江頭邦雄(24)M&A

社員のやる気 カギに
解雇せず共に苦労し達成

「経営は戦いである」。フード・サミットでこのことを学んで以来、私のM&A(企業の合併・買収)熱は一段と高まった。ネスレやユニリーバといった世界的食品企業と対等に渡り合うには、売上高一兆円、ROE(株主資本利益率)10%以上が何としても必要と痛感したからだ。

M&A推進部隊を社長の直轄下に置き、魅力ある案件があればすぐ対応できるよう一千億円程度はいつでも用意できる体制を整えた。世間では「異常なペースのM&A」とささやかれたが、私に言わせれば世界企業の平均的ペースでしかなかった。

そうして買収した企業の一つに北フランスのオルサン社があった。欧州で唯一、グルタミン酸ナトリウムをつくっていた会社だが、世界的な競争に敗れて売りに出ていた。交渉の末、味の素が全株式を買い取け、社名を「欧州味の素食品」に改めて再出発することになった。

2003年9月。オープニング式の終了後、私は従業員を集めて話をした。「オルサン社の将来を皆さんは不安に思っていた。しかしわれわれは175人の従業員全員を引き受けることにした。皆さんの生活を守るためだ。そのためにはお願いがある。申し上げる仕事についてはきちんとやってほしい。一生懸命やってほしい。それをしてくれる限り雇用は確保します」

話し終えて一人ひとりと握手をした。肩を叩き、抱き合った。目を正面から見て「頼むよ」と言った。

別室で休んでいるとフランス人の工場長が訪ねてきた。「これまでの親会社はベルギーにある。ここから二時間ほどの距離だ。しかしボスは20年間一度もここに来たことがない。経営方針の説明もすべて私に任されていた。今日、あなたが東京から来て、直接考えを話し、全員と握手までしてくれたことに皆喜んでいる。全員やる気になっている。任せてほしい」

彼の言葉通り旧オルサン社は立派な会社に生まれ変わった。お荷物同然だった会社が納税や雇用を通じて地域に貢献している。人間誰しもやる気はある。それにいかに火を付けるか。そこがポイントとそのとき学んだ。

味の素九州工場に奇跡の再生をもたらしたのも従業員のやる気だった。2001年7月、戸坂修取締役を工場長として派遣した時、私以下ほぼ全役員が「完全に競争力を失った九州工場は閉鎖もやむなし」と考えていた。しかし彼は「閉める苦労を思えば存続のためのどんな苦労もできるはず」と従業員に呼びかけ、ともに再生を目指した。

再生には血のにじむ努力要したはずだ。232人の生産要員を一人もリストラすることなく、同じ業務を分以下の110人で行ってコストを半減。残った人たちを新規事業に充てようというのだから。一人ひとりが多様な仕事をこなす「マルチスキル化」が計画の核だった。

彼らは難事をやり遂げ、二年余でコスト半減の目標を達成した。その最終報告会で老若男女10人ほどの現場従業員が2年間の苦労を語るのを聞いて、私は涙を抑えられなかった。人間は賃金のためだけに働いているのではない。やりがいがあり、生きがいを感じられる職場ならとてつもなく大きな力を発揮する。そんな会社にしようと固く私は心に誓った。

味の素会長 江頭邦雄

「私の履歴書」50周年特集――長命の連載、その理由、一人称で語られる自伝。

同時代に生きる生の声 

自民党幹事長時代、田中角栄氏は多忙きわまる中で「私の履歴書」を執筆した。若き日に懸賞小説に入選したほどの文章家だから、世に出るまでの前半生が生き生きと描かれ、評判になった。

担当記者が「まるでディケンズの小説を読むようだ」と感想を漏らしたら、秘書を通じて本人の耳に入ったらしい。打ち上げの席で「わしのことをディケンズだと言ってくれたのは誰かね」と尋ね、「ありがとう、ありがとう」と握手してきたという。

■文学的にも価値

作家の井伏鱒二氏の担当は若い記者が志願した。原稿を受け取り、喜び勇んで読む。高揚した素晴らしい文章になっていくと、そこに線が引かれている。「ああ、もったいない」と心の中で叫ぶことがしばしばだった。ところが、連載はほかのエッセーと合わせて一冊になり、読売文学賞を受賞した。

一般に作家は人生を虚構化し、小説に昇華させることが自伝を書くより大切だと考える。実際、作家からそのように言われたことが一度ならずある。ところが「あの井伏さんが出たなら」と執筆を了解してくれることもあった。

文化面に自伝の欄を設ける企画が決まったときのこと。当時の文化部長は「私の自叙伝という題でどうだろう」と言った。部員から「自叙伝の自と私が重なりますね」と異議が出た。ウーンとうなって、ひねりだしたのが「私の履歴書」。妙な題だと思った読者も少なくなく、当初は一人七、八回の短期連載に過ぎなかったが、よく読まれ、今日に続く長命の連載となった。

マンネリを嫌う新聞紙面で、これほど長く続いたのはなぜか。理由は一人称で語られる自伝の魅力につきる。

同時代をともに生きる生の声が読者の心に響いた例として松下幸之助氏をあげることができる。まず一九五六年八月に登場し、少年時代から会社の再建までを語った。「だが、この姿はまだ序の口で、電化ブームの余恵を受けている程度に過ぎない。これからが本当の発展になるだろう」と予言し、二十年後、本当に再登場した。

結果、こんな話が書かれた。東京オリンピック後の不況に際し、赤字に苦しむ代理店や販売店の社長らを前に松下氏は「私どものお世話の仕方が不十分でした」「心を入れ替えて出直したい」とあいさつした。会場は粛然とし、半数以上の人がハンカチで涙をふいた。「われわれも悪かった」と言う人が続出した。

経済は一見非合理な人間の心で動いていることが思いのほか多い。心を作るのは家族であり、故郷であり、読書や師との出会いである。そんな心の働きを広い意味で「文化」と称してもいいだろう。

■人生の肯定の仕方

欧米では、成功した人間が自伝を残す習慣がある。多くの場合、驚くほど率直な言葉でつづられる。人生をふりかえり、神に告白をするという伝統的な意識がそうさせるようだ。外国人の連載は異文化を理解する手だてともなる。

避雷針を発明したベンジャミン・フランクリンはユーモアを交え、自伝を書く理由を挙げた。第一に成功をつかむまでに用いた有益な手段を子孫に伝えるため。第二に老人によくある身の上話をしたがる癖のため。三番目にうぬぼれを満足させるため。

文化部記者として多くの「私の履歴書」にかかわったOBの石田修大氏は『自伝の書き方』(白水社)に、こう書いた。「自伝を書くということは、結局、自分自身を肯定する作業である」。人生の肯定の仕方、それこそが読者のもっとも知りたいことだろう。

(編集委員 内田洋一)