下村脩(10)意外な展開

留学先が急きょ変更
平田教授の誘い、人生の転機

1955年3月、安永峻五先生と私は、夜行列車で長崎から名古屋に旅立った。私を、名古屋大学の江上不二夫教授に紹介するため、わざわざ自ら引率してくださったわけだ。長崎駅を午後2時ごろの急行「雲仙」でたつと、翌朝10時ごろ名古屋に着く。殺風景な駅前にあった食堂で食事をしてから江上先生の研究室を訪ねた。

ところが運悪く、江上先生は東京に出張中で不在であった。あらかじめ面会の約束を取り付けていたわけではない。当時は今とは違って電話の事情も悪く、東京に電話をかけて呼び出すというような時代でもなかった。

遠く長崎から出てきたのに、あきらめるしかない。私はがっかりして、安永先生にも悪いことをしたと思ったが、安永先生は特に落胆した様子もなく「しょうがない、今度また出直すか」という表情だった。

安永先生は「ここまで来たついでに、平田義正先生のところにあいさつをしていく」とおっしゃる。平田教授は、有機化学や天然物化学が専門の新進の教授。江上先生と同じく山口県の出身で、面識があるという。私は平田教授のことは全く知らなかった。安永先生について、平田先生の研究室を訪れた。

安永先生は平田先生に、私を内地留学させるために江上先生に紹介しようと、やってきたのだが、会えなかった次第だと説明し、あとは数分間よもやま話を交わした。我々は辞去しようとした。すると、平田教授が思いがけないことを私に向かって言われた。
「私のところにいらっしゃいよ。いつからでもいいですよ」

私も、安永先生もあっけにとられた。江上先生に会えなかったので平田先生のところで、とお願いをしたわけでもない。勘違いをされたのか、それとも何か特別なお考えがあってそう言われたのか。今でもよくわからない。平田先生は片方の耳が難聴だったので、聞き間違いがあったのかもしれない。とにかくその場は感謝だけを述べて、研究室を出た。

建物を出るとすぐに、安永先生は私に向き直って「君、どうする?」と尋ねた。安永先生は、日を改めて江上先生に紹介するつもりだったので、平田先生の突然の申し出に困惑している様子だった。思わぬ成り行きに、私はその場では考えがまとまらなかった。
その日、安永先生と名古屋駅で別れて、1人で長崎に戻る途中、考えた。自分は無機化学を少し勉強しただけで、江上先生の分子生物学も、平田先生の天然物有機化学のことも全く分からない。どちらを選ぶのがいいのか見当もつかない。その意味では、私にとってはどっちを選んでも同じことだ。

はっきりしているのは、長崎大で実験実習の手伝いのようなことを続けていては、将来の展望がまったくひらけないということだった。ひょっとすると、平田先生の言葉は天の導きのようなものかもしれない。そう考えることにして、長崎に戻ってすぐ平田教授のもとに行きたい旨を伝えた。

安永先生は、さっそく手はずを整えてくださり、一月もおかず、4月から平田教授のところに研究生としてお世話になることになった。平田教授の下での内地留学が、私の一生の仕事となる生物発光研究につながる転機となった。

(生物化学者)

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