リサイクル市場勃興の立役者 – 森下篤史

前代未聞の「社長の椅子」争奪パトル、店長立候補制などの人事制度・・・・。
ユニークの域を超え、豪放磊落、破天荒。絶好調企業・テンポスパスターズを率いる森下篤史のイメージは、典型的なベンチャー企業経営者そのものだ。しかし、ハチヤメチヤの裏には、自己改造を目指しトライ&エラーを続ける、もう一人の森下がいる。

ある居酒屋で、航空会社の機長に開いた話をヒントに思いついた経営目標について、彼は語り出す。
「福岡行きの飛行機は、羽田から飛び立つと、最初の50kmで高度約1万mまで上昇して、そこから残り約1000kmを巡航速度で飛ぶ。その際、最初の50kmを飛び上がるのに、巡航速度時の20倍の燃料を使うらしい。近年、業績が右肩上がりのテンポスバスターズも、その飛行機みたいに20倍のエネルギーが必要です。例えば、他社の社員が20日掛かる仕事を、1日でやらなきやいけない」
そう言いながら、テンポスバスターズ(以下、テンポス)社長の森下篤史(57歳)は、演壇左側のホワイトボードに飛行横の速度を黒ペンで描きだす。

急激な上昇速度を示す右上がりの斜線を、次に巡航速度を示す横ばいの直線を引く。その線で囲まれた場所に「20」と書き込めば、「ルート20」に見えなくもない。
これが森下流「ルート20の法則」だ。

今年4月22日午後6時半過ぎ、東京都千代田区の如水会館1階で始まった日本ベンチャー学会。「常識への挑戦」と題されたセミナーの講師が森下だった。聴衆は大学教授や若者、企業経営者ら約40人。
だが、講演と言うより、漫談か講談に近い。冗談か実話か分からない珍妙なエピソードから、トライ&エラーを尊重する社内風土まで、身ぶり手ぶりで縦横無尽に語る。およそ5分に1回は聴衆から笑い声が上がるほど、サービス精神満点の一人舞台。
従来、営業不振から閉店する飲食店主は、下請け業者にお金を支払い、厨房機器や什器などの処分を委託していた。そこで森下は店主に数万円支払ってそれらを引き取り、新品同然にして、当時のリサイクル業界の相場より安い価格で売り、低予算で飲食店を開業したい顧客の高い支持を集めた。それが1997年4月のテンポス創業につながる。元は食器洗浄器の販売会社で、新規事業として手掛けたリサイクルビジネスが急成長した格好だ。
その後は飲食店経営者を顧客対象に、割安な食器やインテリアの販売、人材派遣や経営指導へ展開。
今後は金融を含め、フードビジネスの総合プロデューサーを目指している。4月8日のジャスダツタ市場で、同社の株価は69万2000円と、12日間で約90%上昇してストップ高となるなど、人気は過熱気味だ。
一方で、その企業イメージはユニークの域を超え、破天荒さが増すばかりだ。森下の発案による、上場企業では前代未開の「社長の椅子」争奪バトル。「儲けるな、儲けろ」を合言葉に、業界相場を下回る低価格化戦略。オバケ退治がテーマの米国映画「ゴーストバスターズ」をヒントにした社名も、飲食店を片付けるから、「テンポスバスターズ」だという。真ん中の「ス」の意味を森下に開くと、「酢は身体にいいからね」と言ってニコニコしている。マスコミに露出する森下のイメージも、エネルギッシュで冗談好き、物怖じしない経営者像ばかりだ。
しかし、今回の取材で、彼のもう一つの素顔を垣間見ることになつた。

ダメな自分を共有する森下塾

冒頭の講演会から5日前の17日、都内にある森下の自宅で、早朝から森下塾が行われていた。4月末現在、テンポスは全国に28店舗を展開。昨年4月期、社員数181人、年商約46億円企業に成長した。好業績を背景に会社規模が拡大する中、森下の考え方を各店舗に浸透させるため、社長再任が決まった3月中旬から、彼はこの塾を始めた。この日の参加者は、全国各地の副店長以上の管理職男女6人だ。
「以前、新幹線の同じ車両で、携帯電話で一人しゃべり続けてる男がいたもんで、『うるせぇ-んだよ』って思わず怒鳴って、一人溜飲を下げてしまった。そんな大人気ない男でございます」
そう森下が言うと、塾生から笑い声がもれた。彼につられて、店長らがダメな自分を口にし始める。
「ぼくも、スタッフに言い訳されると、つい感情的になつて怒鳴ってしまうんですよ」
26歳の男性店長がそうこぼすと、森下がこう言う。
「そんな場合は相手への共感カを高めて、思ったことをストレートに言わずに、意図的にカーブを投げる練習しないとな。でも俺もそんな失敗の連続だよ」
冒頭の講演会での自信満々の彼とは違い、自分の失敗や弱点を率直に語る森下がそこにいた。同時にそれは、マネジメントの人間がその肩書きを外し、森下と共にダメな自分を共有する場所でもある。
7人が囲むテーブル上には、『EQリーダーシップ』『ロジカル・シンキング』など7冊の本が積まれている。「EQ」とは、知能指数を表す「IQ」に対し、「心の知能指数」と呼ばれる。大雑把に言えば、自分と他人の感情を理解して、他人とうまく協調する能力のことだ。
一方、森下塾では三島由紀夫著『棄隠入門』もテキストとして使われている。『葉隠』とは、江戸時代の18世紀に書かれた武士道の書。「武士道とは死ぬことと見つけたり」の一文が有名だが、同書には君主に対する武士の行動原則があまねく書かれている。

「”水平飛行″に移行するまでは何でも他社の20倍でやらなきや」

森下は同書から引用しては、自分の今の仕事を例にとって文章の意味を説明してみて、と塾生に投げかけながら、その意味を理解させようとしていた。一見、破天荒な経営者に見える森下と、米国流の科学的人間分析法であるEQ、そして日本古来の武士道を説く『葉隠』。それらの取り合わせは、古今東西の文化のごった煮にも見える。
「いや、『葉隠』もEQも要するに人間研究。事業戦略を考える際に、例えば、この宣伝にお客さんはどう反応するか、あるいは同業他社はどんな対応策を打ってくるかを考える。どちらも人間相手に考えるわけだから、経営は人間研究が大切なんです」
極めて論理的だ。
そんな彼から、「親類縁者から、俺が似てると言われている祖父がいる」と開き、彼の生家がある静岡県磐田郡水窪町に向かった。

祖父に見たベンチャー精神

色擬せたモノクロ写真に写る、30歳代風の着物姿の男は、卵型の顔や広い額、鼻筋などが森下と似ていた。それは森下が8歳の頃に他界した実母の父親、故・春川藤七。母方の祖父だ。だが、細くクールな眼差しのせいで、森下よりは数段ハンサムだ。藤七は49(昭和24)年、73歳で他界している。
「私の父によると、藤七さんは、三重や沖縄など全国各地を転々としながら、材木業を手掛けていたそうです。山に入って一定地
を買い取り、それを伐採させて地元の材木商に売る。伐採の際には、必ず水窪の男達を引き連れていったそうです」
藤七の孫の春川仁(72歳)は、水窪町にある先祖伝来の春川家で語った。田畑も少ない山間の村人のために、藤七は出稼ぎを組織した人物だった。しかも戦前は、遠くロシア領の樺太まで出掛け、約1年掛かりで、現地の木材を切り出したというから、当時にすれば桁外れなベンチャー起業家だ。
「樺太で切り出した木を、大きな船で清水港まで運んだらしいんですが、結果的にはそれで春川家は大損を被ったらしいですね。大半の財産を差し押さえられ、当時この家にあった高価なものは人手に渡り、今も襖などはバラバラなままなんですよ」
春川は苦笑いをうかべた。森下にとって、藤七はまさにトライ&エラーの先達だつた。
だが、四方を山に囲まれた土地に暮らしながら、なぜ全国各地を転々としなければならなかったのか、と疑問に思われる方もいるだろう。83年発行の「水窪町史」にその答えがあった。
水窪一帯は江戸幕府の所有地で、明治時代になると明治政府の官有地になる。1875(明治7)年、全国初の官有林の伐採が水窪で始まったが、トラックがない当時、伐採した木は川を利用して運搬した。だが、川床に巨岩が多く川幅も狭いため、近隣の川から太平洋へ運ぶには時間と諸経費が掛かり、儲からなかった。
面積約271平方キロメートル、人口3554人(今年2月末時点)の水窪町は、今も96%が森林という山峡の町だ。
江戸時代から年貢米を作る水田が少なく、幕府への年貢を金で納めるしかなかった貧しい村が、山の木々をトラックで運び出して売買できるようになるのは、藤七が老け込んでからだった。

『葉隠』もEQも要するに人間研究
経営は人間研究が大切なんです

町の中央を流れる水窪川から見ると、すり鉢の底に当たる市街地に家々が集まり、猫の額ほどの茶畑などが、周囲の山の斜面に張り付くように点在する。
森下はそんな町で生まれ、高校までを過ごしている。本人によると、「やたらエネルギーが多く、先生の話に絶妙の間合いでツッコミを入れ、同級生の笑いを取るのが好きなガキだった」という。
三男二女の五人兄姉の長男。父の金敏(86歳)はかつて町役場勤務、義母の百合子(80歳)は小学校教師だった。静岡大学教育学部卒業後、教師になって将来は地元の学校の校長に、という父の願いはかなわず、森下はレジスターメーカーに入社する。

「常識」と「非常識」の狭間で

71年、東京電気(現・東芝テック)静岡支社に入社。営業マンになつた森下は、最初の半年間1台も売れず、トップ営業マンヘの同行を志願する。
「そしたらノウハウも何もなかったね。相手が何言おうが、終始土下座して、相手が根負けするまで粘る人。お客に無断で契約書作って、『ハンコだけ押してくれ』と押し売りまがいに迫る人とか、もうメチャクチャ非常識なわけ。そこで学んだのは、トップ営業マンは自分のスタイルに合うお客をきちんと選んで、好成績を残しているということだけ」
当時の営業マニュアルに書かれた「常識」など、まるで無意味だった。かと言って、非常識な先輩の方法を森下がまねても、成績が上がるはずもない。
だがその直後、大手スーパーマーケットが全国展開を開始。個人商店から大手スーパーが主要顧客層になると、今度は森下のようなビジネスライクな営業が好かれ、彼は3年連続で社内のトップセールスを記録。一方で、先の個性的な先輩らは退職していった。時代が変わると、売れる「常識」も非常識へと反転した。
82年に脱サラし、翌年、業務用の食器洗浄器の販売会社、共同精工(現キョウドウ)を3人で設立。経営者になつた森下だが、今度は取引先の「常識」に翻弄される。
「欠陥商品が多く、納期も守らない。納期を守れと私が怒ると、『値段が安くて合わない』と突然言い出したりね。中小企業の世界は、商品を買う会社より規模が大きいメーカーの方が強かった」
弱肉強食の社会で、「常識」の無力さを彼は痛感させられた。それでも本業の傍ら、彼は環境調査会社から回転寿司屋まで七つの新事業を立ち上げたが、いずれも失敗。そして八番目の厨房機器のリサイクル事業が当たった。森下のトライ&エラーの精神が、ようやくつかんだ成功体験だった。

森下篤史と″葉隠″篤史の葛藤

森下が携帯するB5サイズのノートには、ふいに浮かぶ事業案と共に、日々の反省点が書き留められている。ある日、彼はそのノートを見せてくれた。
「相手を小馬鹿にしたように思われる」といった文章が書かれた次のページに、「相づちを打つ」「反論しない」という対応策が書かれていた。彼は日々、自己改造のために”練習″する男だった。
例えば、森下式の男らしさ練習法を紹介したい。レジスター会社勤務だった頃、あるトラブルがもとで暴力団事務所にお詫びに出掛けた。最後の切り札である示談金100万円はスーツに忍ばせ、菓子折りと2万円を握りしめて、事務所のドアを叩いた。
「そしたら頭の禿げた大男が出てきて、菓子祈りと2万円を差し出す俺の両手を足で踏んづけるわけ。でも、最悪の事態になったら、100万円払えば許してもらえると思うと、手は痛いけどあまり恐くはなくて、なんとか2万円と菓子折りで勘弁してもらえたんだ。そんな練習を重ねると、度胸がついていくわけさ」
テンポスの阿部伝事・関東エリアマネージャーは、こんなエピソードを明かしてくれた。
「森下塾でも以前、社長が『俺も元来、あがり症で臆病な人間なんだ。だけど、いい店長や経営者になるには、まずそれを演じればいい。俺だって演じてるよ』ってポロッと言ったことがありました」
静岡大学教育学部の同級生である水嶋啓は、俺はやっていることと、心で思っていることがズレてる部分がある、と学生の頃の森下が話していたのを覚えていた。
「彼は元々神経質で、すごく外向的な部分とナイーブで内向的な部分を併せ持っているんです。その内向的な自分にコンプレックスを持っていて、いつ頃からか、新しい自分を創るために、自分の気持ちとは反対の行動を取るようになったんですよ」
その話を伝えると、森下はニヤリと笑って言った。
「例えば、『社長の椅子』争奪バトルでも迷うわけさ。仮に俺が負けて社長の座を明け渡しても、俺の年収はそのままでいいんじゃないかとかね。俺だって家のローンがあるわけだしさ。でも、そういう逃げに動こうとすると、武士道好きな″葉隠″篤史が出てきて、『そりや、男らしくねぇんじゃないの』って心のどつかでつぶやくんだ。今でも葛藤の連続だよ」
程度の差はあれ、人は誰もが対外的な自分と、素の
自分を演じ分けている。だが、コンプレックス克服のために、ユニークな実践練習と、『葉隠』を自らの合わせ鏡に、57歳の今も自分を変えようと努力している点に、彼の人一倍強い向上心がうかがえる。

トライ&エラーを尊重する風土

「体験実習報告を始めます。よろしくお願いします」
小柄で色白な新卒の女性社員が元気良く話し始める。4月20日午後4時過ぎ、東京・平和島ユースセンター第1研修室A。テンポスの新入社員が全国の店舗で行った、11日間の業務実習報告の真っ最中だ。今年の新卒社員27人の実習報告に、全国から集まった店長らが耳を傾けている。
「‥‥‥数多くの電話を取ることで取引先の名前を覚え、次第にお客さんの問い合わせに応じて、修理依頼シートを記入し、自分で発注できるようになりました」
色白な頬を紅潮させて、彼女が実習体験を話し終えると、森下や店長全員から大きな拍手が送られた。
他にも、人見知りだった自分を、地元飲食店へのチラシ配りを通して変えられた男性など、実習での取り組みと手応えをそれぞれが懸命に語っていく。
上司に命令されるのではなく、自分なりに考え、行動して学んだことを自分の言葉で語る。それがテンボスの一員になる出発点だから、店長らは彼らの報告を拍手で歓迎している。清々しい光景だった。
彼らに続き、各店長がお店の紹介を行い、それを開いた新入社員が働きたい職場を選び、その店長と交渉する。入社時から自己責任の原則を徹底させるため、4年前から始まったテンポス式配属決定法だ。
入社後も異動先の承諾があれば、社内FA制度で、より自分の能力を高められそうな職場に移ることができる。だが、異動先で結果を残せなければ、当然、その責任も問われる。一方、部下が流出した店長は降格させられる。会社による人事異動もあるが、テンポスにいる限り、どんな部署にいようと、上司も部下もトライ&エラーの連続だ。
一方、優秀な人材と豊富な販路を持つ大企業では、減点方式の人事評価がはびこり、前向きな失敗を尊重する風土も培われず、自らの進路を見失っていく場合も多い。それらを尻目に、森下篤史率いるテンポスバスターズの前進は続く。(文中敬称略)

取材・文◎荒川龍
写真◎菅野勝男