日本脅威論 – アラン・グリーンスパン 20

バブルに警鐘鳩らす
ソ連嵐壊の報、亡き師恩う

米連邦準備理事会(FRB)議長に就任して数年の間に盛んにメディアを騒がせたのが日本脅威論だ。三菱地所がロックフェラーセンターを買収したり、西海岸の有名ゴルフ場が日本企業の手に落ちたりする度に、このままでは日本に何もかも買われてしまうという論評があちこちで出た。

当時言われていたことで最も奇妙だと思ったのは、日本の皇居の不動産価格がカリフォルニア州全体の土地の価格を上回るという分析である。全くありえないことだと感じた。皇居を歩いたことがあるが、それほど広大な場所というわけではない。それが日本の国土とほぼ同じ大きさのカリフォルニア州と同じ価値があるはずがないのだ。

円高・ドル安と日本の土地バブルが異常な推計の背景にあった。これをもって日本の脅威を語るのは正しくないと思っていた。そうした行き過ぎに警鐘も鳴らした。

日本への警戒感の高まりは、激しい貿易摩擦も呼び起こした。政権は日本に強く当たるよう政治的圧力にさらされた。私は常に自由貿易主義者だ。日本からの輸入拡大を問題視するのは正しくないとはじめから思っていた。

自動車を例に取れば、私の考え方はこうだ。日本からの自動車輸入が増えなければ、米自動車業界はもっと早く苦境に陥っていたはずだと。米国メーカーは日本車との競争があるので、それなりの努力をするようになった。輸入制限ではなく、競争こそがメーカーを強くするのである。

米自動車メーカーはその後販売シェアを失ったが、それは世界の技術に追いついていない結果だというのが米消費者の判断だ。私の家には今トヨタのレクサスが二台ある。妻と私がそれぞれ使っている。同じタイプの米国車に比べれば選択は明らかだった。米車のシェア低下は米国のメーカーにとってきまりの悪いことではあっても、もはや政治的な問題にはならない。

議長就任後に世界で起きたことで最も印象的だったのは共産主義圏の崩壊だ。その過程は、資本主義の源に光を当てる良い教材になった。財産権保護や相互信頼関係が市場経済に不可欠なことをはっきりと教えてくれたからだ。

ゴルバチョフ共産党書記長の時代にモスクワを訪れた。中央計画経済の特徴に気づいたのは、空港から市内に向かう車中でだった。道路脇の畑で一九二〇年代の肯い蒸気トラクターを見つけた。「なぜまだ使っているの」と同乗していた警備担当者に聞いたら「まだ使えるからでしょうか。よくはわかりません」と言う。私はこう解釈した。中央計画経済には創造的破壊が起きない。良い機械をつくろうという動機が働かないのだ。

ソ連の責任者は効率的に年産計画をたてていると硬調した。欠占お修正も試みていたが、担う仕事が大きすぎた。資本主義経済は市場価格の変化を目印にして動く。様々な商品の生産量を市場のシグナルなしにどう決めるのか。設備投資への資金配分を金融市場からのシグナルなしに決めるのも至難の業だ。彼の立場でなくてよかったと思った。

九一年冬。ソ連の終わりを伝える新聞記事を読みながら、思想上の恩師であるアイン・ランドがすでに亡くなっていたのが残念でならなかった。彼女はずっと前からソ連崩壊を予想していたからだ。

(前FRB議長)

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