気に入らない取引先は切る – 中里良一

どうして「客を切る」?

下請けを見下す顧客を切ることで社員の自尊心を満たせる顧客企業に緊張感を与える
下請けよ、誇り高くあれ!

三流会社とは、働く人の心が貧しい会社

写真の男性が手にしている一枚の紙。ただの社内文書のように見えるが、その内容は突拍子もない。文書のタイトルは、「取引先担当取り下げ申請書」-。社員が「気に入らない取引先があるので、取引を打ち切ってほしい」と申し出るための書類だ。こんな奇抜な書類を用意しているのは、バネメーカーの中里スプリング製作所(群馬県高崎市)。写真の男性は、同社の中里良一社長だ。

下請け中心のメーカーが、こんな書類を用意していることだけで驚きだが、社員が挙げている「取り下げ理由」を読むと、さらに驚かされる。「自己の都合のみを押し付け、仕事を出してやっているんだというような態度がありありと感じられる」。そんな理由で取引先を切っていいのか?しかし、この書類に中里社長が付したコメントは、「お客様の規模ならびに取引金額の大小に関係なく、尊敬出来るお客様だけとお付き合いさせて頂くというのが、会社としての方針です」。こうして取引は打ち切られた。

取引先を切る「権利」は、誰にでも認められるわけではない。中里社長が「一番頑張っている」と認め、表彰した社員に与えられる特典の一つだ。加えて、中里社長自身が「恩着せがましい態度が鼻に付くなど、どうしても尊敬できない」と感じ、取引を断ることもある。この25年程の間に切った取引先は、実に50社近くに上る。

決めたのが社員であれ社長であれ、取引先を切るとなつたら、社長自ら「3カ月以内に10社の新規客獲得」を目指し、営業活動にいそしむことになる。「嫌なお客さんを切ってしまう快感ったらないですよ。それが営業のエネルギー源」と、中里社長は笑う。

中里社長が、「嫌なお客さんを切る」のに固執するのは、従業員満足のため。町工場で職人との軋轢に悩み抜いた末に編み出した、社員の自尊心を守る秘策だ。その本質を理解するには、中里社長が味わった「小さな会社の悲哀」を振り返る必要がある。中里社長が入社した76年、父親が創業した中里スプリング製作所は、深刻な経営危機に陥っていた。石油ショック後、受注が激減。得意先の倒産も相次いでいた。大学卒業後、東京で商社に勤めていた中里社長は、父親の会社を立て直すために帰郷した。しかし、業績の厳しさ以上に中里社長を苦しめたのは、社員の「やる気のなさ」と「二代目に対する当てつけ」だった。

徹夜の猛特訓で職人の反発を跳ね返す

やっとのことで注文を取ってきても、「バネは、そんなに簡単に作れないんだよ」と、現場の反応は冷ややか。なかなか仕事に取り掛かってもらえない。幼い頃の中里社長を知る古参の職人達から見れば、いつまで経っても「良ちゃん(=良一)」で、時に、「良ちゃんが大学を出られたのは、俺らが働いてやったからだからね」といった″本音″が飛び出す。

いつまでも職人達にバカにされてはいられない。意を決した中里社長は、ひそかにバネ作りの修業を始めた。夜の7~8時、工場から自宅に帰ると、「ちょっと酒でも飲んでくる」と言って、工場に引き返す。それから朝7時過ぎまで、一人でバネを作り続け、社員が出社する前、いったん工場を出て、素知らぬ顔で、また出勤。そんな連日徹夜の生活を約3年間続けた。

ある日、いつものように新規の受注に、「そんな、すぐには出来ないよ」と言った職人を、中里社長はキッと睨みつけ、こう言った。「ちょつと、そこに座っていろよ」。中里社長は、目の前でバネを作ってみせ、職人にとうとうと説いた。「入社3年の私だって、こうやって作れるんです。ましてあなたは、この道何十年のベテランでしょう?何でそんな簡単に、『出来ない』なんて言うんです?」。その日から現場の反発はやんだ。

悔しいことは、もう一つあった。それは、しばしば垣間見た取引先の傲慢にも思える態度だった。「父は、納期が厳しい仕事を格安で引き受けてしまう。そういう得意先の無理を聞くことが、職人としての誇りだったんです。しかし、僕には、得意先におだてられ、いいように使われているとしか見えなかった」。そんな不信感と屈辱感が頂点に達したある日、中里社長は思い切った決断を下した。

下請けの屈辱感が従業員を卑屈にしている

大の得意先に、取引の中止を申し入れたのだ。当時、売り上げの半分以上を占めた大口取引先に、である。この得意先が、中里スプリング製作所に「切られた」取引先の第一号になる。人知れずバネ作りの腕を磨いていた、入社2年目のことだ。減った売り上げを新規顧客で埋めるのには、約1年掛かった。しかし、「嫌なお客さんを切っても、頑張れば何とかなる」と確信した。それ以上に、「『中里は下請けを見下す取引先とは付き合わない』と宣言したことで、社員の意識と取引先の見る目が変わったことが収穫だった」。こうして、「嫌な取引先を切る中里流の経営術」が生まれた。

中里社長は、自分自身がかつて、職人との関係に悩んだ経験を振り返り、「町工場の社員は、小さな会社の社員であるということだけで劣等感にさいなまれ、仕事に愛着を感じにくくなっている」と話す。 有名な大企業であれば、会社の知名度だけで、ある程度、社員の自尊心は満たされる。だが、小さな町工場にはそれができない。だからこそ、「中小企業の社長は、”名”ではなく”実”の部分で、社員の幸せを追求しなくては」と中里社長は力説する。

「多くの経営者は、何の疑問も感じずに右肩上がりの利益計画を立てる。しかし、利益の使い道、もっと言えば、どう利益を社員に還元するかまで考えないと、社員に苦しみだけを強いてしまう。それでは社員はついて来ない」だから、時には利益を度外視しても、社員にメッセージを送り続ける。「嫌なお客さんとは、無理して付き合わなくたっていいんだよ」、と。

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1952年、群馬県高崎市生まれ。51歳。74年、立正大学経営学部を卒業後、商社勤務を経て76年、父親が創業した中里スプリング製作所に入社。石油ショック後、業績不振にあえいでいた同社の再建に奔走する。85年、社長に就任。84年に開発を始めた自社製品の売り上げが、今では半分近くを占め、「脱下請け」にも成功している。30年前、約20杜だった取引先が今や1000社以上。社長室に日本地図を掲げ、麒客を開拓できた都道府県を塗りつぶす。目標は全国制覇だ

会社の資材で自由に作った社員の「作品」が、工場の一角を飾り、来客の目を楽しませる。これも社員のやる気を引き出す策だ
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中里良一・中里スプリング
製作所社長

nikkei venture 2003.11