野依良治(17)教授ら温かいもてなし

自宅に招かれ心通う交流
米で記念講演

私は日本語、英語を問わず、なぜか人前で話すことに苦手意識をもつ。講演もたいてい断るが、職業柄、二百五十件位の国際的な招待講演、受賞講演、記念講演をこなした。一九九〇年、米国コーネル大学でベーカー記念講演者として一連の不斉合成研究の講義をしたことが記憶に残る。八七年の春、長老格のJ・マインワルド教授が電話をかけてきた。「米国大学の最も著名なレクチャーシップの一つであり、東洋から初めて招待する。まだしばらく時間があるので、十分に準備して良い話を聞かせてほしい」という。

実に三年四カ月前の予約であった。毎週火曜日と木曜日に講演し、それを総合して出版することが求められる。三カ月以上滞在とされたが、忙しい現代の研究者たちには短縮を願い出る人が多い。二六年に始まった将来のノーベル賞学者発掘の仕組みでもある。実際、講演者のうちオットー・ハーン、ライナス・ポーリング、マンフレッド・アイゲンを含む二十人がノーベル物理学・化学賞を受けていて大きな責任を感じた。

六九年の講演者H・C・ブラウン米国パデュー大学教授も有機ホウ素化学の本を書き、十年後に受賞した。私も九四年に「不斉触媒反応」について出版することが出来、ロンドンの学会で同教授に祝福されたことを思い出す。大学街イサカは、映画撮影にも使われる美しい丘陵地にある。せっかくなので紅葉の盛りの九月中旬からの七週間を選び、妻と小学六年生の次男を同伴した。

ベーカー記念講演には十分な旅費、滞在費を用意して学科をあげて最高のアカデミックな雰囲気を提供するのが伝統だ。化学科最上階の紅葉を眼下に見渡せる客員教授室が与えられ、正教授たちと同等のサービスが提供された。

徒歩十五分の距離にキッチン付きの宿舎、車を与えられ、ほとんどの教授たちが一度は自宅に招き、昼食、夕食でもてなしてくれた。週末は美しい近郊をドライブしたり、マレー・ベレイヤなど一流演奏家による音楽会、さらにフットボール観戦にも招かれた。息子は近所の学校に通った。

他に何か希望がないかと聞かれたが時間に限りがある。講演準備や教授、学生との議論だけでなく、社交的にも多忙だった。コーネル大学のホテル学部は世界的に有名で、立派な歓迎会と送別会を開いてくれた。昼食もホテル経営の職員専用クラブで。教授たちも打ち合わせや簡単な研究討論をここで済ませていた。

友好交流は双方向でなければならない。海外で多くの立派なレストランに招かれたが、特に記憶に残るものは少ない。一方で、自宅に招かれたことは鮮明に覚えている。拙宅を訪れた友人たちも同じことを言う。良い論文、名講演だけでは心は通わない。個人的な「もてなし」の心が必要だ。日本の研究者は「家が狭いから」というが、それは違う。貧しかったころに比べ、豊かな時代の人々の「心が狭くなった」からである。八五年、まだ冷戦のさなか、経済的困難にあったハンガリー・ブダペストの研究所を訪れた。若い研究員が私の仕事に共感してくれ、自宅での夕食を申し入れた。翌日、彼の奥さんは仕事を早退し手料理をつくり、精いっぱいもてなしてくれた。狭いアパートをカーテンで仕切っての三人での晩餐を今でも忘れることはできない。

(理化学研究所理事長)

戦う気持ちが明暗を分ける – 川淵三郎

サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」が北京五輪でベスト4に入った。この結果は偶然ではない。準決勝では、過去20戦して一度も勝っていない米国に対し一時リードを奪ったし、3位決定戦のドイツ戦でも、中身の濃い試合をした。優勝できる可能性すらあったと思う。

一方、男子のサッカー五輪代表は、1勝もできずに予選で敗退した。ナイジェリアなど世界トップレベルのチームが相手とはいえ、情けないと非難されても仕方がない結果だ。

自己犠牲で成り立つ勝利

ベスト4と予選敗退。明暗を分けた最大の要因は、「戟う気持ち」の差だ。女子はとにかくひたむきで、相手がどれだけ強くても食らいつく。そして、勝てるかもしれないという期待を抱かせてくれた。

それに対して、男子選手からは戦う気持ちが見えてこなかった。本当に限界まで戦ったとは言えないのではないか。この違いは、テレビでご覧になった方にも伝わったと思う。

男女が置かれた境遇の違いが、大きく影響していると思う。男子はほとんどがプロ選手で、北京で負けても生活の糧が失われることはない。Jリーグという華やかな舞台も用意されている。しかし、女子でプロ契約している選手はごく一握りにすぎない。

こんな話がある。2003年の女子ワールドカップで日本がドイツに大敗を喫した試合の後、私は選手を集めてこう聞いた。「何か問題はあるか、どんなサポートをしてほしい」。

当時私はサッカー協会の会長になったばかりで、女子の大会を視察するのは初めてだった。すると1人の選手がおずおずと手を挙げ、こう言った。「交通費を前払いしてください」

代表の強化合宿に向かうための交通費を、立て替えるのが辛いのだという。

女子選手の多くは、資金が潤沢とは言えないクラブで、自腹でサッカーを続けている。仕事を持ちながらサッカーに励んでいる選手も多い。彼女らの話を聞いて、合宿費の増額など、協会としてサポートを始めたが、まだ十分とは言えない。女子サッカーはまだ、選手の自己犠牲の下に成り立っていると言わざるを得ない。

そんな選手たちが、「女子サッカーを日本でメジャーなスポーツにしたい」という使命感から挑んだのが北京五輪だった。

何とかして勝って、女子サッカーを認めてほしい、盛んにしたいという気合が男子とは全く違う。この気持ちが、ベスト4躍進の原動力になった。

大切なのはトップの意思

しかし、この気合は長らく空回りしていた。ボールを持ったらただ闇雲に前に蹴り出すだけで、日本の女子チームには大きな戟略が欠けていた。この状況を変えたのが、2年前にコーチに就任し、昨年監督に昇格した佐々木則夫監督だ。

佐々木監督は就任後すぐ、エースとして君臨していた澤穂希選手のポジションを変えた。

一番強い選手をゴールに近い前線ではなく、後方に置き全体を指揮させる。これは強烈なメッセージとなり、チームを変えていった。ただ前に行くだけでは、簡単にボールを取られてしまう。しかし、揮選手を起点にすることで、強豪相手でもボールを回せるようになった。これがチームに自信を植えつけ、目指すサッカーの姿が見えてきた。そして、なでしこジャパンは急速に強くなった。

優秀な課長がいなければ、その会社は本当に強くなれないとよく言われる。しかし、その課長を生かすも殺すも社長次第。適切なポジションに置き、将来像を示さなければ、どんなに強い課長でも輝きを示せない。

最後に勝負を決めるのは、選手個々人の戦う気持ちの強さだ。それを十分に生かすには、トップがきちんと戦略を示す必要がある。両方がうまくかみ合った結果が、なでしこジャパンの快進撃だった。

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