“3K”に燃える中年の気炎 – 森下篤史

中古厨房機器の販売会社を創業し、上場企業に育て上げる。
脱サラ後多くの事業に失敗した世事の虫は挫折経験をバネに浮上しこきた。
「仕事は苦しいからこそ楽しい」と逆風の来襲を楽しむ風さえある。

残暑の厳しい8月末。神奈川県のテンポスバスターズ川崎店の朝礼で、使い古しのTシャツに作業ズボンをはいた中年男が店員を前にどなっていた。
「いいか、接客やパソコン操作に長い時間かけているのは皆サボリだからな。仕事するふりをしているだけだ。
接客中や電話中でも新しい入店客や電話があったら、すぐに応対しろ。電話なら『すいません、今電話中ですので、後ですぐにこちらから電話します』と言って番号を開き、すぐにかけ直すんだ。見込み客はすべて逃すな」
説教しているのは社長の森下篤史。店回りに来たのではない。9月1日から始まった「社長ポスト争奪戦」の準備なのだ。参戦するのは森下にエリアマネジャー7人の計8人。それぞれ担当の店に陣取って半年間、租利益率の向上や新規客の獲得数、中古厨房機器の調達量など5項目で実績を競い、優勝者が次期社長になるという。
自ら提案し川崎店担当となった森下。その心は「治にいて乱を忘れず」。1997年に埼玉県川口市で1号店を開き、飲食店に中古厨房機器の販売を始めた同社は新品の4分の1以下という安さを武器に急成長し、前4月期の売上高は46億円。昨年末には開業後わずか6年足らずでジャスダック市場に上場した。現在全国に26店を展開、2006年4月期に70店に増やす計画だ。
順調に進む業績拡大。だが、それと比例してぬるま湯につかったような気分が社内にも自分の中にも広がっている。これではいけないと思ったのが社長席争奪戦に踏み切った理由という。

“社内下克”もまたよし

「実力でオレと勝負しよう」
創業社長という権力の衣を脱いで裸の勝負に自分を追い込む。負ければ潔く社長の座を明け渡し、自分は社長になった人間のポストにつく。「それもまたいい。社長のいすなんて大したもんじゃない」と森下は言う。
もちろんテンポスの過半数の株は森下一族が握っており、社長の座を降りても影響力はあまり変わらないのだが、つねに緊張感を持って仕事をしたいという気持ちがこのアイデアを導き出した。乱世の中で、現場で戦い続けるのが好きなのだ。
「始めてみて、これは天の啓示だと思いましたね。店にいると、お客第一という点でまだ地に足がついていないことがよく分かる」と言う。
テンポスは既に客の2人に1人が来店2度目、3度目のリピークー。「だから客の顔と名前をよく覚え、来店したら『00さん、この間の製氷磯、良かったでしょう』と声をかけなければならない。それなのに店員の多くは無関心だ」と嘆く。
「ウチには閉店した飲食店やホテルから引き揚げた中古品が日々入ってくる。それなら店の入り口に新着コーナーを作ってその品物を毎日陳列し来店客に訴える工夫が肝心だ。飲食店の店主同士が経営の問題点について語り合えるような場、お客のコミュニティーセンターを店内に作ることも必要だ。どれもまだできていない」
次から次にわいてくる森下の斬新なアイデア。経営者として親交があり、7月にテンポスの監査役になった居酒屋チェーン、八百八町社長の石井誠二は「相手をハツとさせ、話に引き込むプレゼンテーションは抜群だ」と太鼓判を押す。
八百八町の本社のある東京都大田区では毎春、中小企業260社が集まり、その年入社する新卒を対象に合同の新人研修会をやる。今春、その講師に呼ばれた森下は何と喪服を着て会場の壇上に現れた。晴れの門出にタキシードではなく喪服。度胆を抜かれたような顔をしている新人200人を前に森下が発した第一声は「これからあんたらの葬式をしてやる」。
もう社会人なのだから学生の終わりの葬式をしてやるというのだ。「新人たちの学生気分を抜くのに(喪服は)極めて効果的だった」と石井は笑う。
人情の機微をつくアイデアと話術。利用できるものは何でも利用する。その精神を森下は東京電気(現東芝テック)時代に身につけた。静岡大学卒業後、同社のレジスターの営業マンになったが、1年目は1つも売れなかった。
「毎日売れない。ある日公園で昼メシ食っているとアリが足元をはってくる。急に涙がポロポロ出てきた。『オレはこんなに情けない人間なのか』と」”名人芸”を統合・改善
トップランクになったのは3年目から。セールスの名人と言われる先輩について歩いた後だ。名人たちは人間を見、その心理をついていた。
「買わないと言っているじゃないか」と怒る客に「月末ですからお願いします」と頭を下げ、そのまま後ずさりして居間の廊下から地面に降り、ついに土下座する。50代の男が冬の寒さの中で1時間も2時間も頭を下げ続ける。「分かったよ、買うよ」。根負けしてついに買ってしまう。絶対値引きせずに売るという名人もいた。
「ギリギリの状況で攻めると人は変わる。名人についてその勘所が分かりましたね」
ただし名人は自分の方法に固執してほかのやり方を学ばない。それに名人芸は疲れる。そのせいか1つ契約が決まるとしばらく仕事をしない。だからトップセールスマンにはなれない。森下は彼らのいろんなやり方を学び改善した。3年目からは部下がつき、その部下の使い方も考え少数精鋭で猪突猛進。大量に売れるようになった。
だがトップになると、今度は風当たりが強くなった。出る杭は打たれる。人の和を考えない自己主張の強さが摩擦を生み、退社の原因となった。
ある時、森下がレジの販売契約を取ってきた会社が契約後3カ月で倒産し8000万円の損失を出した。リースを組むので会社は損をしないはずだが、リースを組んだのが東芝グループの会社で「損の半分をよこせ」と言う。森下は「審査はそっちの仕事だろう」と主張したが、押し切られて4000万円の損を出すはめになった。森下に責任はないはずなのに「あの生意気な森下のせいだ」と、ここぞとばかり社内で言われ「頭にきて会社を辞めた」。
退社後、中小の食器洗浄磯メーカーに1年勤めた後、83年に食器洗浄機を給食会社などに販売する共同精工(現キョウドウ)を設立したが、今度は仕入れで苦労した。
ある中小メーカーに原価53万円の洗浄機の生産を1台85万円で委託したところ、3カ月後に突然125万円に値上げされる。しかも「5台一括で買え」「現金で全額よこせ」「自分で取りに来て自分で機械を検査しろ」と言いたい放題。既にその製品カタログを作り、展示会もやっていたので当面その値段で買わざるを得ない。
「別のメーカーに代えても大同小異。平気で約束を破る。強い方が弱い方のカを吸い取る中小企業の世界のひどさが身にしみてよく
分かりました」
しかし森下はいじめに遭うと逆に闘志がわくタイプ。「それならば」と自ら組み立てに乗り出した。その後も板金メーカーが約束の納期よりも3カ月も遅れるなど不当ないじめは続くが、森下は板金の機械も買って自分でやるという具合にどんどんメーカー色を強め、次第にカをつけていった。
会社設立後2年で安く作れる仕組みを作り、キョウドウの業績は順調に伸びたが、バブル崩壊と食器洗浄機市場の成熟化もあって1992年頃から売り上げは下降線をたどった。
そこで事業多角化を決断、英会話教室や回転すし店、外国人専用の賃貸アパートなど6つの事業に手を染めたが、1つもうまくいかない。失敗の原因は社員に任せていたからで、これは自分が率先してやるしかないなと思っていたところに出合ったのが、リサイクル事業だった。
「テレビを見ていたら中古販売の経営者がベンツに乗って廃棄物のステレオを売っていた。拾ったものを売ってベンツに乗れるなんてぼろい商売だ。土地勘のある中古の厨房機器に絞り込めば成功するだろうと思った」
森下はやると決めるとキョウドウを部下に任せ、社員を1人だけ連れて新会社を設立した。名前は日本でもヒットした米映画「ゴーストバスターズ」から取った。
「破綻した飲食店からすべてを買いつけ、片づける。だから映画が幽霊を退治する掃除人なら、ウチは店舗のバスターズ(掃除人)というわけ」
97年に川口市で400坪の倉庫を借り、1号店を開いた。当初は中古の厨房機器がなかなか集まらなか?た。チラシや折り込み広告で募集しても集まるのは店の10坪分ぐらい。倉庫の家賃や広告費、従業員の人件費を合わせると経費は月400万円もかかるのに売り上げはゼロに近い。
「身が細る思いでしたよ。閉鎖する店が有力な仕入れ先だけど、はやっていない店に入って『オタク、店閉めます?』なんて聞くわけにもいかない」
森下は新聞に自社の記事を書いてもらうことで宣伝しようと、大手の新聞各社に毎日のように電話をした。うさんくさい新興企業の電話。最初はどこも相手にしてくれなかったが、めげずに毎日電話を続けると、やっと1つの全国紙が小さなベタ記事で取り上げた。すると-。
「いやあ集まりましたね。売り手も買い手も。400坪の売り場がアツという間に中古品で満杯になった。まさに新開様々です」
1号店の繁盛ぶりを見て他の新聞も取り上げロコミでも広がった。値段は新品の5分の1、10分の1という商品が多いから資金のない中小の飲食店が殺到した。ただ並べて置くだけという多くのリサイクル店と違って仕入れ後の再生修理をきめ細かく行い、5万円以上の商品に1年間の品質保証をつけたのも信用力を高めた。
厨房機器や食器など飲食店向けの商品に絞り込む選択と集中による、ほかにはないオンリーワン企業。無人の野を行くように家賃の安い所を選ぶことができ、全国展開が進んだ。

「仮説と検証」のつらさ楽しむ

現在は新品も扱い、厨房機器の販売数量は新品と中古品が半々だ。客は開業時の中小飲食店主が多く、ワンストップショッピングの機能を果たすには新品が欠かせないからだ。中小店は大量に買う大手チェーンの2~3倍の値段でないと買えないことが多いが、テンポスは大量に安く仕入れるので中小店にも大手と同様の値段で販売しており、それも中小店主に受けている。
中古品を低価格で調達できるところから最近は大手飲食店のテンポス利用も拡大している。順調に伸びる業績。急成長を評価する声は高い。だが、森下はさめている。
「外から見ると、成功のシナリオがあったようだけど本当は運が良かっただけなんだよね。多くの事業で失敗し、たくさん裏目が出た後、たまたまテンポスで表の目が出ただけのこと」
「成功の法則はない」が森下の持論。失敗の法則は飲食店なら立地条件や客層をきちんと調べていない点など列挙できる。だが失敗の法則を学んでも成功するとは限らない。明日に向かって粘り強くやっていくしかないという。
「仮説を立ててそれを検証する。毎日その連続ですよ。今もしょっちゅう間違えている。ビジネスって本当につらい。でも苦しいから楽しいっていうところがありますよね」
こう言いながらも森下は貪欲だ。テンポスの厨房機器や食器などの市場でのシェアはまだ1%未満。「潜在成長力は十分にある」と社員を叱咤激励する。飲食店の修理専門の会社など関連事業も広げ、中古事務機器を販売する「オフィスバスターズ」も設立した。
事業家を目指して10年間勤めた丸紅を辞め、輸出企業設立後、オフィスバスターズの社長に就任した33歳の天野太郎は言う。「森下さんはせこい。出張でも一番安い航空会社のエコノミーに乗り、泊まるのはありふれたビジネスホテル。衣服も着飾らない。およそ上場会社の社長らしくない。しかし、これはと思う事業には思い切って投資する。僕はそのせこさに引かれましたね」
森下はきれいにカッコ良くやろうとする人間を嫌い、地道な仕事の積み上げを評価する。中古品を閉鎖店から運んで陳列するテンポスの仕事は「きつい、汚い、危険」のいわゆる3K業務。その3K業務に率先してかかわり、逆風が吹くほど闘志を燃やし、その克服を楽しむ。
高度成長とバブル景気を謳歌した団塊の世代。その同じ世代がリストラで大企業を追われ、元気がなくなっている。だが「若いやつに負けてたまるか」と気炎を上げる。中年世代もどしどし中途採用しており、「団塊組の人間だけで切り盛りする店を作るのもいいな」。今や、元気印の団塊ベンチャーの代表格と言っていい。=文中敬称略

森下篤史(もりした・あつし)氏
1947年、静岡県生まれ。56歳。71年静岡大学教育学部卒、東京電気(現東芝テック)入社。32歳で退社。83年、食器洗浄機販売の共同精工(現キョウドウ)設立、社長に就任。その後、回転すし店、英会話教室など6つの事業を登ち上げて失敗し、97年に中古厨房機器を販売するテンボスパスダーズの事業を開始しで社長に就任。200212月にジャスダック市場上場。全国に26店を展開する。

日経ビジネス2003年10月13日号
日本経済新聞社編集委員
井本省吾

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