高村正彦(31)憲法改正

まず自衛隊位置づけを
平和維持へ議論をしよう

いよいよ最終回を迎えた。日本の将来にかかわる憲法改正について書いて締めくくりたい。

今年5月、安倍晋三総裁が憲法9条の1項と2項には触らず、自衛隊に関する規定を加えるという形での憲法改正を提案をした。事前に特に相談はなかったが、これならば「機は熟するかもしれない」と思った。

衆院議員になった37年前、ある新聞に9条について聞かれ、「1項の平和主義を堅持しつつ、自衛隊の存在を明記すべし。機は熟さず」と答えた。

以来、機は熟さないまま、今日まで来た。

2項は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と記す。字面をそのまま読めば、戦闘機も戦車も保持する自衛隊が憲法違反という人がいるのは仕方がない。

世論調査によると、自衛隊はいらないという国民は10人にひとりもいない。にもかかわらず、「自衛隊は違憲である」と読める憲法のもとで、一部の国民から後ろ指を指される状態を放置しようとするのは、いざというときに「命を賭けてくれ」と命令する政治家はもちろん、それを期待する国民としても、矜持の問題として許されない。

法理論でいえば、2項を削除する方がよい。しかし、政治家が求めるべきは、理論的にベストの案ではなく、実現可能なベターな案である。

正しいことを100年間、ただ主張し続けるのと、数年後に自衛隊が違憲といわれる余地がなくなるのと、どちらがよいか。まずは自衛隊を憲法に明記する。そこから始めてはどうだろうか。

1項と2項を維持するというのは、自衛隊の合憲性についての神学論争にのみピリオドを打つということだ。その他の神学論争は現状のまま残す。

しばらく前にNHKに出演したとき、「9条2項を素直に読むと自衛隊は違憲になるから、変えた方がよいのではないですか」と発言した。

当時、民主党代表だった岡田克也さんは「いや、自衛隊が合憲というのは定着しています」と反論した。ところが、同じ番組で共産党委員長の志位和夫さんは「自衛隊は違憲です」という。

このふたつの政党が手を組めるというのは、私には不可解だ。

戦前、軍国主義が幅を利かせた結果、国民の大多数が酷い目にあったという共通認識は正しい。ただ、戦後の平和は憲法9条があったから守られたという認識は必ずしも正しくない。

むしろ9条2項があったにもかかわらず、先人は苦労して自衛隊を創設し、日米安全保障条約を締結した。その結果として生み出された一定の戦争抑止力が、平和外交努力と一体となって平和を維持してきた。

私たちは力ずくで憲法を変えようとは思っていない。国民の理解を得るため、よく話し合うことが大事だ。憲法論議を封じ込めようとする方が民主主義に反すると思う。

ひとりでも多くの国民に議論に参加してもらいたい。

(自民党副総裁)

高村正彦(30)総裁任期見直し

「一般論・制度論」で提起
天皇退位巡る調整も担う

2015年(平成27年)9月の自民党総裁選で、安倍晋三首相が再選された。党則は総裁任期を「1期3年、連続2期まで」と定めていたので、何もしなければ18年9月に首相が交代する。それでよいのかという声が出始めた。

6年続けて首相が毎年交代したことで、日本の国際的な信用は大いに損なわれた。米大統領の大半は8年務めるし、ドイツは05年からずっとメルケル首相だ。

「余人をもって代え難しという状況が生まれてくれば、対応を柔軟に考えていくのは大いに検討に値する」

16年夏、幹事長の二階俊博さんがこう発言したのは、党内の雰囲気を読み取ったからだろう。一方で「任期はあと2年残っているのに、なぜいま持ち出すのか」などの反論もあった。

安倍総裁だけを特別扱いするのであれば、そういう反応があっても仕方がない。制度を見直すのであれば、大事なのは中身がよいか悪いかで、いまかいまではないかは本質的な議論ではない。安倍首相が党役員の慰労会をした際に「一般論、制度論として議論すればよい」といってみた。

間もなく下村博文幹事長代行が「安倍総理も『一般論、制度論でやってもらった方がよい』といっています。党内をまとめてください」と頼んできた。この問題に対処するため、党・政治制度改革実行本部長に就任し、各派閥のメンバーも入れて議論した。地方組織の意見も聴取した。

岸田文雄さんは当初は「何と気が早い」といっていた。偶然会ったときに「制度の見直しならばいいでしょ」と聞いてみた。「お任せします」という答えだった。

議院内閣制の国のほとんどの政党が党首の任期を定めていない。例外的に定めがあっても期数制限は皆無だった。この機会に期数制限をなくそうという意見も多かった。

理屈のうえでは期数制限はない方がよいが、最終判断を一任されて「連続3期まで、最長9年」と裁断した。総裁任期は2年1期から2年2期へ、さらに小泉純一郎さんが総裁のときに3年2期にするなど徐々に延ばしてきた。期数制限をいっぺんに取り払うのは、時期尚早だと思った。

「10年も15年も続けられたら、私が総理になれないじゃないですか」。安倍首相にそういうと、「お任せします」とにやにやした。

天皇陛下の退位に関する法整備の党内のとりまとめも任された。「皇室典範の恒久改正」と「一代限りの特例法の制定」の綱引きだった。

世論調査では「恒久」への支持が、「特例」より多かった。「一代限り」という言葉があると、「今後は絶対に認めない」という意味だと受け止めがちだ。国民に間違ったニュアンスで伝わっていると思い、「一代限り」とはなるべくいわないようにした。

この件は最初、茂木敏充政調会長に「どう思いますか」と聞かれた。「どの天皇にも当てはまる退位の要件を書くのは不可能に近い。特例法をつくるしかない。一度つくれば将来の先例になり得るし、2回目からは初めてのときよりはやりやすいだろう」という話をした。法律論では「一代限り」適用されるものも、現実には先例となり得る。当たり前だ。

(自民党副総裁)

高村正彦(29)自公協議

高村―北側会合で詰め
首相の了解仰いだのは一度

平和安全法制の制定に向けて2014年(平成26年)5月、自民党と公明党の協議が始まった。「高村さん、やってくれませんか」。安倍晋三首相に頼まれて座長に就いた。

メディアを通じた空中戦は1カ月以上前から始まっていた。「高村さんは『砂川判決は集団的自衛権を認めている』とまではいっていない」。公明党の山口那津男代表が口火を切った。

「国の存立を全うするために必要な自衛の措置に、集団的自衛権と呼ばれるものがあっても、『名称だけでだめだ』とは山口さんはいっていないのではないか」と私は発言した。

「高村さんは砂川判決を金科玉条として『集団的自衛権がある』とまではいっていない。『集団的自衛権を排除していない』といっているだけだ」。今度は公明党副代表の北側一雄さんだ。私は「しめた、これならば話し合える」と思った。

北側さんと話すと「集団的自衛権も自国防衛ということでいいですね」という。私は「目的は自国防衛である」と打ち返した。

こうして自公の表の会合だけで25回、高村=北側の裏の会合も同程度開いた。自民党内の全体会合は27回、幹部会も同程度、開催して徹底的に議論を尽くした。

山口さんが条件とした従来の憲法解釈との論理的整合性をどうとるのか。憲法9条の規範性、法的安定性の維持も必要である。

砂川判決に基づいて「日本の存立が脅かされる明白な危険がある事態」の場合には集団的自衛権を行使できるとする試案を政府がつくって持ってきた。

北側さんは、田中内閣だった1972年の政府見解が、幸福追求権に言及していることに着目し、これも盛り込むべきだという。

試案は安倍首相の了解のもとに作成されていたので、「幸福追求権を加えた北側案をのんだら公明党はまとまるのか」と聞いた。

「公明党がまとまるなどという生やさしい状況ではない」。北側さんは確約しなかったが、「自分としては納得してまとめる努力をする」といってくれた。私は協議はまとまると思った。

そこで、安倍首相の了解を得て、北側さんのいう通りにした。自公協議をしている間、私が首相官邸に了解を得に行ったのはこのときだけである。あとは全部、私の判断で決めた。

1992年に国連平和維持活動(PKO)法を制定した際、国会の3会期にまたがって審議した。野党は集団的自衛権はもっと重要な問題だから、国会の1回の会期で成立させるべきではないと主張していた。

PKO法は3会期も審議して与野党の距離が近づいたかといえば、そんなことはなかった。野党はこのときも徴兵制になると不安をあおり、最後は牛歩し、4泊5日の徹夜国会になった。

平和安全法制は1会期で成立したが、審議時間はPKO法より長く、かつ議論が熟していた。

衆院憲法審査会で3人の憲法学者が「法案は違憲」と発言してからは、民主党は権威にすがり、ひたすら違憲で押してきた。もう少し同じ土俵で議論できればよかったのに残念だった。

(自民副総裁)

高村正彦(28)平和安全法制

最高裁判決踏まえ発言
集団的自衛権巡る論議主導

「米国は日本を守るのに、日本は米国を守らない。不公平だ」。そう主張するトランプ米大統領が登場する一方で、北朝鮮を巡る情勢が一段ときな臭くなってきた。平和安全法制を制定しておいて本当によかったと思う。

この法律は、集団的自衛権の行使を限定的に容認することにより、日米同盟を一段と堅固にして抑止力を高め、それによって戦争を防ぐのが目的である。

ところが、反対勢力は「戦争法案」と呼び、揚げ句の果てに「徴兵制になる」などといって国民の不安をあおった。

集団的自衛権を巡る論議で私は主導的な役割を担った。その始まりは野党時代にさかのぼる。当時の自民党総裁は谷垣禎一さんだった。

党憲法調査会では「現行憲法下でも集団的自衛権の行使は認められる」という意見が複数出る一方、中谷元さんのように「集団的自衛権の行使をするには憲法改正が必要になる」と主張する人もいた。

私は砂川事件に関する1959年(昭和34年)の最高裁の判決を踏まえて発言した。

「最高裁は国の存立を全うするための自衛の措置は認められるという一般法理を明らかにした。従来の政府見解はこの判決の一般法理を引き継いでいる。ただし、当時の安全保障環境に当てはめて『個別的自衛権は必要だが、集団的自衛権は必要ないので、できない』ということで通してきた。安保環境が変わって、集団的自衛権が必要になれば、その限りにおいて集団的自衛権の行使が容認される。ただし、集団的自衛権の行使を丸ごと認めるには憲法改正が必要である」

この会議には安倍晋三さんも出席していて、こんな発言をした。

「高村さんの理論はわかりやすいですね。根っこから集団的自衛権を認める場合は憲法改正だが、必要最小限度ならば解釈変更でできるということですね」

「あれ?」と驚いた。第1次安倍内閣が設けた有識者会議「安保法制懇談会」の議論は「根っこから」だったので、安倍さん本人も「根っこから」派だと思っていた。このやりとりが平和安全法制につながっていくとは、想像もしていなかった。

最近、わが党の村上誠一郎さんが月刊誌で、砂川事件は在日米軍基地の合憲性を争った裁判であり、これを根拠に集団的自衛権を認めるのは「黒いカラスを『白い』と言うような常軌を逸した状況」と私を名指しで批判した。

砂川事件は米軍基地の合憲性について判断する前提として、大法廷の15人の判事全員が一致した判決理由のなかで「必要な自衛の措置を講じ得ることは、主権国家固有の権限として当然だ」という一般法理を明らかにした。

私はこの一般法理を現在の安全保障環境に当てはめ、集団的自衛権も一部認められるとしただけだ。

村上さんは27回開かれた平和安全法制推進本部の全体会合にいちども出席しなかった。それでいて党外に向けて独自の見解を発信し続けた。

推進本部長かつ幹事長の石破茂さんは「次の選挙で絶対に公認しない」といっていた。その後、幹事長が谷垣さんに交代したが、私は武士の情けで、このことを谷垣さんには伝えなかった。

(自民党副総裁)

高村正彦(27)副総裁

自由な立場で力尽くす
連続在任日数、歴代1位に

2012年(平成24年)12月の衆院選での勝利の結果、安倍晋三さんが首相に返り咲くことになった。

麻生太郎さんが「俺が財務大臣をするから、あんたが外務大臣で、一緒に安倍を支えよう」といってきた。

「この副総裁室が気に入っているんで、動きたくない。安倍さんにはそういっておいてよ」と断った。にもかかわらず、新聞・テレビに連日、「外相は高村氏」と報道される。

総裁室まで行って、安倍さんに「私を党に置いていってください」とお願いした。安倍さんから「麻生さんから聞いています。高村さんは大臣になっても、なった日と辞める日しかうれしくないんだそうですね」といわれて安心した。

副総裁は置くときと置かないときがある役職なので、自民党本部には長らく副総裁専用の個室がなかった。与党であれば総裁は首相として官邸にいるので、歴代の副総裁は空いている総裁室を使っていた。

野党時代に副総裁を務めた大島理森さんのときに初めて専用の部屋ができたが、幹事長室よりもはるかに見劣りがする。みすぼらしいのが気に入っているというのが、私の偽らざる気持ちである。

結局、外相には岸田文雄さんが就いた。外交・安全保障の経験があまりなかったので、不安視する声もあったようだが、私は聞かれてこう答えた。

「外相というのは、自分も相手も絶対に譲れないのか、とりあえず主張しているだけなのかを判断するのが仕事だ。自民党の国会対策委員長が務まったのだから、全く心配ない」

12年9月以来、ずっと副総裁を続け、今年1月には連続在任1586日の新記録をつくった。追い抜いたのは椎名悦三郎さんである。私の政治の師である三木武夫先生を首相に推した椎名裁定で知られる。これも何かの縁かもしれない。

椎名さんは「省事」がモットーだったそうだ。「大事なことしかやらない高村さんとよく似ている」と何人かのベテランの記者さんに指摘された。

ちなみに、通算の最長はミスター副総裁と呼ばれた大野伴睦さんの2142日だそうだ。長きをもって尊しとはしないが、無事これ名馬ともいう。いずれにせよ、国民の役に立ってなんぼである。

新記録を達成した日、党職員や番記者諸君がお祝いをしてくれた。

党則を読むと、副総裁は「総裁を補佐し、総裁に事故があるとき、又は総裁が欠けたときは、総裁の職務を行う」とある。幹事長は「総裁を補佐し、党務を執行する」と定めている。副総裁は序列は総裁の次だが、執行権という実権は幹事長にある。

歴代の副総裁のなかには、長老が名誉職としているだけというケースもあったようだ。私は自由な立場にあって、総裁からの特命事項、もしくは自分が大切だと思うことにのみ力を注いだ。

私が閣僚を固辞したのは、わがままだからだ。そうではあるが、結果として平和安全法制が実現できたのは、私が副総裁の地位にあったからだと自負している。

(自民党副総裁)

高村正彦(26)安倍氏再登板

尖閣問題の先鋭化を危惧
総裁選の候補者に助言

民主党政権の凋落が誰の目にも明らかになっていた2012年(平成24年)夏、自民党の谷垣禎一総裁の任期切れが近づいていた。次の衆院選で自民党が政権を奪回するのがほぼ確実ということは、総裁選の勝者が次期首相に就くことを意味した。

麻生太郎さんが「おまえ、どうする」と電話をかけてきた。「谷垣さんに特に瑕疵はない。それなりによくやってもらった」というと、「俺もそう思う」との答えだった。

安倍晋三さんが返り咲きをうかがっているとの話もちらほらあったが、麻生さんは「まだ早いんだよな」という。私も同調した。

日を経ずして谷垣さんが再選を断念した。飛行機に乗っていたので、あとで気付いたのだが、携帯電話に谷垣さんからの着信記録が残っていた。断念表明の3時間ほど前だった。推薦人を貸してほしいだったのか、出馬をやめるだったのか。いまも本人に聞いていない。

総裁選の構図が変わり、再び麻生さんと話し合った。

麻生「安倍が出る以上は応援せざるを得ない」
高村「行政府をきちんと動かせるのは安倍さんだよな」

高村派として安倍支持を決めると、すぐに記者会見して発表した。麻生派も同じ日に表明した。

9月の総裁選には5人が立候補した。誰が勝つかとは別に気になることがあった。東京都知事の石原慎太郎さんの「尖閣に船だまりをつくる」との発言が国民に圧倒的な支持を得ていた。

安倍さんは「尖閣に公務員を常駐させる」といった。「そんなことをしたら、日中関係はにっちもさっちもいかなくなる」といって、わかってもらった。

石破茂さんも船だまりを建設するといっていたので、「応援もしていないのに注文を付けて悪いけど」と前置きして助言した。「もういいません」といってくれた。

町村信孝さんは「僕は船だまりなんていっていない」。石原伸晃さんには大島理森さんを通じて話してもらったら、「自分はおやじとは違います」と断言したそうだ。林芳正さんは問題発言しそうもないので、何もいわなかった。

新聞・テレビは石破さんが優勢と書いていた。後半戦に入った辺りで、私は安倍さんが勝つと確信した。

地方票は石破さんが圧倒的に強いとされたが、安倍さんも3位以下になるとは考えられない。上位2人の決選投票に残りさえすれば、今度は議員票だけで決まるので、石破さんを上回るのは間違いないからだ。「隕石が安倍さんに落ちてこない限り勝つ」。記者相手にこう断言した。

安倍総裁のもとで迎えた12月の衆院選で、自民党は公示前の119議席から294議席へと躍進し、3年3カ月ぶりに政権の座を奪い返した。

自民党が勝ったというよりも、無駄を省けば財源が出てくると嘘をついた民主党に国民が鉄槌を下した。その反射効として自民党が勝たせていただいたというのが私の受け止めだった。

山口1区で11回目の当選を果たした。各都道府県の1区は民主党が比較的強い選挙区だが、全国の1区のなかで私は得票数でトップだった。

(自民党副総裁)

高村正彦(25)TPP

言葉の力で党まとめる
民主政権の行き詰まり確信

自民党は2009年(平成21年)8月の衆院選の結果、野党に転落した。1993年にも経験したが、当時は他党を寄せつけない第1党ではあった。一挙に181議席を失い、党内は意気消沈した。

私は楽観していた。政権を取り戻したからいっているのではない。3年もたてば民主党政権は必ず自滅すると確信していた。

民主党は「無駄遣いをなくせば、16兆8000億円の財源を生み出せる」と豪語していた。どう考えても、無理な相談である。

小泉政権のとき、社会保障予算を5年間で1兆1000億円、抑制する方針を打ち出した。1年あたり2200億円だが、現場は大混乱した。

16兆円という金額は絶対に出てこないし、無理に出そうとすれば、政権は一瞬で頓死すると思った。

民主党政権が行き詰まると思ったもう一つの理由は、日米関係である。鳩山由紀夫首相が米軍普天間基地の移設問題で口にした「最低でも県外」が、いかに非現実的だったかは繰り返すまでもない。

11年10月、自民党の外交・経済連携調査会長に就いた。民主党政権が環太平洋経済連携協定(TPP)に参加するかどうかを検討しており、茂木敏充政調会長に「TPPを議論してほしい」と頼まれた。

ヒラ場での発言は党内の9割が反対だったが、TPP推進派の小泉進次郎さんには「ガツンと決めてください」といわれた。内心では賛成なのがわかってしまうようでは、自分は未熟だなと思った。

皆が折り合うにはどうすればよいのか。調査会のとりまとめの文章は一応、林芳正さんに書いてもらったが、キーワードは自分で考えた。農業団体は「TPPは聖域なき関税撤廃だから反対だ」という。だったら「聖域なき関税撤廃を前提とする限り交渉参加に反対である」といえばどうだろうか。

推進、反対両派の幹部に諮ると、農協出身の山田俊男参院議員は「これで結構です」と納得した。推進派の川口順子元外相は「ちょっと考えさせてください」という。「聖域なき関税撤廃が前提でないことが確認できれば、交渉参加してよいということですよ。川口さんのためにつくったような文章じゃないですか」と説得すると、「それなら結構です」と応じた。

途中はいろいろあっても、最後はまとまるのが、自民党のよいところだ。「高村さんの言葉で民主党をまとめようとしたが、ダメでした」。経産省高官は嘆いていた。

政権復帰した直後、来日した新旧の米国務次官補のラッセルとキャンベルに食事に誘われた。「日本もTPPに参加してほしい」と頼んできた。

高村「聖域なき関税撤廃を前提とする限り参加しない、というのは選挙公約だ」
ラッセル「あらかじめ日本にだけ特定の分野で関税撤廃しなくてよい、と約束はできない」
高村「あらかじめ全ての分野の関税撤廃の約束を求めるものではない、といってほしいだけだ」

ラッセルはこの私の言葉を書き留めた。オバマ大統領がほぼ私のいった通りを表明し、安倍晋三首相はTPP交渉に参加することを決断した。

(自民党副総裁)

高村正彦(24)ガス田開発

中国側の主張に待った
共同開発、中間線付近に

福田内閣の外相として、日本と中国の間で紛争になっていた東シナ海のガス田開発の問題に精力的に取り組んだ。

日本と中国は隣国なので、排他的経済水域(EEZ)が重なっている。どこに境界を定めるか。日本は双方から等距離の「中間線」を主張し、中国は「大陸棚」が終わる沖縄トラフまでが自分たちの権益と考えていた。日本がことを荒立てないようにしている間に、中国は海底ガス田の開発を進めていた。

資源を巡る争いを解決するには、共同開発をするしかない。このことは暗黙の了解になっていたが、互いにこれまでの主張にとらわれ、膠着状態が続いていた。

「中国が政治的な決断を行えば、日本も柔軟に対処する用意がある」。2007年(平成19年)9月、ニューヨークで楊潔篪外相と会談し、こう伝えた。

日本が一方的に譲るのではない。国際司法裁判所や国際海洋法裁判所の判例をよく調べると、ほとんどが中間線、もしくはその若干の修正を採用していた。「政治的決断」とは中間線を認めることであり、「柔軟に対処」とはその後の共同開発などで協力するという意味だった。

日中関係は小泉政権時代に関係が冷え込んだが、安倍、福田と内閣が移るにつれ、雰囲気が少しずつよくなっていた。胡錦濤主席や温家宝首相の発言からはガス田問題を早く解決したいという意思がうかがえた。

にもかかわらず、協議が進まないのはなぜか。国際裁判の趨勢などの情報がトップまできちんと伝わっていないのではないか。私はそう考えた。

11月、シンガポールでの東アジア首脳会議の際、温首相が福田康夫首相との食事会の席で「中国が主張するラインと日本が主張するラインの間の広いところを共同開発したらどうか。それなら公平でしょ」と提案してきた。日本と交渉する気はあるが、中間線と大陸棚を同等に考えているようだった。

すかさず口を挟んだ。「いまのは一見すると公平のようですが、国際裁判の趨勢を調べると、大陸棚理論を採用している例はほとんどありません。国際裁判で決めようというのではありませんが、仮に裁判をしたらどうなるかを基準に考えなくてはいけないのではないでしょうか」

その場での返答はなかったが、効果はあったようだ。

「ガス田問題は国際法にのっとり、早期に解決する」。福田首相が12月に訪中して胡主席と会談した際、こうした方針で合意した。

08年6月、中間線付近の2つのガス田を日中が共同開発することで最終合意した。中国は大陸棚理論を放棄してはいないが、共同開発区域が中間線付近になった意味は大きい。残念ながら共同開発に着手できていないが、中国の主張に待ったをかけることはできたと思っている。

その1カ月前、四川省で大地震があった。行方不明者の捜索のため、国際緊急援助隊を派遣した。犠牲者を丁重に弔う姿は中国でも広く報道された。こうした活動も立派な外交である。

消防庁が派遣したチームのリーダーだったのが村岡嗣政さんだ。14年から山口県の知事をしている。「四川省で立候補した方が票が取れたんじゃないの」とからかったことがある。

(自民党副総裁)

高村正彦(23)アフガン貢献

「ヘリ派遣は困難」耳打ち
首脳会談での日米決裂防ぐ

2007年(平成19年)9月に発足した福田内閣にとって最大の難関は、インド洋で自衛隊が実施中の米艦などへの給油を継続できるかどうかだった。参院で与党は過半数を割っており、民主党など野党は継続に絶対反対を叫んでいた。

2度目の外相に就任すると、その日のうちにワシントンへ飛び、ライス国務長官と会談した。米国は自衛隊の活動を高く評価していた。私は国会の状況次第で、活動が中断することもあると伝えた。

帰国すると案の定、テロ対策特別措置法の延長法案の審議は難航した。民主党は「原油価格が上昇しているのに、ただで燃料を補給するのはおかしい。無料のガソリンスタンドだ」と主張した。

「米国などはテロを防ぐ海上阻止活動に従事している。日本はそれができないから、役割分担として補給活動をしている」

私はこう説明したが、結局、特措法の期限切れまでに延長法案は成立せず、補給部隊は11月にいったん帰国せざるを得なかった。

参院で否決された法案を衆院で3分の2の多数で再議決してかろうじて成立させた。自衛隊が再びインド洋に向かったのは翌年1月だった。野党の内向き志向の党利党略で、日本の国際的な信用を損ねたのは残念だった。

福田康夫首相はねじれ国会を解消しようと、民主党と大連立の交渉を始めた。党首同士では話がついたにもかかわらず、民主党代表の小沢一郎さんが党内をまとめられず、大連立は頓挫した。

自衛隊のヘリ部隊がアフガニスタンでの物資の輸送を担えないか。米国内でそういう期待が高まっているという情報が入ってきた。

後方支援であれば憲法には抵触しない。だが、給油の延長法案でもこれだけ苦労したのに、新たな派遣法案をねじれ国会のもとで成立させるのはほぼ不可能だった。

米国で期待が高まっている一因は、石破茂防衛相とゲーツ国防長官の会談でのやりとりが発端だった。ゲーツが「ヘリ部隊を出せないか」と打診したところ、石破さんが「自衛隊の能力からしてやってやれないことはない」と答えたのだ。

自衛隊の物理的な能力を説明しただけだったのだろうが、米政府は「日本は自衛隊を出す用意がある」と受け止めたようだ。

7月の洞爺湖サミットが迫っていた。来日したブッシュ大統領がヘリ部隊派遣を要請し、福田さんが断る。正式な首脳会談でこんな決裂劇を演じたら、日米関係に取り返しがつかない亀裂が入ることになる。

急きょシーファー駐日大使を食事に招き、「法律をつくるのは困難であり、派遣は限りなく不可能に近い」と率直に話した。シーファーはびっくりしたようで「早くいってくれてよかった」と感謝された。日米首脳会談でこの話題は一切出なかった。

シーファーとは随分親しくなった。15年に平和安全法制を制定した際、心配して日本まで来て「歴代大使がそろって発言してもよい」といってくれた。米側の後押しがかえってマイナスに働くこともあるので、「必要なときはお願いする」と返事をした。

(自民党副総裁)

高村正彦(22)第1次安倍政権

日中雪解け進展を期待
改造内閣で渦中の防衛相に

2006年(平成18年)9月、小泉純一郎首相の後継を選ぶ自民党総裁選が実施された。世論調査などでは、安倍晋三官房長官に期待する声が多かった。

総裁選の4カ月ほど前、安倍さんが所属する清和政策研究会(森派)の杉浦正健さんが「一度、安倍さんと会ってください」と頼んできた。安倍さんとは同じ山口県選出議員として長くつきあってきたが、不快な思いをしたことは一度もない。喜んで夕食をともにした。

他愛もない話をして最後に安倍さんは「総裁選のこと、よろしくお願いします」と頭を下げてきた。

「日中関係をよくしていかなくてはいけないと思っている私の立場をわかって、いっているんですよね」というと、安倍さんは直接は何も答えず、再び「お願いします」と頭を下げた。私は暗黙の合意が成立したと受け止めた。

国民的人気のある安倍さんが国民のための政策を推し進めるのであれば申し分ない。派内には私の再出馬を期待する声もあった。軽井沢で開いた夏の派閥研修会で「今回は安倍さんでいきたい」と明言し、一致して推すことで派をまとめた。

安倍首相は最初の外遊先に中国を選び、胡錦濤主席と戦略的互恵関係を結んだ。

自民党は翌年夏の参院選で大きく議席を減らした。安倍首相から電話があった。「高村さん、防衛大臣になっていただけませんか」

私は「防衛大臣だったら、若手のプロフェッショナルが育っている。こういうポストはプロフェッショナルがいいですよ」と固辞したが、「高村さんだって防衛政務次官や自民党国防部会長を務めたプロじゃないですか」と諦めない。そこまでいわれれば、党員の務めだと思って防衛相を受けることにした。

防衛省では、前任の小池百合子さんと守屋武昌事務次官が激しく対立し、混乱が続いていた。就任直後、退任する守屋氏を慣例に従って顧問にするかどうかが問われた。

ある人に電話をして「守屋さんは大丈夫かな」と聞いてみた。その人は「捜査のことは申し上げられませんが、マスコミがかなり関心をもっていますね」という。私は「わかった」といって、顧問に任命しなかった。

在任中、中国の曹剛川国防相がこのポストとしては9年ぶりに来日した。日中防衛相会談を開き、中国の軍事費増大を徹底的に聞きただした。「どこの国にも防衛機密はある」。曹国防相はいらだった。制服組から「ここまで突っ込んでもらったのは初めて」と評価された。

9月に臨時国会が始まったところで、安倍さんが辞任を表明した。体調のことであれば仕方がないと受け止めた。閣僚在任中、派閥を預かってもらっていた森山真弓さんが総裁選に出るかどうか聞いてきたので、「福田康夫さんがいいと思う。グループがそれでまとまるか、確認をお願いします」と返答した。

福田さんとは外交に関する考え方が近いことは知っていた。

首相に就任した福田さんは国会開会中でもあり、ほぼ居抜きで内閣を引き継いだ。防衛相は1カ月で終わり、外相に横すべりした。

(自民党副総裁)