下村脩(28)ノーベル賞

朝5時、受賞の知らせ
うれしかった息子のメール

2008年10月8日、朝5時に電話で起こされた。受話器を取った妻が「電話に出てください。ストックホルムからですよ」と呼んでいる。この時期、この時間にストックホルムといえば、ノーベル賞の知らせに違いがあるまい。ベッドから起きあがった。寝ているところを起こされたこともあるが、「ああ、いやな電話が来たな」というのがそのときの偽らざる気分だった。

まず女性の声が聞こえ、すぐに男性に変わった。メッセージを読み上げるような口調だ。雑音があってよく聞き取れなかったが、スウェーデン王立科学アカデミーが、緑色蛍光たんぱく質(GFP)の研究で、他の2研究者とともに今年のノーベル化学賞を授与するということだった。電話を切る間際に、相手が言った。「今から20分後に受賞を正式に発表します。ひっきりなしに電話がかかって来ますよ」

何か腹ごしらえをしておかなくては、と妻が用意したトーストを一口かじったら、もう電話が鳴り出した。受賞のコメントを求める世界中のメディアからのものだった。やがてどこかの記者が玄関のドアをノックする音がする。騒がしい一日の始まりだった。

前の職場であるウッズホール海洋生物学研究所から使者がやってきた。午前11時から記者会見を開くので、30分前に研究所まで来てほしいという。電話で連絡が取れないので直接伝えに来たのだった。

身支度を調えて、表に出ると、メディアの人々が詰めかけていた。振り切るように車に乗りこみ、ハンドルを握って、自宅から10分ほどの研究所に向かった。古巣の職場では、所長が記者会見に同席してくれた。

ノーベル賞については、意識していなかった訳ではなかった。私が手がけていたGFPは、医学や生命科学の研究になくてはならない道具になっていた。英国のピアース賞を04年に受賞してからは、賞の下馬評に挙がることもしばしばだった。ただ、もし受賞があるとすれば、生理学・医学賞と思っていた。化学賞とは意外だった。生理学・医学賞の発表はその2日前に終わっていたので、安心して寝ていたという訳だった。

うれしかったことは、息子の努から、電子メールで「おめでとう」というメッセージが入っていたことである。息子は独り立ちして久しいが、そのころは長く消息を聞かず、どこに住んでいるかも知らなかった。

メールの中身は簡単なものだったが、その日舞い込んできた100を超えるメールの上から2番目に並んでいた。どこかで受賞の発表をインターネットか何かで見ていて、発表とほとんど同時に、知ったのだろう。

45歳の息子は、コンピューターセキュリティー技術の専門家で、米国では名うてのハッカー退治をしたことで有名になった。あんなに早くメールをよこしたのは、父の発表を予想して見守っていたのかもしれぬ。思い過ごしかもしれないが。

最初に受賞の知らせを受けたときに「いやだな」と思ったのは、大騒ぎになることが予想されたからだ。私は騒がしいことが大嫌いだ。その一方で、時間がたつにつれ、自分の研究が世界に認められたことへの率直な喜びもわいてきた。

(生物化学者)

ノーベル化学賞受賞が決まり、自宅で電話を受ける=ロイター

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