JALを「V字回復」させた元機長の操縦術

評論家社員を変えた操縦術

がらんとしたその一室は、JAL社内で、「大部屋」と呼ばれている。壁には稲盛和夫の筆による「謙虚にして驕らず。さらに努力を」の額があり、社長や役員の机が並ぶ。ここに、土日になると、社長の植木義晴がひとりで現れては、机上の書類をシュレッダーにかけているという。わざわざ書類の裁断のために出社するのかと問うと、植木は煙に巻くように笑う。「1週間分の書類を、最低でも10分の1まで減らしてます。捨ててニンマリして帰る。これがうれしいんですわ」

この地味な作業が、実はJALの変貌と無縁ではない。

2010年の会社更生法適用後、2年で営業利益2,000億円のV字回復を遂げると、当時の会長だった稲盛が社長に大抜擢したのが植木だった。パイロット歴35年の元機長。「57歳で役員に就任するまで、財務三表を見たことがなかった」という遅咲きの経営者である。それでも彼が、「いまからでも勝負できる」と思ったのは、フライトと地上の組織の操縦法に違いがあると気づいたからだ。

まず、「時間の観念」である。

「地上では、最高の結果を出すためにどれだけの時間が必要かを考えがちですが、パイロットは違います。限られた時間内にどこまでのことができるか。Time is moneyではなく、life。命そのものなのです。例えば、フライト中にトラブルが起きると、状況を認識して判断し、優先順位をつけて実行する。NASAの調査では平均2〜3分で遂行するそうですが、その間にも状況は変わり、判断を変えなければならない。最初にこう決めたからといって変化に対応できないと、事故に至るのです」

判断する際、知識は多いほどプラスになると思われがちだが、植木はその「足し算」型の考え方が危険につながると言う。「離陸をした直後にエンジントラブルが起きたとします。そのとき、知識を詰め込んだ人は、答えを知識の箱から探し出そうとする。でも、状況を打開できる知識を探し出せなかったら、どうなります?何万という知識を頭に詰め込んでおくことは必要です。しかし、操縦席で役に立つのは、それを千くらいに絞り込み、知識を“知恵”に変えておくことなのです。知恵はどんな場面にも応用できるからです」

経営判断も然り。書類の知識を頭の中に叩き込むと、知恵という「公式」をつくり上げ、彼はシュレッダーに情報を捨てるのだ。

人財養成も、空と地上では違った。年2回の役員面談で、植木が「明日、きみが入院したら、誰が役員をやる?」と聞くと、当初は「それは社長がお決めになるでしょう」という返事が返ってきた。
「それ、違うやろ」。空の常識では、機長が気を失った場合まで想定してチームを育成する。それが、仕事の責任なのだ。だから彼は、「いつ何が起きても、自分の代わりを務められる人財を育てておくのが務めだよ」と諭す。

責任と覚悟。植木が使うキーワードである。元機長と稲盛の共通項があるとしたら、そこだろう。JALの再建を任された稲盛が、初めて会社にやってきた日、稲盛は全役員を前に、「この数字に責任をもっているのは誰だ?」と聞いた。このとき、誰も手を挙げないでいると、「だからダメなんだ!」と雷を落としたという。植木は、「それが当時のJALでした」と振り返る。「評論家や批評家のような社員はたくさんいるが、当事者意識がない。会社のことを『自分事』として捉え、『自分が会社を支えているんだ』という意識に改革することが第一歩でした。まずは、自分が中心になって、自分で考えてほしい、と」

また、植木は「事業創造戦略部」を設立した。「いまある数字をよくしたいと思うと、どうしてもいまのポジションを守ろうとする。しかし、挑戦していかないと、組織は続かなくなる」と言う。

彼は集めた社員たちに指示した。「10年20年先のメシのタネを探してきてくれ。その代わり、足元はまったく見なくていい」

しばらくすると、「植木さん、見てもらえませんか」と、社長を会議室に呼んで、アイデアを説明したがる社員が出てきた。「全員経営」のの浸透なのだが、植木はこう笑う。
「実はいつの間にか稲盛さんが頭で描いた通りのことを僕はやっているのかもしれない。いつも見抜かれていて、少し悔しいですけどね(笑)」

植木義晴(うえきよしはる):1952年京都府出身。父親は俳優の片岡千恵蔵。慶應義塾大学法学部を中退し、航空大学校卒。75年に日本航空にパイロットとして入社。94年に機長。2008年にジェイエアに出向後、日本航空の執行役員運航本部長に就任。経営破綻後の12年にJALとしては初のパイロット出身の社長に就任した。

藤吉雅春 = 文

素晴らしいアドバイス

メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。

それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。

すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。

旅行者は、
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、

漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、

漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって… ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者は、まじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。
いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう。」

今も心にある、実業家だった祖父の教え

私が今も心に留めている祖父の言葉があります。

派遣事業をしていたときのことです。スタッフが派遣先で悪さをして、会社の信用を落としてしまった出来事がありました。祖父に言えばなぐさめてくれるかなと思ったのですが、反対に「お前に徳が足りないから、そういうことになるのだ」と怒られました。

「臭いものには蝿がたかる。いいものには蝶が来る。お前がいいものにならないと、結局、事業はうまくいかない」と言われまして。徳を積み、人間としての器を広げていかないといい会社運営はできないのだな、と痛感しました。

小間裕康
1977年兵庫県生まれ。甲南大学法学部在学中の1999年コマエンタープライズを起業、家電メーカー向けビジネス・プロセス・アウトソーシングなどを展開、年商20億円まで成長させる。2009年京都大学大学院経営管理教育部に入学。10年GLM設立、14年日本初の量産EVスポーツカーの国内認証を取得、15年「トミーカイラZZ」量産開始。

たったの1分で寝落ち?

1【4秒間】かけて鼻から息を吸う。
2【7秒間】呼吸を止める。
3【8秒間】かけて口から息を吐く。

遠い記憶

「昔、先生のお父さんを車でひいたのは、うちの親父なんです。」
私が初めて担任をしたクラスが卒業式を迎えた日、クラスの中の一人に告白された。
「俺の親父は元気だから、心配するなって、伝えといてくれ。」と答えるのが精一杯だった。

私の実家は、小さなラーメン屋を営んでいた。父は、よく客からビールを勧められ、酔いつぶれて店の奥で、いびきをかきながら寝ていた。そんな父を母は「また~。もう飲ませないで。ちょっとお父さんを起こしてきて。」と言い、ほとんど母一人で店を切り盛りしていた。

かと思えば、ある日突然父がいなくなり、母に「お父さん、どこ行ったの?」と聞くと、「いつもの病気よ。」と言って笑っていた。父は寅さんの映画をこよなく愛し、学生の頃から放浪の旅が好きだった。父が帰ってくると母は「お帰り。どうだった?」と聞き、父の話す土産話にいつまでも耳を傾けていた。

そんなある日、父が出前の途中でタクシーにひかれた。私はいつも、父のバイクの後ろに乗って、出前についていったのだが、その日だけは、たまたまテレビに夢中になっていて、店のカウンターに座っていた。幸い命だけは助かったが、後遺症が残り、いつも苦しんでいた。その苦しみを酒でごまかすような日々が続き、入退院を繰り返していた。

そんな生活が一年ぐらい続いたある日、「一緒に風呂に入るぞ」と、まだ小学生だった私を抱きかかえて、久しぶりに父と風呂に入った。ものすごい力で父に背中を流してもらった後に、私も父の背中をカ一杯洗ったのだが、その時父の肩が小さく震えていたのが分かった。父の泣いている姿を見たのは、それが最初で最後となった。

次の日の朝、母が泣きながら家の掃除をしていた。
「お父さん、もう帰ってこないよ」と言いながら、前の日に私の寝顔をしばらく見た後、「ちょっと出掛けてくる」と言い残して車に乗り、高速道路を走っている途中で、ガードレールを突き破って崖から落ちたらしい。ブレーキを踏んだ跡がなかった。まだ36才だった。

そんな父を追うようにして、母が子宮ガンでこの世を去った。体の異常を感じていたのだが、私の学費を稼ぐために深夜まで仕事をして、病院に行かなかったのが、手遅れになった原因らしい。中学生の頃、悪いことばかりして、母を困らせた日々が悔やまれた。親のありがたみは死んでからという言葉が、痛いほど身にしみた。それ以来、自分の身を犠牲にしてまで守ってくれる人がいなくなってしまった。

自分の親を邪険にしたり、邪魔扱いする人間を何人も見てきたが、その光景を見る度に、憤りを感じてしまう。一度でもいいから親と話ができるのであれば、全てを失ってもいいと思っているから。他人に迷惑をかけるな、と親から言われた事があると思うが、それは自分の親にも迷惑をかけてはいけないという事だと思う。

社会人として巣立っていく君たちにとっては尚更である。自分の責任は自分で取らないといけない立場になるのだから、そういう意味では、社会人になるという事は、親と他人になる始まりなのかもしれない。

情報技術科担任

Jリーガーだった。

つい先日、取引先の人に「前の会社ではどんな業務をしていたの 」と聞かれた。「プロ契約でサッカー選手をしていました。」と言ったら驚かれた。僕はJリーガーだった。でも、かつて所属していたクラブのサポーターですら、僕の名前を聞いてもピンと来ない人も多いだろう。その程度の選手だった。経歴を詳しく書いても、僕のことが分かるのは僕の知り合いくらいだろう。なので書いてみる。

山に囲まれたド田舎に生まれた。7歳で幼馴染とスポーツ少年団に入った。たまたま県選抜に選ばれて、地元の広報に載ったりしてちょっとした人気者だった。小学校6年生の時、県外のプロサッカーチームのジュニアユース入団試験を受けた。もし合格していたら、両親は仕事を辞めて、家族で引っ越す予定だった。ジュニアユースに入っても、そこからトップチームまで昇格してプロになれるのは一握りなのに、仕事を辞める覚悟で応援してくれた。でも僕は落ちた。普通に落ちた。

田舎の中学校に進学した。小さな中学校にはサッカー部はなかった。陸上部に入った。1年生の時に、走り高跳びで県大会入賞した。それでもサッカーをしたくて、1年で陸上部を退部した。放課後は親に車で迎えに来てもらい、片道1時間かけて市外のサッカークラブで練習をしていた。中学校を卒業すると、県内のサッカー強豪校に一般入試で入った。

サッカー部の部員は100人を超え、県外から入ってきたエリートが沢山いた。僕がかつて落ちたジュニアユース出身で、ユースに昇格できずに入部してきたやつもいた。サッカー部も寮生活も上下関係が厳しかった。4人部屋の寮は、自分以外先輩だった。朝は先輩よりも早く起きた。目覚ましの音で先輩を起こしてはいけないので、目覚まし時計を抱えながら寝て、アラームが鳴って1秒で起きた。6時にはグラウンドに行った。掃除や雑用もこなした。なぜか女子マネは雑用をほとんどやらなくて、1年生が雑用係だった。授業が終わるとダッシュでクラウンドに行き、全体練習の後も居残りをして20時過ぎまで練習をした。100人を超える部員の中で埋もれていた。

1年生の秋、部内の身体能力体力テストのとある項目でダントツ1位を取った。テスト全体でもかなりの好成績だった。これがきっかけで、監督が少し目をかけてくれるようになった。3年生が引退したあと、2軍チームに入るようになった。そのあとすぐに1軍チームのメンバーに入った。高校サッカー選手権予選にはプロクラブのスカウトも来ていた。チームのメンバーで声がかかった人もいる。僕は声がかからなかった。3年生になってすぐ、自転車で転んで手首を骨折した。休んでる間に、期待の1年生にポジションを奪われてメンバー落ちした。最後の全国高校サッカー選手権はスタンドで応援した。目立った活躍もできないまま卒業した。

大学生になって一人暮らしを始めた。プロになることは諦めていた。一応サッカー部に入った。サッカーが好きだったし、就職のことも考えて部活はやっておいた方が良いと思ったからだ。自主練はしなくなり、休みの日は日雇いのアルバイトをした。楽しかった。意識が変わったのは、高校時代の1学年上の先輩の近状を知ってからだ。その先輩は高校3年当時、就職も進学も決まってなかった。卒業後は地域リーグのクラブとアマチュア契約をしていた。その先輩が地域リークで活躍し、J2のチームとプロ契約をしたと知った。自分にもチャンスがあるかもしれないと思った。サッカーに真剣に取り組むようになった。3年生の時に、部活の顧問のコネであるJ2チームに練習参加をした。全く練習についていけず、邪魔だから帰れと言われた。なぜか翌年、そこからまた練習参加の打診が来た。手ごたえはあった。これでダメならもうあきらめがついた。そして僕にプロ契約のオファーが届いた。

C契約とよばれるランクの低い契約で、1年契約だった。そのクラプは、J 2 リーグの中でも資金力がなく、歴史も浅く、リーグ下位のチームだった。当時そのチームは、大学から新加入選手を大量に獲得していて、僕もその1人だった。年俸は詳しく書けないけど200万台だった。そこから税金や年金を払うことになる。そんな待遇だけと、一応J リーガーとなった僕に周りはチヤホヤしてくれた。両親や恩師はすごく喜んでくれたし、ずっと連絡のなかった地元の知り合いや親戚からいきなり連絡が来たし、サインを頼まれたし、1度も話したことのない大学の女の子から告白されたりした。

ガラガラの会議室で入団会見をして、住み慣れない土地で寮生活を始めた。J リーガーはチャラいイメージがあるかもしれないけど、田舎だし車もないしで、サッカー以外やることがなかった。チームメイトの車に載せてもらい練習場まで通った。

ここから華やかなプロ生活の話でもしたいけど、僕はほとんど試合に出られなかった。僕がプロとして公式戦に立った時間は、2年間で合計100分に満たなかった。100試合じゃなくて100分。遠くから親が試合を観に来てくれたことがあるけど、結局1回しか試合を見せることができなかった。

その時の出場時間も6分くらいだった。僕は2年で退団をした。トライアウトも受けたけどプロ契約のオファーはなかった。そしてサッカー選手を引退した。引退した時は冷静だった。自分よりも、両親の方が落ち込んでくれた。

プロをしていてうれしかったことは、社会活動の一環で小学校を訪問したことだ。子どもと一緒にサッカーをした。その時に一緒のグループでサッカーをした男の子が、僕の所属するクラプチームのファンだった。その子は僕の名前も顔も知らなかったけど、それ以来僕の背番号のユニフォームを着て応援に来てくれるようになった。全く試合に出ない僕の背番号のユニフォームで応援やイベントに来てくれた。

引退したサッカー選手はただの一般人だ。僕は所属していたサッカークラブからの斡旋で、某民間企業のインターンシップを半年間受け、その後正社員になった。入社した時期は本当にきつくて、こんな仕事すぐにやめてやろうとか、他にやりたいことを探そうとか思ってたけど、なんだかんだで続いている。

サッカーは全くやらなくなった。飲み会で、新しく入ってきた会社の後輩に「ここの会社に入る前はJリーガーをやっていたよ」と言ったら冗談だと思われた。サッカーのことは忘れようとしていた。

昨年末に母が亡くなった。4年ぶりに実家に帰った。実家の片づけをしていたら、母が保存していたスクラッププックが出てきた。小学生の時に県選抜に選ばれた時の広報、高校時代のチームの結果が載った新聞記事、サッカー部員として大学のパンフレットに載った時の写真、退団が決まった時の記事、Webで配信されたニュース記事を印刷したもの、僕の試合を観に来てくれた時のチケットの半券、試合のチラシ、とにかく何でもスクラップしていた。今までのサッカー人生と、母の思いに涙が止まらなくなった。たった2年間でも、プロとしてユニフォームを着られたことを誇りに思っている。

天皇陛下ビデオメッセージ全文

戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。

私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉(しゅうえん)に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2カ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることはできないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

国民の理解を得られることを、切に願っています。

橋下・大阪改革のブレーンが語る「東京改革プラン」

東京は今、改革期を迎えている。では、どんな改革をどう進めればいいのか。その質問をぶつける、ベストな人物が“改革請負人”として知られる上山信一・慶応義塾大学教授だ。上山氏は、運輸省、マッキンゼーの共同経営者を経て、過去10年、ブレーンとして、大阪府・大阪市の改革に携わってきた。新・都知事がやるべき改革、改革のためのゲームプラン、各候補者の評価、橋下知事に学ぶ改革のリーダーシップ、東京のポテンシャルなどについて聞いた。

 

東京は争点をつくりにくい

──今回の都知事選の争点は何ですか?

そもそも、自治体の仕事はとても幅が広いが、その中でも、東京都は少し特殊なところがある。

東京は23区があって、都でカバーする領域と、特別区でカバーする領域の線引きがあいまいだ。

たとえば、待機児童は、東京都全体として大きな問題だし、お金を出す必要があるけれども、基本は区の担当なので、都として直接は何もしていない。こうした、都と区の狭間に落ちるような分野が結構ある。

一方で、都は国政とも密接なところがある。右や左といったイデオロギーの話や、憲法改正、軍事、日中関係といった、都政と直接関係ない話まで持ち込まれてしまう。

つまり、東京都は、国と区という上下の境目がぼやっとしている。都道府県はどこも同じ傾向があるが、東京の場合いっそうぼやっとしている。

もうひとつの東京の特徴は、「お金がある」ということだ。

普通の自治体は、大阪が典型だが、お金がないので争点が絞られる。お金がない中で、優先順位をつけるという議論になる。

しかし、東京は財政が豊かなので、「どれも大事」という話になってしまい、各候補者が同じようなことを言う。子育ても大事だし、高齢者も大事だという話で、争点がなかなか絞れない。

そのため結局は、「失点をおさえる戦い方」と「いちばんマシな人を選ぶ」という消去法的な選挙に“構造的”になってしまう。

実際、過去20年、東京では明確な争点が表に出たことはほとんどないと思う。

出てくる争点は、後ろ向きの話ばかり。たとえば、「築地市場の移転は間違っているのではないか」「都庁を建てるのは無駄だったのではないか」といった議論になってしまう。

 

──東京都政に関して政策論争が盛り上がらないのは、都民が無関心だからでも、都民の民度が低いからでもなく、構造的な問題であると。

そう、構造に原因がある。都政においては、争点を炙り出すだけでも大したものだと言える。

その意味で、(元東京都知事の)猪瀬直樹さんが取り上げた「地下鉄民営化」は争点としてはよかった。地下鉄民営化は、大阪ではお金がないので深刻なテーマになっているが、東京は余裕があるので、見事なまでに争点になっていない。

石原慎太郎さんもセンスがあった。

外からは“思いつき”だと言われていたが、そうでもないと思う。これだけ争点の掴みどころのない東京で、ディーゼル車の問題といった、人々が興味を持ちやすいものをセンスよくピックアップしてきた。その意味では、やっぱり天才的だと思う。

したがって、まず「東京都は争点をすごくつくりにくい」ということを前提として考えるべきだ。

 

情報公開がなぜ重要か

──その上で、今、東京の争点とすべきテーマは何ですか?

最大の争点は、情報公開だ。なぜなら、それをしないと何も始まらないので。

現在の東京の情報公開は本当にひどい。大阪市も10年前はひどかったが、同じぐらいひどいと思う。東京都に資料請求すると、黒塗りになったものも多く出てくるが、それはおかしい。

ただし、情報公開については、知事が覚悟を決めて、リーダーシップを発揮すれば変えられる。知事が「情報公開する」と言ってしまったら終わり。みんなが見ている中で、議会も情報公開には反対できないはずだ。

そもそも役人は、悪意なく情報公開に反対する。

役人側の理屈は「大事ないい政策が、政治論争に巻き込まれて、マスコミが報道して、住民が反対したら前に進まなくなる。それは都民にとって不利益だから、われわれに任せなさい。だから非公開にしますよ」となる。

大阪市の場合、2005年に大改革を始めて、助役で弁護士の大平光代さんが、役人が一番嫌がる福利厚生の情報から公開していった。

互助組合に補助金が出ていたとか、福利厚生でスーツを買えるとか、一般の人が理解しやすい細かい話も含めて、大平さんと私は記者会見を朝夜と1日に2回も開いて、情報をばらまいていった。

こうして情報をどんどん出していくと、市民の興味・関心が盛り上がって、メディアが記事を書いて、市民がさらに怒るというサイクルが生まれていく。次から次に情報が出てくるので、市民の怒りは爆発していった。

大阪が経験したこのサイクルを東京はまだ経験していない。そのサイクルが最初に来ないと、改革はまず成功しない。そうして、メディアと市民が盛り上がっているうちに、行政改革を行っていけばいい。

そのときに大事なのは、何でもかんでも他の都市と比べることだ。すると問題点が見えてくる。

大阪市の場合、単位あたりの出費も職員数も2割程度多かった。たとえば、車も服も他の自治体より2割高く買っていた。そうした情報を、記者会見でバンバン出していった。

 

外郭団体の天下りを調べよ

しかし、次第に、メディアも市民も情報に飽きて退屈してくる。その段階になったら、今度は、情報を文書にしてネットに掲載していく。

すると、その情報は消せなくなる。真面目な公務員集団は必死になって、改善に取り組み始める。情報公開は、市民の関心と政治的なエネルギーを選挙の時以外に持続させる効果がとても大きい。選挙が終わったら、後は任せという感じではダメで、メディアと市民が監視し、怒り続けないといけない。

東京の場合も、隠された情報は山ほどあるに違いない。大阪の数倍はあると思う。大阪はお金がない中でも、あれだけ悪いことをやっていたので、東京みたいにおカネのあるところはどれだけのことをやっているのか想像もつかない。

とくに外郭団体からは多くの問題が出てくると思う。

各種外郭団体は、住宅供給公社、道路公社といった大きなところから、何とか協会といった小さなところまで、局別に多数ある。大阪市でも100何十個あった。東京都にもそれぐらいあるに違いない。

外郭団体を対象にして、「本当に必要ですか」と事業仕分けをやっていったら、半分くらいはいらなくなるのではないか。

きっと天下りもかなりやっていると思う。

国ほどひどくないにしても、個室と秘書と黒塗りのハイヤーが付いているケースもあるはずだ。外郭団体の利権というのは、選挙の直接の争点ではないにしても、重要性が高い。

おそらく都庁の職員の給料も高すぎる。

これらはデータが必要なので、主要候補も言及していないが、もっと突っ込まないといけないテーマだ。すでに都庁の役人の給与は公表されているが、もっと詳細に分析しないといけない。

 

本庁のエリート職員は半分でいい

──「情報公開」以外の重要な争点は何ですか?

財政問題だと思う。

現時点では、東京の財政状態は健全だ。大阪、愛知などと比べても、東京一人勝ちと言える状況にある。

しかし、これから東京も超高齢化していく。そうすると、東京都心部の豊かな地域はまだいいが、周辺部は急速に劣化していく。

周辺部の中には、団塊世代が多くて、高度経済成長期に集中的に人口が増えている地域も多い。そうした地域で、後期高齢者が激増し始める。つまり、「収入はない、貯蓄はない、いるのは年寄りだけ」という地域が生まれる。

東京というと、23区ばかりに目が行きがちで、それらの地域は豊かだ。しかし、周辺部は、西東京市などを筆頭に財政状況が極めて悪い。

高齢者が激増すると、病院や病床が足りなくなり、医療福祉の支出が急激に膨らむ。周辺部の医療・福祉のサービスをどう支えていくかを今のうちからシミュレーションしておかないと、将来、明らかにお金が足りなくなると思う。

これらの問題を認識している、都庁の職員はいるだろうが、各局とも、長期的な発想が弱い。目の前の来年の予算のことしか考えていない。役人は、自分の任期中にできるだけ多く予算をもらうのが出世につながるので、どんどんお金を無駄に使ってしまう。

米国には、「レイニーデーズファンド」という考え方があって、将来の万一の場合に備えて基金を積んでいる。そうした取り組みが都にも必要なのではないか。「将来債務対策局」をつくってもいいぐらいだ。

今の都は、いわば、経理課はあるけれど、財務部はない会社みたいなものだ。将来を見るときに、PL(損益計算書)だけでなく、BS(貸借対照表)も見ないといけないのに、資産を有効活用できていない。大阪に比べると、極めてゆるい。

コストという点でも、削減余地は大いにある。

たとえば、地下鉄は都営と営団地下鉄を統合すればいい。2つを分けている意味は全然ない。

それなのに、なぜ統合がうまくいかないかと言うと、営団地下鉄は、国交省の天下り先だからだ。一方の都営地下鉄は都の天下り先なので、「業界内の山口組の抗争」みたいな状況になっている。双方とも、経営のことは考えていなくて、「俺の縄張りに口出すな」という戦いを繰り広げている。

都営バスも、民営化したら絶対黒字になると思う。これだけ乗客が多いので、エリア別に東急などに売ればいい。

都庁の本庁のエリート職員も、今の半分の数でいいと思う。今の都庁は、本庁の大卒エリートがやたら多すぎる。みんな超優秀だが、宝の持ち腐れで、無駄な仕事を作り出している。

都庁の職員は、民間企業なら1,2人でやる説明のために、10人ぐらいがやってくる。超優秀な局長に、超優秀な部長が説明するための資料を、超優秀な職員がつくっているようなイメージだ。

 

東京の街はつまらない

──財政の問題にかぎらず、今の東京は、全体感というか大きなビジョンがありません。

グランドデザインの議論が全然ない。「●●駅前を再開発」とか言っているだけで、全体としてどうするかという発想がない。

たとえば、山手線の各駅周辺の開発でも、ただマンションを建てているだけで頭を使っていない。

恵比寿はちょっと頭を使ったので幾分華やかになったが、大崎はしょうもない街になってしまった。今の大崎は、過去20年の都政が機能していないことの象徴。本当につまらない。大崎は目の前の収益を最大化するための街づくりになっている。

品川もJRにお任せで何も考えていないのではないか。JRに任せてしまうと、資本効率を最大化して、緑もゆとりもない空間になってしまう。このままでは、田町の周辺もしょうもない街になると思う。

渋谷は東急がいるからちょっとマシだし、六本木の六本木ヒルズやミッドタウンはディベロッパーが入っているので、さすがに悪くはない。しかし、大半の街の駅前をみるかぎりどうしようもない。

東京の街は、部分最適ばかりで、全体最適がない。再開発して、元気だと言われても、ワクワクしてこない。

JRに街づくりを任せてはいけない。都がしっかり入っていって、「目の前の収益ではない。東京はこういう街を創るんだ」というふうにリーダーシップをとっていかないといけない。でないと、東京がつまらない街ばかりになってしまう。

実際、都にはリーダーシップを発揮するだけの権限がある。

たとえば、「都市計画道路をこの場所に造る。この計画はガンとして譲らない」と言えば、周りはガラガラと変わっていく。企業はいろんなことを言ってくるはずだが、道路計画の権限は役所のものなので、結局は都に従わざるを得ない。

 

──後藤新平(東京市第7代市長)のように、大きな東京のグランドデザインを描く必要があるのですね。

そう。

このままでは、高齢者化社会における大崎の未来は、わけがわからないことになってしまう。

あんなにいっぱい高層マンションばかり建てて、そこに高齢者が一人で住むようになったらどうなるのか。今は、若い人がずっとそこに住み続けるという前提で街づくりをしてしまっている。湾岸地域についても同じ話で、2050年になっても全国から来る若い人たちがあの高層マンションに住んでいるとはとても思えない。

高層マンションを建てれば、入居者もいるし、企業は短期的には儲かるが、それが一気に高齢化したらどうなるのか。問題を先送りすると、将来、大きな爆弾が来るおそれがある。

 

五輪問題の本質

──ここまで「情報公開」「財政問題」という2つの争点を挙げてもらいましたが、ほかの重要課題はありますか。

五輪に関する出費の話は重要性が高い。

五輪の出費は「将来に向けた投資」と「消えてなくなる一時的な出費」と2種類あるので、それを分けて考えないといけない。

「一時的な出費」のほうは、スポンサーを巻き込みながら、できるだけ都や国の支出を抑えるべきだが、スタジアム建設や地下鉄の延伸といった「将来につながる投資」についてはそんなにケチる必要はない。

しかし、今は、そうした切り分けの議論がほとんどない。これは都知事が「東京の未来にも役立つなら、ここは思い切って支出する」とか、「これはただの出費なので都は負担しない」とかメリハリをつけないといけないのに、それができていない。

新・国立競技場の議論にしても、「将来、都に運営移管してくれるなら、もしくは、都との共同管理にしてくれるなら、お金を出してもいい」といった議論がない。(東京オリンピック組織委員長の)森喜朗さんが間違っていると思ったら、しっかり議論すればいい。

五輪は、都市の将来に向けた投資のための非常に大きなチャンス。成長戦略という点でも、超高齢化対応という点でも、意味がある。将来に向けた街づくりを先取りして世界にアピールできる機会なのに、このままでは千載一遇のチャンスを逃してしまう。

 

増田氏と鳥越氏の評価

──各候補者に対する評価を教えてください。「情報公開」「財政問題」「五輪問題」について、いちばん期待できる候補者は誰でしょうか。

今回の選挙は、意外と良い選挙だと思う。主要な候補者は3人とも意外といいと思う。

増田寛也さんは、絵に書いたような、極めて良心的な官僚。ちょっとウィンドウズ95のような感じもするが、国士官僚のDNAを持った人物だ。

ただし、五輪の費用見直しなどの改革を進めるのは、増田さんでは無理だろう。とても優しく、いい人なので、自公の背後にいる各種団体の既得権益を温存せざるを得ないのではないか。

おそらく、下から上がってくる改革案を採用していくという点では改革派だが、自分から提案したり、下からの提案をはねつけたりして、「もっとこうしろ」「ゼロから作りなおせ」と要求するタイプではないだろう。

増田さんが知事になった場合、無難に森さんとオリンピックをやり、その後、赤字でみんなで泣くというシナリオになる可能性がある。

鳥越さんは、正義派のジャーナリストという印象で好感は持っているが、やはり向いていないと思う。

(建築家の)黒川紀章さんの出馬と同じで、「都知事をやってみたかったんだね」という感じがする。今の年齢だと、任期途中で辞めてしまうリスクもある。

 

──「情報公開」を進めるという点で、ジャーナリストの鳥越さんが向いている面はありますか?

基本的に、役所に情報を公開させるノウハウは、ジャーナリストが情報を取りに行くノウハウとは違う。

役所の場合、予算の査定のときに、「全部、情報を出せ」というふうにやっていかないとダメ。要するに、膨大な情報を系統的にどんどん出させないといけない。

鳥越さんでも、細かい、飛び道具的な情報公開はできると思う。ただし、本当の闇というのは、公共事業などの巨額なお金の動きだ。これらの情報はすべてが不正ではなくグレー。役所に関する知識も含めて、高い質問力が必要になる。

 

小池氏に期待する理由

──では、小池さんに対する評価はどうですか?

小池さんは、適任でしょう。

まず女性知事であることの意味は大きいと思う。米国もヒラリー・クリントン氏が大統領になれば、ドイツも英国も韓国も女性がトップになる。女性知事は、時代の流れに合っている。

そして、英語ができることも、五輪を迎える都市の都知事としてプラスに働く。

改革という点では、来年6月までの短期決戦だと思う。情報公開と議会の浄化は、幸か不幸か短期決戦になる。

なぜ来年6月かと言うと、都議会議員の選挙があるので、そこで知事を支持する勢力を作らないといけない。都政は、都知事と都議会の二元代表制なので、議会に与党会派がいないと改革を進めるのは難しい。

そして、来年6月の都議選以降は、五輪への準備で忙しくなるので、改革に時間を割くのが難しくなってしまう。だからこそ、来年の6月までに改革をやりきらないといけない。

改革を成功させるには、“相当な何か”がないと難しい。

たとえば、不祥事が起きると期待できる。10年前、大阪市でも職員の大きな不祥事があった。メディアの注目が集まり、助役の大平さんが私などを使っていろいろな改革をやった。

しかも、不祥事が枝葉末節なテーマだったのがよかった。「職員が手当をごまかしている」といった等身大の不祥事だったので、世論の関心がずっと続いた。舛添さんに対するバッシングと同じ構造と言える。

今回も、外郭団体の天下り、福利厚生、議員報酬、政務調査費など情報公開で関心を引きながら、来年6月まで持ちこたえ、都議選で実質的な小池新党をつくる。新党の議員たちが議会で質問を始めたら、都庁はどんどん情報を提供し始めて、いいサイクルに入っていくだろう。これくらいの劇場型で小池さんが都政を運営していったら面白い。

改革の過程では、怪文書が出たり、いろんな反発があるので、リーダーは肝が座っていないといけないが、小池さんならやれるかもしれない。

小池さんに求められるのは、壊すところと、つくるところの両方だ。そのためにも都知事は8年間やったほうがいいかもしれない。その後の都知事は、実務派であれば誰でもいい。増田さんのような人は適任だと思う。

 

東京は世界有数の幸せな場所

──東京はうまく改革すれば、世界一の都市になれますか?

東京には、地震以外はリスクがない。私は141ヶ国を旅したけれども、東京は圧倒的に居心地がいい。治安などの心配をしなくてすむ。

しかも小金でもエンジョイできる。ラーメンを食って幸せだと感じられる。ニューヨークみたいに、稼いでいる人だけが安全を手にするわけではない。格差が激しくなる世界経済の中で、東京のそうした部分は、世界最先端だと思う。

テロがなく、格差が激しくなく、ラーメン一杯で幸せを感じられる。これは小市民的な幸せかもしれないが、21世紀の都市の時代を絵に描いたような都市だと思う。

 

──グローバル化という点で、東京はニューヨークやロンドンに劣っているとよく指摘されます。

実は、東京のライフスタイルはすでにグローバルだと思う。世界中の食べ物がふんだんにある。アメリカ化という意味での、グローバル化はもうちょっと進める余地もあるかもしれないが、すでに、かなりいいところに来ていると思う。

市民生活という点でも、緑が多い。家が狭いとは言われるが、世界の都市はどこも同じような感じだ。山手線の中の都心は、ニューヨークのダウンダウンのような感じで、世界有数の幸せな場所だと思う。

ただし、都心以外は、今後どんどんスラム化していくので、オリンピックの後を見据えた政策を今から考えておかないといけない。

 

橋下徹の天才的なところ

──最後に、改革に必要なリーダーシップについて教えてください。橋下徹さんが改革を推進できたのはなぜですか。

1つ目に、弁護士らしく、賛成派と反対派の意見を全部聞いて、うまい落とし所を見つけるのが天才的にうまい。

しかも、真実を突き止める作業を自分でできる。仕事の末端まで見えている。「伝票を持って来い」といった、ディテールまで徹底的にやる覚悟をつねに匂わせているのがすごい。迫力がある。

しかも、橋下さんは、一般のイメージとは違って、職員には優しい。橋下さんにけちょんけちょんに言われた職員は一人もいない。だから、すごく人望がある。とりあえずすべて受け止めて、「君たちよく頑張っているね。でも、ここらへんが気になるから、ここの案を持ってきてくれる」という接し方をする。

2つ目に、経営感覚がある。

子供のころからお金に苦労しているし、弁護士事務所の経営でも苦労しているので、世の中の感覚が非常によくわかっている。政治家の中には、一部の二世議員、三世議員など、そうした感覚が若干麻痺している人もいるが、橋下さんは生業を営む人の苦労がよくわかっている。

橋下さんは、一般庶民の感覚と、経営者の感覚をよくわかっているので、平たく言えば、相手の立場がわかったうえでケンカができる。だから、「立場はわかるけど、本音で議論しましょうよ」という関係に早く持っていくことができる。そこは天才的にうまい。

最後に、橋下さんは、首尾一貫して、政治家としてメシを食おうと思っていない。だから、実際に政治家を辞めてしまった。

もちろん、将来、彼が政治に戻ってくる可能性はあるが、彼の関心の中心は、大阪をよくすること。大阪をよくすれば、日本全体がよくなるという発想だ。

そこが、東京の人たちとは考え方が違う。東京の普通の人たちは、「都知事をやったら、その次はいよいよ総理」という人生スゴロクを考える。

一方、橋下さんは、大阪を立派な街にするために、その過程で、法律改正をしたり、国の協力を得たりするために、国政に行ったほうがいいのであれば行くという考え方だ。

その根底にあるのは、各論で都市の再生をしないかぎり、日本全体をぼんやりとどうすると言っても無駄だというスタンス。私も橋下さんと同じ考えなので、大阪の再生にかかわってきた。

以前、霞が関で働いていたのでわかるが、霞が関の仕事は、知的に全然おもしろくない。定点観測で見ていても、霞が関は動きがないし、どこかで聞いたような話ばかり。

しかも、現在の行政のテーマと有権者の関心は、教育、医療、福祉。しかし、この分野の現場情報が霞が関にはない。

よく言われるように、19世紀は帝国の時代で、20世紀は国家の時代で、21世紀は都市の時代だ。先端課題は全て都市にある。国政の新しい政策の知恵も全て都市にある。

だからこそ、東京都政をどう改革していくか、東京をどんな街にしていくかは、世界最先端の課題であり、知的におもしろい。

今回の都知事選は、東京が改革への第一歩を踏み出す、大きなターニングポイントになりうるだろう。

 

上山信一(うえやま・しんいち) 慶応義塾大学総合政策学部教授/大阪府・市特別顧問 1957年大阪市生まれ。京都大学法学部、プリンストン大学大学院(公共経営学修士)。運輸省、マッキンゼー(共同経営者)、米ジョージタウン大学研究教授等を経て現職。『改革力』『大阪維新』『行政の経営分析』『公共経営の再構築』『自治体改革の突破口』など著書、共著が多数ある。

 

江副浩正「マネージャーに贈る20章」

<第1章>

マネジメントの才能は、幸いにも音楽や絵画とは違って、生まれながらのものではない。経営の才は、後天的に習得するものである。それも99%意欲と努力の産物である。

その証拠に、10代の優れた音楽家はいても、20代の優れた経営者はいない。

<第2章>

マネージャーに要求される仕事には、際限がない。より高い効果を上げるマネージャーは、要求されている様々な仕事のうち、一番大事なことから手がける。仕事を受付順に勧めるような人は、優れたマネージャーとは言えない。

目の前にある仕事の中で、一番大切なものは何かをいつも考えていなければならない。

<第3章>

社内にしか人間関係を持たないマネージャーがいる。こういう人が会社を動かそうとするようでは、会社はいずれ滅んでゆく。

会社もまた、社会の一組織体であるから、社外の人々と良い関係を保つことが不可欠である。

<第4章>

“上の方で決まったこと”をそのままメンバーに事務的に伝えるマネージャーは、メンバーからの信頼と支持は得られない。経営の方針や義務のルールは、マネージャー自身がまず自らのものとしなければならない。そのためには、疑問などがあれば十分解決しておくこと。

その上で、自らの方針、考え方を交えて、メンバーに向かうことが大切である。

<第5章>

メンバーをよく理解しようとすることもマネージャーにとって大切なことである。それよりもっと大切なことは、マネージャー自身の方針、考え方、人格までもメンバーに理解させることである。マネージャーとメンバーとのよい人間関係は、深い相互理解から生まれる。

<第6章>

優れたマネージャーは、人に協力を求める時、”彼との個人的な親しさ”によってではなく、”仕事を良いものにするためには誰に頼むのがベストであるか”という観点からこれを行う。

誰とでも一緒に仕事ができるようにならなければならない。

<第7章>

マネジメントに携わる人は、2つ以上のことを同時に進められる人でなければならない。ひとつの仕事に熱中している時は、他の仕事に手がつかない、といったタイプの人はスペシャリスト向きで、マネージャーには向かない。

<第8章>

「1,000人分のパーティの招待者宛名を書き上げ、発送するのに、ひとりでやれば10日は必要。10人でやれば何日かかるか?」算数では答えは1日だが、経営の現場では10人でやっても10日かかることもある。

人が増える時には、手順を変えるなり、仕事のしくみを変えてゆく必要がある。

<第9章>

会議の目的がわからなくて、会議の能率を下げる人がいる。この会議を何のために開いているのか、自分の役割は何か、どのように勧めれば会議が効率的になるか、マネージャーはこれらのことをよく把握する必要がある。

会議の効率を上げる人と、下げる人では、マネジメントにおいて大きな開きがある。

<第10章>

マネージャーの任務は高い業績を上げることにある。そのために、メンバーを動かす権限が与えられている。仕事を離れたところでマネージャーが権限を行使することは許されない。

<第11章>

経営者が数字に弱ければ、会社は潰れる。仕事への熱意は十分あっても、数字に弱い人は

優れたマネージャーとは言えない。

<第12章>

マネージャーには、コンピュータという有能な部下を使いこなす能力が必要である。コンピュータを駆使して仕事を効率的にすすめるためには、コンピュータに関する知識・技能を自らのものとし、同時に日常的に自分自身の手で動かしていなければならない。

コンピュータを使えない人は、いずれマネジメントの一員にとどまれなくなる。

<第13章>

与えられた時間は、誰にとっても同じだ。人が大きな成果をあげるか否かは、その人がいかに時間を有効に使うかにかかっている。

経営者は、効果的な時間の遣い方を知っていなければならない。

<第14章>

「政治家には嘘が許されるが、経営者には嘘は許されない」とは水野重雄氏の言葉である。経済活動はお互いの信頼関係が基盤となっている。1度不渡りを出した経営者が再起することはまれである。

言葉や数字に真実味が感じられないマネージャーは、周囲から信頼を得られない。

<第15章>

自分のメンバーを管理するにはさして苦労はしないが、上長にはどのように対処すればよいのか、と苦労する管理者が多い。しかし、この問題は自ら積極的に働きかけることで解決して欲しい。相互理解を深めること。

そして上長の強みはそれを活かし、弱みはカバーしてゆくことによって仕事はなめらかにすすんでゆく。

<第16章>

“忙しすぎて考えるための時間がない”、”マネージャーはもっと思索に時間を割くべきである”と主張する人がいる。しかし、仕事と思索を分けて考えることは、あまり意味がない。

なぜなら、仕事を前に進めるアイディアや活力の源泉は仕事そのものの中にあるからである。

<第17章>

業績と成長は不可分であって、高い業績なくしてマネージャーの成長はありえない。

マネージャー自身の高いモチベーションが業績を生み、成長を実現するのである。

<第18章>

“もっと期限が先ならば”、”もっと人がいれば”、”もっと予算がおおければ・・・いい仕事ができるのに”と嘆くマネージャーもいる。マネジメントとは、限られたヒト・モノ・カネ・そしてタイムをやりくりし、それぞれの最大活用を図ることである。

経営の成果は常に、それに投入された経営資源(ヒト・モノ・カネ・タイムなど)の量との関係で計らねばならない。

<第19章>

我社は永遠の発展を願っているが、それは後継者たちの力のいかんにかかっている。後継者の育成も、マネージャーの大切な仕事である。自分が脅威を感じるほどの部下を持つマネージャーは幸せである。

<第20章>

仕事の上では、”したいこと”、”できること”、”なすべきこと”の3つのうち、どれを優先させて行動すべきであろうか。”できること”から手をつけるのは堅実なやり方ではあるが、それのみでは大きな発展ははかれない。

“したいこと”ばかりでも問題だ。将来のため、メンバーに今何をすべきかを見出させ、それが例え苦手なこと、難しいことであっても挑戦的に取り組んでゆく風土をつくることがマネージャーには求められている。

壺は満杯か

ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。

「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。