。モンゴルから来日した15歳の少年は、とってもやせっぽちだった。身長175センチ、体重62キロ。

少年の「運命が変わった日」がある。2000年12月23日。晴れて暖かく感じられる師走の一日だった。2カ月間、相撲研修をしていた大阪を離れ、新幹線で東京に向かった。プロになるためである。

■「やせっぽち」に課されたノルマ

初めて相撲部屋の門をくぐった。宮城野親方(当時、現熊ケ谷=幕内竹葉山)が入門祝いをしようと言ってくれた。部屋のみんなで近くのファミリーレストランに行った。少年は「ハンバーグとスパゲティミートソース」をお願いした。おいしかった。今日は天皇陛下が生まれたお祝いの日だと聞いた。

本名ムンフバト・ダヴァジャルガル。モンゴル出身といっても、大草原で育ったわけではない。
人口約100万人の首都ウランバートル。都心の有名デパートの隣に建つマンションが実家だ。

食に関して、最初に4つのノルマを言い渡された。部屋名物のツミレ入りちゃんこ鍋、山もりのどんぶり飯4杯、牛乳1リットル、バニラ味のプロテイン。これを毎回食べること。さらに生活指導が2つ。食べたら寝る。「横になって寝ると、口から出てくるので、壁に寄り掛かって寝てましたね」

もう一つの指導は、ショックだった。稽古をするな――。

「あんまりにも細いから稽古に参加させてもらえなかった。最初はみんなに嫌われてるんじゃないかとか、そういう気持ちになるんですよ。親方はまず体を大きくすることを考えてた」

翌年3月、80キロ。「余裕で新弟子検査に受かった」

日本語はモンゴル語と文法が似ているので、あまり難しさは感じなかったという。映画「男はつらいよ」が、なぜか好きになった。「だんだん寅さんの笑いが分かるようになるんだよね。面白くてね、部屋でよくDVDを見てました」。最初の日本語教材は下町の人情がテーマだった。

「横綱は30年前の日本人みたいですね」。今年25歳。出会った人から、最近よくそう言われるが、さほど違和感はない。

23日は天皇誕生日。「部屋に来て10年だね。あっという間だね。今思えば。長いような、早いようなって言いたいところなんだけど。今年は(期間は)1年なんだけど、5年(分)の道のり、経験したっていう感覚かな。いろいろあっただけに……」

■激動の1年

いろいろ、は2月4日に始まった。先輩横綱の朝青龍が引退を表明した。「信じたくない」。白鵬は絶句し、突如、一人横綱の重責を担うことになった。3月の春場所で全勝優勝。続く夏場所も15日間、白星を並べた。

野球賭博問題で開催が危ぶまれた7月の名古屋場所。国技を守るという重圧がどれほどのものか、本人でなければ到底分かるものではあるまい。天皇賜杯授与の自粛、NHKの相撲中継中止、閑古鳥の鳴く桟敷(さじき)桝席(ますせき)。「国技をつぶす気か」。そう嘆きながらも、全勝で3場所連続の優勝を飾り、賜杯なき表彰台で彼は号泣した。

昭和の大横綱千代の富士の53連勝を超えた9月の秋場所。4場所連続で全勝優勝すると、「相撲の神様」が列島の話題となった。白鵬は不滅の連勝記録、双葉山の「69」を超えるのか。九州場所の初日。栃ノ心戦。流れるような身のこなしで上手投げを決め、63連勝。期待は高まった。

■5場所ぶりの黒星

そして迎えた2日目の稀勢の里戦。「あと6つ」というところで、歴史は止まる。一人で群雄を圧倒し続けた横綱が、土俵から転がり落ちた。

11月15日。「これが負けか」。報道陣の取材を終え、会場の福岡国際センターを出たのが午後6時半。「呆然(ぼうぜん)」の2文字を額に張り付けた横綱はその後、どこで何をしたのだろう。いつも通りならば、部屋の宿舎に戻り、ちゃんこを食べたはずだが……。

「あの晩?ちゃんこ行ってないから。ええ」
場所前から妻の紗代子さん(26)、長女の愛美羽(あみう)ちゃん(3)、長男の真羽人(まはと)くん(2)が福岡市内のホテルに滞在していた。なるほど、家族が待つホテルに直行したいのも人情か。

「ホテル?そう、そう、そう」
家族4人の夕食。やはり家族の存在が、と問いかけたところで…。「食事?ああ、1回、部屋、顔出したわ。顔出して、食べて、すぐ(ホテルに)帰った」

敗戦直後の心事を端的に物語っているように思えた。過去の対戦相手、決まり手に限らず、白鵬の記憶力の良さには毎度驚かされるが、あの晩の記憶だけが定かでない。

■「パパ、負けちゃったね」

白鵬には10人の付き人がいる。ちゃんこ番は重要な日常業務。どんぶりに鍋を取り分けながら、しかし、取組については誰も触れなかった。いや、触れられなかったはずだ。では親方は?

「……、いなかったね、その時。一門会の親方衆の集まりで。そう思うと、孤独でしょ」

負けは現(うつつ)か、幻か。宿舎からホテルに到着し、部屋のドアを開けた。長女が駆け寄って来た。

『パパ、負けちゃったね』
『…………』

「何とも言えなかったね。でも、ああ(いう風に)あっさり言われるとね。逆に良かったね。きれいさっぱりという感じね」。

が、きれいさっぱり忘れられたはずはあるまい。「ものすごい、しょげてました」。紗代子さんの弁である。白鵬はそれから午前4時まで起きていた。DVDを見ていたと言うが、タイトルを聞くのはやぼだろう。

「人間て不思議だよね。心技体というのがあって、心の部分は一番難しいから。相撲は8割は心っていうもんね。技は2割。自分自身が一番の敵でありますし、自分に勝たないといけないし」

あの晩、一本の電話が背中を押してくれた。

部屋のトレーナーからだった。「内藤(堅志)先生から電話があって、横綱、明日は絶対、朝稽古(で土俵)におりてくださいって言われて。おりないつもりだったんだけど、言われたから、ちゃんとおりて」。白鵬を特徴付けている資質のひとつは、この素直さであろう。「汗かきましたね。汗かくっていうのは、素晴らしいもんだね。そこで改めて感じたね。すっきりするね。いい汗かくと」

■真の自分を知る

「63連勝1敗」の翌日。3日目の取
組こそが、「今年いろいろ」の極みであっただろう。

琴獎菊を小手投げで土俵に転がした。

「相撲って何のためだといって、勝ち負けじゃないなというのはありますし。負けたからって落ち込むことではありませんし。そこで自分の心がどれだけ耐えられるか、耐えられないかというものでありますし」。3回続いた「し」の語尾から、あの晩の思案の轍(わだち)が透かし見えた。「じゃあ、何のために闘ってる、頑張ってるんですかって言われたら、自分の心の強さを知るためだと思いましたね。自分自身の真の心を知るために、やっている。最近つくづく思うけど、一番の財産は、真の自分を知ることじゃないかと」

最大の危機は自分の心であり、危機を救うのも心だ。本当のプレッシャーは、相手ではなく自分自身との闘いの中にある。

歴戦を経た横綱白鵬。来日10年の境地である。彼の心の成立を考える上で、いくつかの出来事を振り返っていく。