下村脩(23)長い論争

有力者が誤った学説
意を決し反論、後味悪く

1960年代後半から、毎年夏に米西海岸のフライデーハーバーで大量のオワンクラゲをとり、発光の研究を進めていた時期、私は一方で、やっかいな問題を抱えていた。ホタルの発光の仕組みについての基本的な部分でいわく付きの論争が起き、その一方の当事者として約6年間、対応に追われていたのである。

70年に、米国の著名な女性研究者がホタルの発光について新しい説を発表したのが発端だった。ホタルの発光物質であるルシフェリンは、生体内で酸素と結びついてできた過酸化物の分解で光ることが分かっていたが、その研究者は関与する過酸化物の種類が「直線状」の形をしたものであるとする論文を発表した。

私はそれを見て、すぐに間違いに気付いた。ルシフェリンの発光に関与する過酸化物の種類は、直線状のものではなく、別なタイプであるはずだった。研究者は、実験データを誤って解釈していた。大気中に微量に含まれる二酸化炭素の影響を考慮していなかったためのミスだった。私だけでなく、他の多くの有機化学者も同じ見解だった。

ところが、事情は単純ではなかった。その研究者は、自身が高名であるだけでなく、全米科学財団(NSF)の元所長の夫人だった。NSFは米国の研究資金の元締である。そのような影響力のある人が、誤った学説を唱えるのは困るし、かといって、公然と間違いを指摘するのもはばかられる空気があった。

間違いは正さなければならない。私はその翌年、ホタルではなく、ウミホタルのルシフェリンを使った実験を行い、論文を発表した。ウミホタル・ルシフェリンの発光は、同じ過酸化物でも、四員環過酸化物という、直線状でないタイプのもので起こるという結論をそこで示した。

ホタルとウミホタルのルシフェリンの化学構造は違うが、反応はよく似ている。関与する過酸化物が異なるとは考えがたい。私としては、女性研究者に間違いを悟ってもらい、自ら訂正してくれればいいという考えだった。

ところが逆に、女性研究者の結論を支持する研究論文が続々と発表された。そのほとんどは、もとの実験と同じ条件で行った追試に基づくものだったので、もとの実験と同じ誤りを犯していた。結論が同じになるのは当然である。

私にはそれらは、付和雷同的なものであるとしか思えなかった。その中には、ノーベル賞をもらうような著名な研究者の名も含まれていた。私は、自説に基づく論文を何報か提出し、激しい論争に発展した。数の上では、多勢に無勢で、一時はつらい立場に立たされた。

その時期、著名な論文誌に投稿をしても、編集者から「急いで載せる必要はない」などという納得できない理由で、掲載が見送られたこともあった。

私は意を決し、ウミホタルではなくて、ホタルのルシフェリンを使って、相手の誤りを証明することにした。77年、ホタルのルシフェリンの発光も、四員環過酸化物の分解によって起こることを私の研究室の実験結果が証明した。論争には終止符が打たれた。

最後は科学的に決着したわけだが、その経緯は後味の悪いものだった。真理を追究すべき科学研究の底に流れるどろどろしたものを垣間見た思いだった。

(生物化学者)

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