下村脩(26)「GFP」脚光

90年代、進展する研究
発見は幸運のたまもの

1979年にオワンクラゲから得た緑色蛍光たんぱく質GFPの発色団(光が出るための化学構造)を決めた後、私はGFPの研究から完全に手を引いた。その後、GFPを応用する研究は90年代に入り、大きく進展した。

GFPが他の蛍光たんぱく質と異なるのは、たんぱく質自身の中に蛍光発色団が組み込まれて1分子である点だ。このたんぱく質を作る遺伝子を使えば、GFPを人工的に作れる可能性がある。

92年にウッズホール海洋学研究所にいたダグラス・プラッシャー博士が、GFPのクローンを作り出した。ただ、この時点では、クローンのGFPは別の酵素の助けなしで蛍光発色団を作るのは難しいと考えられていた。

この見方を覆したのが、米コロンビア大学のマーティン・チャルフィー教授である。教授は94年、GFPを生きた生物中で働かせることを実証した。線虫の体内で、GFPが緑色に光る写真が、米サイエンス誌の表紙を飾った。さらに米カリフォルニア大学のロジャー・チェン博士はGFPに改良を加え、本来の緑色だけでなく、様々な色の蛍光を出すたんぱく質を作った。

現在、GFPとそれを改良した蛍光たんぱく質は、生体内のたんぱく質や組織に印をつけるマーカーたんぱく質として、世界中で広く使われ、医学や生物学の研究に欠くことのできない道具になった。この応用面の立役者であるチャルフィー、チェンの両博士は、ノーベル化学賞の共同受賞者である。

GFPは計画して発見されたのではない。オワンクラゲの発光の研究中に副産物として発見されたのであり、この発光クラゲの研究なくしてはその発見はなかったはずだ。

仮にGFPを私が発見していなかったとすると、代わりに誰かがGFPを発見していただろうか。誰かその存在を予測していただろうか。そんなことは考えられない。しかし、仮にそんな予測があったとしても、それを確かめるためには、そのたんぱく質を検出する方法を考案し、いろいろなたんぱく質を抽出して、その中に実際にGFPのようなものがあることを証明する必要がある。それは膨大な仕事で、誰もやらないだろう。ということは私が発見していなかったら、誰もGFPを発見していないであろう。

私の発見は幸運なことが重なって起きた。まず私が研究したオワンクラゲの中にイクオリンとGFPという2つが存在していたこと。もしGFPだけだったら、だれもそれを研究しなかったはずだ。もう一つ幸運だったことは、私が以前に行っていたウミホタルの研究の結果が、GFPの解明に絶対必要だったことだ。

さらに一つ。不思議なことだが、以前はあれほどたくさんいたオワンクラゲが、我々の研究が済んだ後、90年ころに突然消えうせたのだ。以来、2~3匹のクラゲを採ることさえ容易でなくなった。

その原因は天然現象かもしれないし、89年に起きたオイルタンカー、エクソン・バルディーズ号の原油流出事故による海洋汚染かもしれない。このようなことが20年早く起きていたら、GFPは発見されず、現在この世にGFPは存在しないだろう。

(生物化学者)

緑色蛍光たんぱく質GFPの結晶(顕微鏡写真)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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