本業に戻る – アラン・グリーンスパン 30

逆境に耐え人は進む
自由な市場こそ成長の道

顧客に独自の経済分析を提供する。これが私の本業だ。米連邦準備理事会(FRB)の議長をやめてから新著『波乱の時代』の執筆で忙しかったが、ようやくその本業に戻りつつある。コンサルタント会社を立ち上げ、ドイツ銀行などと顧客契約を結んだ。

昔のように多くの顧客を抱えたり、人を使ったりする気は毛頭ない。細かな管理業務は好きではないし、そうしたことに時間を費やしたくないからだ。顧客の数はせいぜい数社に抑えるつもりだ。

FRB議長を辞めた翌日に「東京市場の動きを見ないで済むのは二十年ぶりだね」と妻に語った話を一回目に書いたが、実際には市場の動きは毎日眺めている。重要な統計も欠かさずチェックする。顧客に正しい分析を示す仕事の一環だが、そうするのが好きだからといった方が正しい。

身体はよく動かす。毎週、土曜日と日曜日はテニスの日だ。妻と一緒にプロに付いて一時間半ばど汗を流す。ゴルフも久しぶりに再開した。

今は妻が私の暮らしをコントロールしている。どこへ行くべきか、何をするか、すべてを私に命令する。何をしゃべればいいかもアドバイスしてくれる。もちろん、いつも言うことを聞くわけではないが。結婚してから十年たつが、お互い、こんなにうまくいくとは思っていなかった。

三月には八十二歳になる。健康の秘訣はと聞かれれば、ストレスをうまくかわせるからでは、と答えることにしている。一九八七年の株価暴落の時もすべてを忘れて熟睡することができた話はすでに書いた。努力してそうなったわけではない。じつと座って悩むのは性に合わないのだ。

だからというわけではないが、世界の将来も楽観している。文明を前進させるイノベーションを事前に予測することば誰にもできない。しかし、常に必ず起きてきた。それは人間の本性に根ざしているものなのだと思う。

そして、イノベーションを促し、富をもたらすのに最も適した制度が、自由市場の原則に基づく資本主義だと考えている。財産権を保護する法の支配。その下で活動する市場参加者への制限をなるべく減らすこと。詐欺など違法行為以外の行動は押さえつけない。それが高い成長をもたらす道だと信じている。

そうした仕組みは生き残っていくだろうか。言えるのは生き残っていくべきだということだ。社会に善をもたらすからだ。だが、生き残ると断言することばできない。

というのはそれを阻む力も存在するからだ。自由貿易を嫌う動きはすでに出ている。資本主義に欠かせない創造的破壊はプラス面と同時にマイナス面もある。生産性の低い資本が、より生産性の高い資本に取って代わられることで、全体の生活水準も上がっていくが、同時に失業も招く。それが資本主義への反感をもたらす最大の要因だろう。

そうした反感が高まるのを防ぐ道の一つが、前回も触れたように教育の改善である。政治リーダーが目先の利益でなく、将来の繁栄につながる道を示すことも重要だ。だが、逆境に耐え、現実に適応していく能力は人間に備わっている。だからこそ人類は前に進んできた。この確信は揺らいでいない。

(前FRB議長)

       =おわり

米国の行方 – アラン・グリーンスパン 29

格差への答え
教育に政治の方向性に不安の種

二〇〇六年十二月末のワシトン。私はフォード大統領のひつぎを乗せた霊きゅう車から数?離れて走る車の中にいた。沿道はフォードに別れを告げようと集まつてきた多くの市民で埋まっている。それを見たとき、私の目からは涙があふれ、止めることができなかった。

フォードが大統領だったころと比べると、米国の政治は様変わりしてしまった。車から外を眺めながらそんなことを考えていた。

かつては、共和、民主両党がいくら激しく対立していても、晩さん会ともなれば、党派を超えて人が集まり、意見を交換していた。フォードも長年の友人であるオニール下院議長(民主党)をホワイトハウスによく招いていた。人と人のつきあいがあるから、意見もすりあわせられるし、合意も生まれる。

最近は共和、民主両党が角を突き合わせるだけで、互いのつきあいは減っている。だから何事も前に進まない。政治が機能不全に陥りつつあるのでは、と時々不安になる。

政治の方向性も心配だ。保護主義的な傾向が強まりつつあるからだ。今回の大統領選挙の候称者を見ても、本物の自由貿易主義者はほとんどいない。民主党はクリントン大統領が主導した自由貿易の立場から大きく後退。共和党の姿勢も、民主党に比べればわずかとはいえ、後退気味だ。

現実を直視し、不人気でも長い目で見た経済政策を訴える政治家は姿を消しつつある。改革が必要な公的年金や高齢者医療制度の問題については、だれも正面から取り組もうとしていない。

米国の経済そのものについては、決して悲観していない。中国やインドが経済的に台頭してきたのは確かだが、それは米国の競争力の衰えを意味するわけではない。

米国は十-十五年の単位で見れば、常に生産性を高めてきた。イノベーションの波がその都度起きた結果である。なぜそれが起きるかと言えば人々が自由で、活発で、強固な財産権によって守られているからだ。どんなイノベーションが起きるかは事前にはわからない。だが、今後二十五年程度を見通しで、年率二%前後の生産性上昇が続かないと見る理由はどこにもない。

課題は、その果実を人々が享受できるようにするかということだろう。新しい発明が起こり、設備も洗練されていくが、働く人々の技術的な能力はそれになかなか追いつくものではない。使い道のなくなった技能しか持たない人の報酬は減り、必要な技能を持った数少ない人はひっぱりだこになって報酬は大幅に増える。この結果、米国では大きな所得格差が生まれている。

民主社会にとっては危険な傾向である。資本主義が多量の富を生むのは間違いないが、公正に富が分配されていると人々が受け止めなければ、資本主義やそれを支える諸制度への支持は得られない。

この間題への答えは教育にある。米国の初等・中等教育に問題があるのは明らかだ。時代の変化に合わせて技能を付けることで所得を高めていく。それが王道だろう。富裕層に重い税を課して所得を再配分しようとすれば、全体の富は減る。低所得者も恩恵を受けない。

(前FRB議長)

日本とのつきあい – アラン・グリーンスパン 28

印象深い宮沢元首相
不良債権問題、議論交わす

ベーブ・ルースが訪日して歓迎されたニュースを子供の時に聞いて以来、日本のことには関心を持ち続けてきた。

日本製といえば、戦前は小旗とか安っぽい物という印象だった。そんな日本が敗戦で経済が破壊されたにもかかわらずへ高度な製品を輸出し始め、いつのまにか品質、技術で最高水準に達した。その変化にはいつも驚嘆していた。

初めて日本を訪れたのは米大統領経済諮問委員会(CEA)の委員長時代。一九七四年のことと記憶している。空港から東京に向かう車の中から見た印象は、ずいぶん住宅やオフィスが密集しているなというものだった。

日本人の印象を語る資格は私にはない。仕事相手の日銀幹部や財務相、首相ら政治家には会っているが、平均的な日本人像ではないだろう。残念ながら、判断するための十分なサンプルがないのだ。

個人として最も印象深い日本人は宮沢喜一元首相だ。彼が蔵相(財務相)を務めていた際に、七カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)でよく話をした。世界で起きていることをいつも非常によく理解していた。その点ではG7の大半の参加メンバーよりも明らかに数歩抜け出していた。

宮沢元蔵相との会話でよく覚えているのは、邦銀の不良債権問題を巡る議論だ。八〇年代末に米国も同様の問題に直面したが、私はその時の解決法を詳しく説明した。整理した貯蓄金融機関の担保不動産を整理信託公社(RTC)が安値で売り、不動産市場を動かしたことで、米国では問題を早期に解決した。宮沢元蔵相は辛抱強く、笑みを浮かべながら聞いていたが、最後に「それは日本のやり方ではない」と言った。金融機関の破綻や多くの失業者を生むことを意味するからだ、と。

小泉純一郎元首相もとても興味深い人物だ。前任の首相たちと全く違うタイプである。知的好奇心も旺盛だった。やるべきだと思うことを示して、反対なら選挙で追い出してくれと言って結局選挙で勝ったが、こんなことは日本ではめったに起きないことではないか。

彼が主導した郵政民営化も日本の最近の歴史の中で画期的な出来事だろう。日本の個人投資家のおカネが最近海外に向かっている。低金利の金融商品に満足できなくなったためと思うが、郵政民営化はこうした流れに沿うものだ。日本にも中国脅威論があるようだが、恐れることばない。日中が競合する金野はそれはど大きくないからだ。日本が高品質の部品などを中国に輸出、それを中国が組み立てて輸出するという分業関係ができている。十三億人の消費者を持つ中国は日本にとって魅力的な成長市場だ。

気になるのは高齢化と労働人口の縮小だ。すでに高い技術力を持つ日本が生産催の伸びを飛躍的に高めるのは困難。労働力や生産性上昇に限界があれば成長も鈍る。移民を増やすことに消極的だと将来難しい状況に追い込まれるのではと恐れる。もちろん、移民は社会的な問題で日本人自身が決めること。一エコノミストとしての見解だ。

前にも書いたように、米国では日本製品への拒否反応は消え、この点では摩擦の心配は全くない。最近は自動車だけでなく、日本の野球選手も高く評価されている。イチローの打率は驚異的である。

(前FRB議長)

退任 – アラン・グリーンスパン 27

調整に徹し政策決定
上がらぬ金利、「謎」は消えず

米連邦準備理事会(FRB)の議長を退任するまでの一年半ばかり、私はある謎と向き合う白々を過ごすことになる。

「いったい何が起きているんだ」。私はラインハートFRB金融政策局長に思わず不満をぷつけた。二〇〇四年六月末のことだ。四年ぶりに利上げをしたにもかかわらず、長期金利が上昇しないどころか、低下したからだ。

利上げ局面に移ることで、長期金利も上昇し、住宅ローン金利の上昇を通じて、過熱、感の出ていた住宅ブームを緩和することにもつながる。そんなシナリオがわれわれの頭の中にはあった。だが、そうはならなかった。

最初は一時的な現象と考えて、様子を見守った。しかしその後、FRBが利上げを継続してからも、.長期金利はほとんど上がらなかった。この不可思議な現象を私は「謎」(conundrum)と呼んで、いろんな場で問題提起するようになった。私のオフィスには「謎」というラベルの付いたワインがたくさん送られてくるようになったが、疑問が消えることにはならなかった。

明らかなのは、長期金利の低下が世界的現象であることだった。この間、世界の二十カ国以上の国々で住宅ブームが起きている。いずれも長期金利の低下が背景にあった。

私はかねて経済のグローバル化がインフレ圧力の抑制に貢献していると見ていた。とくに閉鎖的な旧共産圏経済が世界経済に組み込まれ、億貸金の労働者が世界市場に参入するようになったことが大きいと考えていた。賃金の伸びが世界的に抑えられた結果、予想インフレ率が低下したと見られるからだ。予想インフレ率が下がれば長期金利が低下するのは自然なことだ。

だが、それに加えてもう一つの要因が世界的な長期金利低下につながっていると見るようになった。それは、経済成長を加速させた途上国を中心に膨らむ余剰貯蓄である。このお力ネが世界の金融市場にあふれ出し、金利を押し下げている可能性が大きい。

世界的な力がインフレ期待を下げ、長期金利を低下させ、不動産や株の価格を押し上げているのなら、それに立ち向かうのは非常に難しい。世界的な流れと矛盾しないよう金融政策を調整すること。我々はそれに徹することにした。

中央銀行はやろうと思えば何でも実現できるはずだという考え方が、とくに政治の世界などで目立つ。しかし、そうした見方はこれまで以上に的外れになりつつある。中央銀行の力の大半は、圧倒的な世界経済の力によってそがれてしまうのが現実だからだ。

私は〇六年一月に退任し、バーナンキ議長にバトンタッチした。個別の金融政策については言及しないことにしている。だが、連邦公開市場委員会(FOMC)の政策決定過程は非常に洗練されたものだということだけは言える。

多くの優秀なスタッフが集めている米国や世界のデータは非常に豊かだ。データにとどまらず、各地区の連銀総裁が提供する今そこで起きている現象につ、いての情報も役に立つ。もちろん、決定が常に的を得ているという意味ではない。だが、大きな誤りを起こさないように、十分に包括的な過程をへて政策が決められているということは確信を持って言うこ
とができる。

(前FRB議長)

生産性上昇論議 – アラン・グリーンスパン 23

情報革命の力を予見
統計に背き利上げ見送る

メキシコ危機解決へ向けて協力し合ったルービン財務長官とサマーズ財務次官(後に副長官、長官に昇格)とは毎週一回朝食を取りながらいろんな話をするようになった。一~二時間、情報やアイデアを交換しあう中で、新しい知識を吸収することができた。

クリントンとの関係も良好だった。一九九四年に立て続けに利上げをした時、大統領はいらだっていたと後で聞いた。が、FRBを批判するようなことは一言も発しなかった。ベビーブーム世代でロック好きのクリントンと私とでは違いも大きいが、ともに読書好きで世界の様々なことに好奇心を持っている点は共通していた。だから話は合った。

「ワシントンに帰ったら大統領から電話がある」。ルービン財務長官がそうもらした時の光景は今でも目に焼きつている。二人とも、床から天井まで続く大きな窓からパリ市街を見下ろしていた。九六年一月の七ヵ国財務相・中央銀行総裁会議人G7)の休憩時間中のこと。中身はわからなかったが、良い話だと感じた。クリントンの電話は、三月に議長任期が切れる私を再任するというものだった。

このころ、私は経済に歴史的変化が起きつつあると見るようになっていた。「経済が長期的にどこに向かっているのか、それを動かす力は何なのかについて幅広い仮説を提起したい」。九五年十二月の連邦公開市場委員会(FOMC)会合で、こう発言した。情報技術の吸収と活用によって生産性が高まっている。その結果、低い物価上昇率、低い金利、完全雇用が長く共存できる時期に入ったのではないか。それが私の仮説だった。技術革新が深まれぺ持続して小る現在の状況は「五十年か百年に一回の出来事のよ今に見える」と述べた。

反応はほとんどなかった。利下げの是非を巡るなじみの議論に戻ると、皆ほっとした表情になった。「すばらしき新世界のシナリオにはまだついていけそうにありません」。ある委員はからかい半分そう語った。それでよかった。まだ問題提起だけで、同意を求めたわけではなかったのだ。

九六年九月のFOMCの議論はもっと緊迫した。多くの委員は利上げでインフレを防ぐべきだと主張した。賃金が上昇し始めていたからだ。

私の意見は違った。情報技術革命を背景に成長力が高まっているのではないか。とすれば、失業率が低下し、賃金が上がっているからといってただちにインフレを懸念する必要はないのではないか。

もちろん、根拠を示さなければ同意してもらえない。そこで提起したのは生産性の伸びが政府統計で過小評価されてきたのでは、ということだ。そのために数週間前からスタッフに生産性統計を精査させた。その結果おかしなことを発見した。政府統計で見る限り、サービス業の生産性は低下していることになる。インターネットの活用などでサービス業でも製造業と同様、合理化が進んだはずなのに、全く逆の結果が出たのだ。

この日の会合では賛否は分かれ、議論は白熱したが、利上げは見送った。情報革命が生産性にもたらした影響については今も論争が続く。だが、私は九〇年代半ばに安易に利上げを急がなかったことが、戦後最長の景気拡大につながったと今も信じている。

(前FRB議長)

日本脅威論 – アラン・グリーンスパン 20

バブルに警鐘鳩らす
ソ連嵐壊の報、亡き師恩う

米連邦準備理事会(FRB)議長に就任して数年の間に盛んにメディアを騒がせたのが日本脅威論だ。三菱地所がロックフェラーセンターを買収したり、西海岸の有名ゴルフ場が日本企業の手に落ちたりする度に、このままでは日本に何もかも買われてしまうという論評があちこちで出た。

当時言われていたことで最も奇妙だと思ったのは、日本の皇居の不動産価格がカリフォルニア州全体の土地の価格を上回るという分析である。全くありえないことだと感じた。皇居を歩いたことがあるが、それほど広大な場所というわけではない。それが日本の国土とほぼ同じ大きさのカリフォルニア州と同じ価値があるはずがないのだ。

円高・ドル安と日本の土地バブルが異常な推計の背景にあった。これをもって日本の脅威を語るのは正しくないと思っていた。そうした行き過ぎに警鐘も鳴らした。

日本への警戒感の高まりは、激しい貿易摩擦も呼び起こした。政権は日本に強く当たるよう政治的圧力にさらされた。私は常に自由貿易主義者だ。日本からの輸入拡大を問題視するのは正しくないとはじめから思っていた。

自動車を例に取れば、私の考え方はこうだ。日本からの自動車輸入が増えなければ、米自動車業界はもっと早く苦境に陥っていたはずだと。米国メーカーは日本車との競争があるので、それなりの努力をするようになった。輸入制限ではなく、競争こそがメーカーを強くするのである。

米自動車メーカーはその後販売シェアを失ったが、それは世界の技術に追いついていない結果だというのが米消費者の判断だ。私の家には今トヨタのレクサスが二台ある。妻と私がそれぞれ使っている。同じタイプの米国車に比べれば選択は明らかだった。米車のシェア低下は米国のメーカーにとってきまりの悪いことではあっても、もはや政治的な問題にはならない。

議長就任後に世界で起きたことで最も印象的だったのは共産主義圏の崩壊だ。その過程は、資本主義の源に光を当てる良い教材になった。財産権保護や相互信頼関係が市場経済に不可欠なことをはっきりと教えてくれたからだ。

ゴルバチョフ共産党書記長の時代にモスクワを訪れた。中央計画経済の特徴に気づいたのは、空港から市内に向かう車中でだった。道路脇の畑で一九二〇年代の肯い蒸気トラクターを見つけた。「なぜまだ使っているの」と同乗していた警備担当者に聞いたら「まだ使えるからでしょうか。よくはわかりません」と言う。私はこう解釈した。中央計画経済には創造的破壊が起きない。良い機械をつくろうという動機が働かないのだ。

ソ連の責任者は効率的に年産計画をたてていると硬調した。欠占お修正も試みていたが、担う仕事が大きすぎた。資本主義経済は市場価格の変化を目印にして動く。様々な商品の生産量を市場のシグナルなしにどう決めるのか。設備投資への資金配分を金融市場からのシグナルなしに決めるのも至難の業だ。彼の立場でなくてよかったと思った。

九一年冬。ソ連の終わりを伝える新聞記事を読みながら、思想上の恩師であるアイン・ランドがすでに亡くなっていたのが残念でならなかった。彼女はずっと前からソ連崩壊を予想していたからだ。

(前FRB議長)