下村脩(11)ウミホタル

発光物質結晶化に挑む
「一人前の科学者に」全力で

1955年4月、名古屋大学の平田義正教授のもとでの研究生生活が始まった。その最初の日、平田先生は大きな真空乾燥器に入った砂のようなものを私に見せた。これが初めて見る、乾燥ウミホタルだった。平田先生は次のようなことを説明された。

ウミホタルは体長2ミリメートルほどの小さな甲殻類(ミジンコの仲間)で、日本沿岸に多い生き物であること。

ウミホタルは刺激を受けると青い光を出すが、これはルシフェリンという物質が、ルシフェラーゼという酵素(たんぱく質)により酸素と結びつき、そのエネルギーによって発光が起こること。

発光物質であるウミホタル・ルシフェリンは極めて不安定で、空気中ではすぐに酸化されて分解してしまうこと。

生物発光の研究が世界で最も進んでいる米プリンストン大学のニュートン・ハーベイ教授の研究室で、このウミホタルのルシフェリンを精製する努力を長年続けてきたが、まだ完全な精製に至っていないこと――。

そして私に「ルシフェリンの構造決定をするために、乾燥ウミホタルからルシフェリンを精製して、結晶にしてください」と指示された。当時は、結晶化することが物質が純粋であることを示すほぼ唯一の方法だった。

さらにこのテーマを私に与える理由をこう説明された。「このプロジェクトは果たして成功するかどうか分からない。だから学位目的の学生にはやらせられないのです」

つまり、この研究テーマで博士論文を書こうとしても、成功は保証の限りではないので、そんなリスクのあることはやらせられないということだ。私は、与えられた仕事の難しさをはっきりと理解した。自分は他大学から勉強にきただけの研究生だから、それで失敗しても問題はない。

これをやり遂げることが、自分が一人前の科学者になれる唯一の道だと思った。私はベストを尽くすことを誓った。

私は当時、無機分析のことしか知らなかった。ウミホタルの生体物質のような有機物質の扱いは門外漢だった。研究生相手に誰かが教えてくれるわけはなく、自分で有機物質の精製について本を読んで勉強することから始めた。

そしてウミホタル・ルシフェリンの研究で先行しているというプリンストン大学のデータを調べて、1カ月間、精製のための予備実験を行った。結晶を得るためには、最低でも2~3ミリグラムのルシフェリンが必要であると判断し、それには1回当たり500グラムの乾燥ウミホタルが必要だと思います、と平田先生に報告した。それはプリンストン大学で使っているちょうど10倍の量に相当した。

平田先生は早速、その大量の試料を精製するための特製の大型の実験装置を、知り合いの業者に頼んで作ってくれた。ソックスレー装置と呼ばれるもので、酸素が入り込まないように中を完全に水素でみたしておき、乾燥ウミホタルから目的の成分をメタノールに抽出する仕組みである。

空気との接触を完全に避けなければならず、また、爆発の危険がある水素を使うため、作業には慎重を要する。1回の実験が終わるのに、昼夜兼行で1週間かかる。忍耐力がものをいう実験であった。

(生物化学者)

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Bubbles of river disappear rapidly.

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