世界一安全新幹線を生んだ特攻機「桜花」設計者の十字架

開業以来、死亡事故ゼロ。
世界一安全な乗り物である新幹線を開発したのは、戦時中、特攻機桜花を一人で設計した技術者三木忠直氏だった。その苦悩と夢を愛娘の棚沢直子さんが語る。

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東海道新幹線を最初に走ったO系も、渋谷駅前に展示されている東急5000系電車も、初代ロマンスカーの小田急3OOO形電車も、父が設計した電車のデザインには共通していることがあります。それは、先頭部分が飛行機の機首にそっくりなのです。

父は、東京帝国大学工学部を卒業後、海軍航空技術廠(神奈川県横須賀市)に入りました。そこで、急降下爆撃機「銀河」の設計主務をし、特攻機「桜花」はほとんど一人で設計しました。

桜花は、機首に爆弾を搭載した有人誘導式のミサイルでした。母機の爆撃機に吊り下げられて運ばれ、空中で切り離されてからはロケットやジェットエンジンを点火して敵艦を目指します。車輪もなく、生還するための装備は一切ありませんでした。

当初、父は、「技術者としてこんな特攻機は承服できません」と、大反対だったそうです。それでも、海軍は強行し、父は従うしかありませんでした。

戦後の父は、桜花設計者としての重荷を背負っていましたが、ある日、聖書の一節に出会いました。
<すべての労する者・重荷を負ふ者、われに来れ。われ、汝を休ません>(マタイによる福音書より)

父は、みずからの重荷をキリストに預け、洗礼を受けたのです。
父が、戦後、鉄道技術者として生きるようになったきっかけを、NHKに語っています。

「(桜花によって)亡くなっていった若人に対して、非常につらい思いをしたわけです。鉄道は、今は平和産業ですから、もう戦争に関係がない。」

こう思って父は、陸海軍の優秀な技術者たちとともに、鉄道技術研究所に勤務しました。

その父が、「平和産業」のために動き出したのは、1957(昭和32)年5月30日に聞かれた「東京-大阪間三時間への可能性」という鉄道技術研究所創立50周年記念講演会がきっかけでした。就任したばかりの篠原武司所長が後押しし、父は講演しました。

「飛行機の形を列車に持ち込みたいと考えている。車体を流線型にし、軽量化すればスピードは向上する。最高速度は200キロを超えます」

講演が大盛況だったのは、戦後の復興も終わり、日本人が、何か新しい目標を求めていたからかもしれません。

この講演が、十河信二国鉄総裁の耳に入り、あらためて父は、「夢の超特急」構想を総裁や国鉄幹部の前で話しました。そして、「おれが引き受けた」という十河総裁の鶴の一声で、GOサインが出たのです。

しかし、超特急の実用化には、173もの技術的な課題があったそうです。開発の中心になったのは三人。父は車体の設計を担当。海軍航空技術廠で父の同僚だった松平精さんは、ゼロ戦の改良を担当した方で、高速走行に
よる車輪の振動を空気パネを採用して解決しました。陸軍科学研究所で通信技術の専門家だった河辺一さんは、自動列車制御装置ATCを開発しました。

63年3月30日、走行実験で当時世界最高の256キロを達成。しかし、その一年前、父は鉄道技術研究所を退職し、実験の様子を自宅のテレビで見ていました。

退職の理由を、NHKにこう語っています。
「自分の技術はすべて出し尽くした。実験には絶対の自信がある。私は、あとのことは全然、心配しませんでした」

その後の父は、湘南モノレールから千葉都市モノレールに転職し、90歳まで勤務しました。2005年、96歳で天に召されました。

生前、桜花のことは忘れられなかったようです。父が、アメリカの宇宙開発計画を描いた映画『ライトスタッフ』(83年公開)を観て、不思議に思っていたことがありました。その中に、世界で初めて音速を超えた「X-1」というロケット飛行機が登場します。X-1が空中で母機から切り離される方式が、まるで桜花だったのです。

桜花も銀河も、終戦直後、アメリカ軍に接収されていました。終戦から2年後の47年、X-1は音速を超えました。その時、操縦したチャック・イェーガーさんが、75年に退役後、80年代になってから来日し、父に会いに来てくださいました。

父はたずねました。
「映画を観て、私がした設計と同じことをアメリカ軍がしているのが不思議でした」
すると、イェーガーさんは、「桜花も銀河も、当時、世界の最高技術でした。アメリカ軍が、三木さんの技術を参考にした可能性があります。」

最近になって、桜花に採用されなかった図面があることが、ニューヨーク州立大学の西山崇准教授の調査でわかりました。それは、桜花に操縦席を緊急脱出させる装置が考えられていたというのです。父は、可能な限り、海軍に逆らってでも、命を大切にしようと考えていたのでしょうか。

新幹線は開業以来、45年以上、乗客の死亡事故はゼロ。新幹線は、現時点で、世界で一番安全な高速鉄道といえるでしょう。父は生前、世界一安全な新幹線を、とても誇りにしていました。

棚沢直子(東洋大学教授)
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2010年9月文藝春秋
「勝つ日本」40の決断
真のリーダーは、たった一人で空気を変える

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Bubbles of river disappear rapidly.

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