R25時代 – 高田純次

俳優を志して自由劇場に入団したのが25歳。

「2~3人で組んだら、すぐにバンパン劇を作って、稽古場で即興で、みせるっていうのをずっとやらされたのよ」。

今なお切れ味鋭いアドリブの下地はこのころ作られた。

だが、2年も経たないうちに、見切りをつけて就職。

4年間、芝居から遠ざかった。

このサラリーマン生活で、200万円を貯金。

結果的にはのちに芝居の世界に戻る口実としての生活資金を稼ぐ場になった。5時から男の原型はここだね(笑)。

会社時代のあだ名はスーパーマンになれないヤツっていう意味の“パーマン”。

「意外とお調子ものでね(笑)、細かいことはなんでもやってたんだけど、全部が全部パーフェクトにいかない。中途半端なものばっかりだったから、パーマンになっちゃった。」

そこは少人数の会社。しかもほとんどが女性社員。

まさに高田純次の天下だった『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で、よくやってたのはリポーター役。

最初の3年間は何するか分からないまま、とりあえず現場に行かされていた・・・らしい。

「ロケスケジュールがタイトで、現場何時に集合っていう感じだったから、そこに着いてからリポーターのキャラクターを短時間で作ってた。」

厳しかったが、即興劇の経験を生かせる、まさに高田向きの番組だった。

「若いころは全然苦労したとは思ってないの。その時代はその時代で楽しく生きてたから。」

 

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Bubbles of river disappear rapidly.

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