安井祥策(1)すべて受け入れて

どんなときも腐らない
自分を偽らず、一生懸命に

私は頭をあちこちにぶつけながら、ただ懸命に生きてきただけである。時にはがっくりとすることもあったが、いつ何が起きるかわからないのが人生なのだろう。

いま日本政策金融公庫の総裁を務めているが、もともと金融業には関係のない人間だった。大学を卒業して繊維メーカーの帝人に入り、様々な仕事をさせられた。

経営多角化の一環として自動車を売ったこともある。異動の内示を聞いて、驚いたことも一度や二度ではない。だがそんなことにいつまでもこだわっている暇はなかった。

子会社への出向は通算20年に及ぶ。このうち10年は海外である。インドネシアが好きになって、定年までいたいと思っていた。50代も後半に入り、第二の人生をそろそろ考えるころだった。

ところが呼び戻されて、同期から6年遅れて取締役である。社長をやれと言われた時には、62歳になっていた。社内でも予想外の人事である。家族はみな「これ以上、がんばらなくても」と反対した。

3年前の年末、中小企業金融公庫の総裁就任をやぶから棒に要請された。既に70歳を超え、会長を退いていた。帝人からも離れて、肩書の無い自由な生活に入ろうとしていた矢先である。

当初、昨年10月に中小公庫を含めて政府系4金融機関が統合して、日本政策金融公庫が発足するまでのつもりだった。だが業務改革を軌道に乗せるまでは責任があるので、引き続き総裁職を引き受けて現在に至っている。

思えば、私からやりたいと言って就いた仕事は無い。普通の人間だから、不本意な人事に、l会社を辞めようかと迷ったこともある。

ただいかなる時にも腐らなかった。どちらかと言えば前を向き、少しだけだが未来を夢見て生きてきたように思う。自分なりに納得のいく結果を出せたら、それでよい。

少なくとも自分をごまかさずに生きてきたつもりである。本当はこうすべきだと思いながら、目先の利益や上司の意向などを気にかけて自分を偽れば、必ず悔いが残る。他人はごまかせても、自分はごまかせない。

部下には「人のために仕事をするな、自分の仕事を成し遂げるために働け」と言ってきた。上司のために粉骨砕身という姿勢には、どこかに取り入りたいという気持ちが隠れている。

上司の立場でも同様のことが言え考能力を度外視して自分に忠実な部下を取り立てることは許されない。上司と部下が互いに甘えたら、仕事はおざなりになる。ひいては会社をおかしくする。私は誰にもこびなかったので、嫌な思いをしたことがあったが、後悔はしていない。

人間の能力には、もともとたいした違いはない。誰にでも、長所もあれば欠点もある。天才はごくまれにしかいない。何事も自分の思う通りにできる、あるいはしたいと考えるのは、思い上がりだ。

舌がんが偶然発見されて命拾いをしたのは、運がよかったとしか言えない。1年半後に転移がわかり再び手術した。あれから6年がたつ。

時代は変わる。運不運もある。すべてを受け入れて、自分なりに一生懸命に生きるしかない。74年余りの人生を振り返ると、そんな思いが募る。子供時代の一つの小さな転機からつづるとしよう。

 (日本政策金融公庫総裁)