Don’t Stop! – 松井秀喜

13年前・・・再び泣いた
心の制御術つかむ。騒動よそに本塁打

「人間・松井秀幸の研究を書いてみたい」。彼にそう告げた時の第一声が忘れられない。
「短気なのが、案外、ばれちゃうかもね」
が、いくら本人から話を聞いても「短気」であることを示す逸話は出てこない。松井がいら立ったり、相手に不快感を与えたりした場面を記憶している人も容易に見つからなかった。
「松井秀喜は美化されすぎではないか」
最後に、父親の昌雄氏を強めに揺すってみた。意外にも「その通り」という答えが返ってきた。「秀喜が一見、優しそうに見えるのは、自分が逆のものを持ってるからでしょう。その裏返しだと思う。逆のものを見せたくないから、本能的に優しい姿を見せるんじゃないですか」
「逆のもの」とは?
「そりゃあ、すごいですよ。彼が怒りだしたら本当に怖い。暴力を振るうわけでも、相手をむちゃくちゃ言うわけでもないが、相手をにらんだときの目がすごい。子供のころ、よくそういう姿を見たね。お兄ちゃんとけんかしたときの、彼の目の据わり方といったら半端じゃない」。父親でさえ「すごみ」を感じたほどの二男の目とは、どんな光を放っていたのだう。
「気が強いんです、彼は。短気な面もある」と、述懐した昌雄氏は「でも」と続けた。「短気だが、それを我慢できる深みを持ってる。持って生まれた器が深いから、そうできる。親ながら、この男の心の底を見てみたいなと思うときがあります」

息子にだって他人の立ち振る舞いに怒り、悪口が舌先から滑り落ちそうになるときがある。ただ、自己コントロールのすべを知っているから、沸騰しない。そういう具合にできている。
父親はそういった。

しかし、あのころの松井には、まだ、感情の堰(せき)が切れる瞬間があったようだ。
一九九二年夏。甲子園の明徳義塾戦で、彼は5打席連続敬遠の憂き目にあった。「悔しい」とか「ひきょうだ」とか、感情的言葉を聞き出そうと、マスコミはマイクを突きつけた。
が、怪童は相手を一切批判しなかった。「立派な高校生がいるもんだねえ」。松井のそういう評判が、敗戦を境に、世間に広まった。一度も勝負してもらえず、組合にも負けた。彼を国民的スターに押し上げた要因の最初は、この悲劇性だった。

ところで、甲子園球場を後にした松井は、その後、どうしたのか。チームメートとともに、六甲山で夜景を見た。そして、宿舎に戻り、個室に入った。
「ちっちゃいシングルの部屋で、一人になって」と、松井は息を細くした後、「泣きじゃくる感じではなかったけど…」と言って止めた。「泣いた」という言葉こそのみ込んだが、きっとその時、水にぬれた生木が燃えるように、加え続けた激情がこみあげてきたのだろう。
涙で奥歯が震えた。
彼は悔し涙のことを今まで誰にも話さなかった。父親もその事実を初めて聞いた一人だ。

試合後、父子が会ったのは激情が去った後だった。「秀喜にあの時どうだったと聞いたら、『全然、悔しいことなかった』と言っていました。敬遠の後、彼が一塁ベース上で祈ってるような姿を見せたんですよ。残念で、悔しがってる姿にも見えたけど、秀喜は、次のバッターに『打ってくれ』と祈っていただけだそうです」。誰もが、13年間、同じように信じてきた。
しかし、松井はあの夏、ホテルの部屋で忍び泣いた。

「あれが最後の涙。プロになってから、野球で泣いたことはない」

生木は燃えかすとなり、松井は、それまでと違うレベルで、心を操作することの何事かをつかんだに違いない。松井秀喜、18歳の時の話である。
この春、彼は打てなかった。六月八日のブルワーズ戦では、「休養」という名目の先発落ちを経験した。不振と屈辱がからまった、もつれをほぐすために、とにかく大汗をかいた。
代打出場で、ボテボテのゴロを打ち、イチローばりの全力疾走で内野安打を稼いでみせた。十日には異例ともいえる特打ちを志願し、一筋の光明を見いだした直後の出来事だった。
六日十二日。31歳になった松井はセントルイスにいた。勝ち越し打を放った直後の守備。打球を処理する際に転倒し、立ち上がれなくなった。トーリ監督に抱えられ、退場した姿は「悲劇」のにおいがした。ねんざと一口にいうが、右足首の外側、くるぶしの下あたりが紫色に内出血し、腫れあがるケガだった。
「マツイは今日、出られるのか」。欠場すれば、日本時代からの連続試合出場が「1637」で途切れてしまうらしい。2日後の試合前、それがニューヨークの街の話題になった。
周囲の騒動をよそに、彼はいつもより1時間早めに球場に入り、テーピングで右足を固め、それから、痛み止めを1錠のんで、打席に入った。
だけではない。第1打席、しかも初球。5号ホームランを放った。表情を殺してベースを一周する彼の姿を、なんと形容すればいいのだろう。「野球って、こんなものなんだなあ」。さすがの彼もベンチに戻ると、唇の両端がゆるみかけた。あわてて、いつもの松井の確に表情を修正したのがおかしかった。
「信しられないヤツだ」ニューヨークがどよめいた。
松井に向けるフアンのまなざしが、それまでとは明らかに変わった。畏敬(いけい)の念といったような、ずっしりと重い感覚。13年前の松井騒ぎを経験した日本人が、同じような心情を抱いたように--。
六月十四日、ニューヨークはめずらしく蒸した。スタンドを漂う夜気が、ねっとりと体に張りつく晩だった。
松井の夏が再び巡ってきた。

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一度だけの予告本塁打

松井が一度だけ「予告ホームラン」を打ったことがあるという。星稜高校の山下智茂監督の話だ。高3の練習試合で、足を負傷した三番の選手が四番松井に回そうと相手の裏をかき、セーフティーバントで塁に出た。「サインは出さないでください」と言って打席に向かった松井は、2ランホームランを打ったという。
「ランナーが走らないでもかえってこれるように、と思ったんでしょうね。ランナーは無謀なヤツでしょ。バカでしょ。でも、彼のプレーを見て、『コイツすごい』と思ったんだよね」。ホームランが「予告」だったかの真偽はともかく、松井はそんな「無謀なバカ」がたまらなく好きだ。

(ニューヨーク=朝田武蔵、写真は森山徹)
日本経済新聞 2005年(平成17年)6月28日(火曜日)

500分の1秒でも映らぬ理由 – イチロー

マンスリー大リーグ特集
ichiro road to .400(6月26日現在の打率.293)

その光景を目撃した多くの人は、顔を見合わせた。六月八日の対マーリンズ戦。試合後、イチローはベンチから下がるとき、グラウンドに向かい声を張り上げた。脇で見た友人のカメラマンは言う。「審判に向けたものだと思う。試合中、ずっと厳しい表情だったから」

ファインダー越しの推測は正しい。試合後イチローは、対戦したD ウィリス投手について聞かれると、「審判次第じゃないですか」と、暗に主審を批判している。

後日、その日の写真を見せてもらった。肩より上の球を追うイチロー。見逃してストライクをコールされれば顔が曇る。
「今年はこういう打席が多い。審判の判定に苦しんでいるのかな」。メジャーを撮り続けて16年のカメラマンの目はさすがだ。元中日の与田剛氏にも、イチローはこぼしていた。「審判の判定、毎年変わるから大変ですよ」 その判定、今年は特に厳しいとの声も聞く。チームの主砲、R・セクソンも言った。「今年、外側がさらに広い」

ただ、別の視点で写真を見ると、さらに興味深い。五百分の一のシャッタースピードで撮ったイチローのフォームは、頭とつま先、つまり軸が一切ぶれていない。「それがイチローだよ」。5年間イチローを撮ってきた彼は続ける。「五百分の一でシャッターを切ったとき、いい打者なら頭とつま先にピントが来る。軸がぶれていない証拠。でも、体勢を崩されても軸がぶれない選手は珍しい」

故にスランプが短いと結論するのは早急。「写真を見る限り、去年のフォームとの違いはない」とそのカメラマン。「だからこそ厄介なのかな」。審判に矛先を向けるのは簡単。が、五百分の一秒という肉眼で追えない世界にもイチローの苦悩の原因が映らない。だからこそ彼の模索は続く。

イチロー自身も不振の理由についてこう語った。「分かったつもりのものもあるし、そうでないものもある、と言ったほうが正しいですね」

(スポーツライター丹羽政幸)

職業

世に卑しい職業はない。ただ卑しい人間があるのみである。

by リンカーン